閑話 ラガンは語らず、ただ戦友を思う
「信兵」と書いて「しんぺい」と読む、それは兵とは名ばかりの、裏稼業といえる存在であった。
正ハドル教会は大陸一の巨大宗教組織にして、自治独立した聖都を持つ、国を超えた共同体としての側面も持っている。
そこには当然の如く近隣諸国との軋轢が生まれ、特に同じ教義を持ちながらも王制を敷く隣国とは、表面上は同盟関係を維持しながら、内実は牽制し合うという微妙な間柄だといえた。
その中で、大司教を筆頭に聖職者を聖職者たらしむるには、汚れ役を一手に引き受ける存在が必要だった。それが信兵と呼ばれる諜報機関であり、今現在、大陸全土に根を張る組織の長であるラガンは、物心ついた年齢から壮年に差し掛かった現在まで、自らも現場に立ち続けている猛者である。
そんな彼には、若かりし頃に戦友と呼べる男がいた。その男は隣国の兵士で、当時一信兵だったラガンとは馬が合い、同盟国共同で〝魔王の放った魔物を狩る〟という長い作戦を年単位で共にした。
彼は特別戦闘能力に秀でたわけでもなかったが、よく回る頭脳と周囲に気を配るまめさ、状況判断の的確さで、みるみるうちに部隊内の地位を上げていった。出世に対する嗅覚のようなものが備わっており、かつそれは見ていても心地よい上昇志向であった。
「俺は貴族になる」
ある日、男はラガンにだけ打ち明けた。無言のラガンは、厳しい身分制度によって階級を決められたこの社会では、奴隷が市民に、市民が貴族になる道はほとんど閉ざされている事を想起した。それを知った上での親友の発言に、一言だけ、
「生きてなれると思うなよ」
と告げる。魔族との戦争状態である今現在ならば、勇猛な死には階級特進の栄誉が贈られ、一代限りの貴族階級に取り上げられる事も有り得る。ただし一代限りのため、墓に貴族印が彫り込まれるという栄誉を授かるのみ、家族には金一封ももたらされなかったが……
「いや、生きてなって見せる。兵士稼業もここまでだ。見てろよ、この作戦を皆で生き延びて、先ずは商人として成り上がってみせる。国を動かすほどのな。死ぬのは怖くない、何もできずに生き続ける方がもっと怖いんだ」
そう言って硬く握りしめた拳を見つめる男ーーエメルが、昇り始めた朝日に逆光となって眩しい。年の離れた親友の精神の若さに、実年齢では十も下のラガンは、複雑な感情の溶け込んだ吐息を漏らした。
貴族社会の現実を年若くして嫌というほど味わったラガンにしてみれば、エメルの語る夢は実現性に乏しい絵空事である。だがしかし、絵空事が世の中を動かす機運の高まりも肌に感じていたし、またラガン自身の願望もあった。
「まずは今日の戦闘を生き延びる事だな、お前の部隊の損耗は激しい。補充もないままに、士気の高さだけで乗り越えられる局面ではないぞ。この調子では、魔獣はキリなく数を増やしていく」
乾いた言葉に、引き締まった視線を返すエメルの、光を受けた瞳が、ラガンの記憶に刻まれた。
*****
ある男を隣国に訪ねた際、ラガンは得体の知れぬ敵に包囲された。理由は思い当たりすぎて特定できないが、瞬時に取り巻いた包囲網の厚さから、隣国の諜報機関以上の背景を想像する。
「魔法王国の手のものか?」
先ほど相手取った敵によって、手練れの部下ともはぐれてしまった。いまだに生死は不明だが、ラガンも無傷ではいられなかったことから、ある程度の覚悟はできている。そして自らの命が途絶える覚悟も……
