ブリストル・キングダムの火入れ月
巨大な炉から久しぶりに火が下ろされ、耐熱煉瓦の熱もほぼ常温に下げられた頃、その様子を見に来たノームは、長年稼働し続けている分厚い壁に手を添えて、先祖と火の神ゴルディーに感謝の祈りをささげた。
磨き上げられた炉の中は隙間なく組み上げられた球体となっており、魔法処理を幾重にも重ねられた表面をなぞると、反響するように魔力が立ち昇り、芳ばしい火の香を連想させる。
「リリや、お主の睡蓮火で火入れをしたのは、何時の事だったかのう」
目を閉じれば、一面に敷き詰めた最高級焔魔石を、睡蓮火が覆っていく情景が浮かぶ。あの時ほど華やかで、晴れがましい気持ちになった事は無かった。ほんのりと色づいたリリの笑顔も、思い出に花を添える。
コツリとぶつかる、足元に残った焔魔石の粒を拾い上げると、
「清掃がなっとらん、窯場主任は何をやっとるんじゃ。火入れ式はもうすぐだというのに。ご先祖様に合わせる顔がないわ」
と急速に醒めた思考に声を荒げながら、窯から外を見た。静謐な作業場は、久しぶりの休業に静まり返っている。その床をカツカツと忙しない音を響かせながら走りくる者が一人。
「ノーム様、表門に面会を申し出る一団がいます」
年若いブロトの声に、ため込んでいたゲップが「グエエェ」と漏れ出た。
全く、こいつらは火入れ月を何だと思っているのか? 神聖なる焔の気配が消えぬよう、怒りを作業場の外まで持ち出したノームは、ブロトが涙目になるほど怒鳴りつけ、窯場主任を呼びに行かせると、休業の酒が抜けるほど叱り飛ばした。
肩で息をするノームから解放された主任がほうほうのていで退散していく中、
「それで、この件はいかがいたしましょうか?」
と腫れ物に触るように声をかけるブロト。その手にある書類を見て、
「ブフーッ」
と排気したノームは、
「親書など、火入れの儀の前には後回しじゃ。そんな事も……」
と言いかけて、違和感に首からさげた拡大鏡をかざす。そこには、旧知の龍の紋章が捺印されていた。
「ふうむ、ミュゼルエルドがわしに何の用じゃ?」
親書を手にしたノームが、開けながら先を急ぐのを、ホッとした表情のブロトが追いかけた。
*****
ブリストル・キングダムの表門では、ドワーフの警備隊と、ある一団との揉め事が発生していた。
「だから、今月はゴルディ神の火入れ月で、部外者は立ち入り禁止なんだ。用があるなら来月にしろ」
門番の兵士が斧槍の先端を、来訪者の喉元に突き付ける。その奥では機械式の弩を構えた兵士が、無理を通そうとする女に、照準を合わせていた。
「それでは間に合わぬ事態が発生しているのだ。とにかくこの親書だけでも上層部にお目通し願いたい」
目の覚めるような青鱗の龍人族女性が包みを提示した。その顔や手には、歴戦の証であろう古傷が刻まれている。
「だから、その上役の手が離せないって言ってるだろう? それに麓に停泊している龍人達の団体も目障りだ。即刻退去しないと、攻撃を加えるぞ」
と今にも弩を発射しそうな衛兵が苛立ちの声を上げる。龍人側も、ドワーフの余りにも頑なな態度に、不穏な気配を滲ませ始めた。
「お待ちください、ここで揉め事は困ります」
と後ろから声をかけたブロトを見て、衛兵の表情にほんの少しの安堵が浮かぶ。それを察した龍人の女性は、居ずまいを正して、
「この親書を是非ノーム様にお目通しください。全てはそこに記されております」
と分厚い革張りの封書を差し出した。そこに押された印を見たブロトは、慌ててノームに知らせに走ったのである。
*****
「信じられん、この都市には考え得る限り最高の防御策が講じられてある。龍種とはいえども、ブリストル・キングダムに足爪一本入れる事は叶うまい。ましてや魔法的な移動法とは……」
腕を組んだノームが目の前に座る龍人女性を凝視する。長年人を見続けた鑑定眼には、ゴウンと名乗るこの女性が真剣に訴えていることは容易に見て取れた。ましてや旧知の仲間である剣龍ミュゼルエルドは、自ら十本の爪と五十本にも及ぶ牙に鍛冶仕事を施し、あまつさえ双槌紋を授けた相手である。最高傑作が一つの持ち主にそう言われては、むげにする事もできなかった。
「何度も申し上げました通り、この種の悪魔は神出鬼没です。いつ誰に罠が仕込まれているか分かりません。先だっての聖都襲来はご存知でしょう」
「うむ、わしの知る限り初めての事態だ。確か対立宗教による襲撃と聞いておるが」
「それに関わった者が、今回も関与している……疑いがあります」
「それを示唆するのが、この親書に書かれた古龍の占術か」
「占術とはいえ、あらゆる情報を分析した古龍会議の導き出した確かなものです。今回前もって闇龍の出没地点を予測できたのは奇跡的な事……この機会を逃す訳にはいきません」
そう言ってゴウンは硬く握りしめた拳を見つめた。年季の入った龍鱗は苦難の道を象徴し、ノームは既に感情移入してしまっている。それを押しとどめて、責任者の顔を作ると、
「しかし、先ほどから説明している通り、今月はゴルディー神の火入れ月だ。この期間に行われる行事は欠かす事のできない重要なものばかり。我々にできる事は少ないぞ、何を求める?」
と真剣な表情で尋ねると、控えていた秘書官に予定表を持ってこさせた。銅板には行事の予定がびっしりと刻まれている。鍛冶長としてそれらほぼ全てに参加する予定のノームは、辛うじて空いている隙間を示し、
「ブリストル・ドワーフが全面的に協力できるのは、この日とこの日だけじゃ。後は現場責任者を付ける事しかできん。お主を含め数名の龍人の活動を許可するが、麓の龍人達までは無理じゃ。本来火入れ月は部外者立ち入り禁止。今回お主らは、双鎚紋の英雄、剣龍ミュゼルエルドの派遣した、祝賀の訪問団として扱わせてもらう」
と一気に告げると、指輪に息を吹きかけて、秘書官が即座に刻み込んだ新たな銅板に拳を叩き込んだ。指輪の紋章型に見事に凹んだ許可証を受け取ったゴウンは、
「ならば、付けていただくのは先ほど案内いただいたブロト殿にお願いしたい。後、悪魔や闇龍の性質上、いつ事が起こるか見当もつきません。我々が痕跡を探査している間にも、有事の際すぐ動けるよう、対策をお願いいたします」
と、銅板をしまい込んだ。ノームの後ろでブロトが目を見張っている。それを視線で促したノームは、
「ふん、ドワーフの合理性をなめるなよ。いざという時は、一分で全住民が軍列を組み上げるわ」
と鼻息あらく息巻いた。
*****
「それで、何から始めれば良いのでしょうか?」
割り当てられた賓客用の洞窟で、石の椅子に座るブロトが尋ねる。差し向かいに座るゴウンは、分厚い泗石の机を撫でて、正確な平面を楽しんでいた。
不穏な気配を増長させる龍人族の派遣隊は、一旦近隣の龍窟に退避して、今部屋に詰めるのはゴウンを含めて五人のみである。何やら重要な儀式をするのに最低限必要な人数らしいが、ピリピリしたムードの中では詳しく聞くのもはばかれた。
「さっき話した悪魔の特徴からして、自身が潜入してから闇龍を召喚する事は間違いないと推測される」
出されたお茶菓子を龍人に勧めていたブロトは、過去に心理的な傷をつけた人間の間を自由に移動できる、という悪魔の特徴を想起して頷く。
「ただし、今月はゴルディ神の火入れ月、最も影響力の強まる時です。このブリストル・キングダムは神に祝福された都市と言われ、特に中心部は神岩を繰り抜いて作られた強固な守りを誇っています。特に神聖な力みなぎる時に、そう易々と侵入されるとは思えません」
ブロトにとっては至極当然の疑問だったが、それを聞いた龍人達は冷たい視線を向けるだけだった。
「それは我々とて同じ事。過去に龍神の宝を奪われた際は、龍の巫女の護りをたやすく破られたと聞く。確かにこれほど強化な護りであれば、自由に移動する事は難しいかも知れないが、かの悪魔は抜け道を作り出す天才なのだ」
ゴウンの説明に、まだ納得できないブロトは、しかしそれを言い合っても意味がないと引き下がった。その様子を見て、頑迷なドワーフ族にしては柔軟な思考を持つ若者の評価を引き上げたゴウンは、
「先ずは他種族の子供に強い思いを持つ者を探してくれ。協力者は女性の方が良いだろう。誰か心当たりはないか?」
と指示を出す。しばらく思案したブロトは、
「ならばマーヤ婆さんが良いかも知れませんね、有名な酒場の先代女将で、この都市の事を隅から隅まで知り尽くしていますから」
「よし、ではその女性に協力を仰ごう、一足先に向かってくれ、我々も後から追う事にする」
と言うと、ようやくやる事が明確になって嬉しいブロトは、飼い犬が主人の投げた棒切れを追いかけるように、部屋を飛び出して行った。
「ゴウン様、あの様な者を信頼してもよろしいのですか?」
付き人が尋ねるのを、ブロトの残した荷物を開けて確かめていたゴウンは、
「ああ見えて中々慎重派のようだな」
と数個の魔石を繋げた魔具を取り出す。音声を集極させる装置の先には、真っ白な魔石が言葉の蓄積を待ち構えていた。つまりは油断させておいて、龍人達の真意を探ろうという魂胆が伺える。
客人として、本来は歓迎すべき行動ではなかったが、見る目の確かさに満足したゴウンは、
「お前達は結界の準備を急げ、私はブロト殿の集める者達をそこに誘導する」
と指示を下し、長に黙って頷く者達は、それぞれの荷を解くと、早速準備に取り掛かった。