魔獣の硬革を呪術でなめした行動着。それを容易く切り裂いた獣人の爪には、遅効性の毒が仕込まれていたらしい。あれほどの手練れを捨て駒にするような器量を、この国は持ち合わせていない。一信兵たるラガンにそこまでの歓待を用意し得るのは、魔法王国くらいのものであろうか……
だとすれば、掴みかけた情報の信憑性も高くなるかもしれない。魔法王国が〝勇者〟の召喚点をずらし、存在そのものを自国に取り入れようとしている。その暗躍のしっぽを掴みかけたラガンを、彼らが執拗に追うのも納得がいく。
考察の隙に毒抜きと応急処置を済ませたラガンは、教会では禁忌とされる聖薬を口に含むと、じわじわと魔力を循環させて薬効を体内に取り込んだ。寿命と引き換えに身体機能を驚異的に上げる効果をもたらす。その代り数日は身動きも取れぬほどの副作用に襲われるが、まずは現状を突破しなければ命すら危うい。
現地で調達した刃こぼれ目立つ短剣と、皮膚に貼り付けて持ち込んだ聖樹の葉ーーそれだけが現在持ちうる全武装だった。聖樹の葉さえあれば、最悪志半ばで死ぬことになっても、彼の身を聖遺物と言う名の不可触封印に変えることができる。うまくすれば敵の一部も同時に封入でき、後から来る教会の調査官に物的証拠を残せるかもしれない。
己の拳から前腕にかけて張り付けた大きな葉をなぞると、皮膚と同化した微細な毛によって循環する、神聖魔法が小さく脈打った。今はラガンを生かす方向に力を分けてくれている。己が信兵になった時に若き司教より授けられたその葉は、沢山の異教徒や闇の眷属の力を吸収していた。
忍び寄る敵の探知魔法が葉拳にジワリと触れる。ザワザワと這い寄る魔力を避けるように移動する、その先には消し難い殺気が漲っていた。
*****
目が覚めると暗闇の中に横たわっていた。息づかいで察知したであろう者の動く気配がする中、怪我のせいか薬の副作用のせいかは判然とはしないが、指一本動かせなかった。
「動かなくてもいい、ここでじっとしていろ」
なぜか遠くから聞こえてくるような、ボンヤリとした声が頭に響く。確か火炎魔法で焼かれた際に鼓膜にも熱気が襲ったと記憶しているが、だとしたら音が聞こえるのはなぜだろう? 妙に鼻につく薬草の臭いとともに記憶に甦ったのは、かつての戦友の姿。そう思えば、先ほどの声の主もエメルににていなくもない。
『エメル……』
と声をかけようとして、張り付いた喉は言葉を生み出さなかった。
「無理をするな、今動くと傷口に障る。腕利きの回復術師を呼びたいところだが、あいにくお前は犯罪者として国に追われている。我が家の癒し手はまだまだひよっこだが、じっくり治させるから、力を抜いて休んでおけ」
といわれて頭を下ろすと、厩の干し草であろう乾いた匂いが鼻をかすめた。エメルが助けてくれたのだ。瀕死の重傷を負ったラガンをかくまってくれている。決して得など期待できぬ、教会からも見放された可能性のある死兵である男を助け、自国の軍隊をも敵に回すような行為ーーかつてのエメルらしい男気に胸を熱くしたラガンは、声にならない感謝の言葉を念じた。
その時、小さな人間の足音が近づいてくる、振り向いたエメルが、
「誰にも知られなかったか?」
と問えば、可愛らしい女の子の声が、
「はい、誰にも知られずに来ました。エイムおばさまに協力していただきましたので、軟膏や携帯食も用意できております」
ハキハキと返答する。エメルの子供……にしては幼すぎる。お互い年を取り、とうに壮年期は過ぎているはずだ。孫か? といぶかしんでいると、
「よくやった、食事はすりつぶしておくから、傷の手当を頼む」
と指示を与える。言外にお互いの事情に口を挟むなと釘を刺された感じがして、少女も無駄口をきかずに黙々と作業を続けた。全身を蝕む鈍い痛み、許容量を超えて麻痺が目立つ。そこに少女の祈りの言葉が吹き付けられると、陽が射すような温もりが身の内から沸き起こった。内側から熱が排気されると、痒みとも快感ともつかぬ痙攣が起こる、それを慎重に抑えるエメルの、
「もっと丁寧にしろ、下手に治すと後に障害が残るぞ」
という叱責が飛ぶ。
「はい!」
と真剣に返答する少女の声に、エメルの溺愛ぶりが感じられて思わず笑いそうになった。昔からこの男は気に入った部下にはより厳しく接する傾向がある。どうやら孫らしきこの少女は目に入れても痛くないほどの存在らしい。
ラガンの気配を察したエメルは、
「まさか貴様笑ってはおらんだろうな?」
と言って、温めた乳にナッツを潰しまぜたものを口に突っ込んできた。こうして体を癒したラガンは、ある晩挨拶もなく姿を消した。教会に戻った彼のもたらした情報によって、魔法王国は勇者召喚先の強制転移に失敗し、教会は無事勇者召喚に成功する。その裏で、最大の功労者であるラガンは、さしたる報酬も得ず、ただ信兵長という最高位の譲渡を得るという栄誉を授かるのみであった。
*****
勇者による魔王の討伐、それによってエメルは爵位をえる事ができた。昔からの夢を叶えた親友に、ラガンは我が事のように喜んだ。だがポエンシャル家の趨勢は続かず、エメル自身の死が伝えられる。隣国の事情をつぶさに観察しつづけていたラガンにとっては、歯がゆい出来事が続いた。
特にエメルが貴族社会に目を付けられるきっかけとなったのは、ラガンをかくまった際に、さる貴族にそれを察知された事がきっかけだった。貴族お抱えの凄腕工作員〝紫間者〟この男には分からないことなど無い、と言われるほどの人物である。
その追及を知らぬ存ぜぬで白を切り通したところから目を付けられたらしく、息子を堕落させられて、エメル自身家の存続に奔走し、過労のために死を迎えたと伝え聞いた。
恩に報いる事が出来ずに歯がゆい思いでいるとき、孫のジュエルが神殿騎士団の下部組織に入団を希望しているとの情報を得る。ラガンは身分違いを承知で、大教皇に彼女の入団を直訴した。
それ以来、常に彼女の事を気にかけ続けて、リリ・ウォルタやその弟子であるリロ・セイゼンと知り合うきっかけを根回ししたり、有用な奴隷の情報を得ては、ジュエルが入札できるように裏で操作した。
おかげでスムーズに聖騎士としての準備を整えた彼女が、皆の祝福を受けて聖騎士として生まれ変わる。その瞬間、親友の笑顔を幻視した気がしたラガンは、目を拭った。
その彼女に投げ飛ばされながら、カースの下顎をフルスイング・アッパーでかちあげた時の爽快感はひとしおで、この稼業を続けて来られた事に心から感謝した。
後何年、現役として彼女をサポートできるかは分からない。だがジュエルが聖騎士となった今、彼女の祖父の野望が現実味を帯び始めたのは確かだった。
昔の俺では何もできなかった。だが今の俺ならばジュエルを補助できるのではないか? 知らず上がった口角を指で押さえ、淡い光に包まれた聖騎士ジュエルを見ていると、小さく手を振って合図をよこしてきた。
「ラガン、俺は貴族になって社会を変えてやる。見てろよ、この腐った階級社会をひっくり返す日を」
そう言って笑った男とそっくりの笑顔に首是すると、道を阻むであろう男の顔が脳裏を横切る。
『紫間者、今度こそ邪魔立てはさせぬぞ』
裏には裏の流儀がある。執念深さでは誰にも負けない自負のあるラガンは、頭の中の敵に残酷な想像を働かせながら、目の前の仕事に取り掛かった。




