リロとバッシ
リロは黒龍の軛に覆われたマスクの下で、半冬眠状態を余儀なくされていた。生命維持ギリギリの酸素と、血流を促す強引な振動が繰り返され、通常ならば数日で狂ってしまうところを、マンプルより伝授された魔力循環の瞑想をもって自我を保ち続けている。
そうする内に徐々に神経は麻痺し、いつの間にか別人の物のようになった肉体への苦痛からも解き放たれ、剥離した魂はフレイム・タンの少女達と共にあった。
獄火の魔導書は魂と結びつき、たとえ黒龍由来の瘴気でできた軛とて、その繋がりを断ち切る事はできない。だが同時に軛もリロ達の様子を虎視眈々と伺っており、何らかの不穏な動きを見せれば、肉体に即とどめを刺す準備をしていた。
静かな緊迫状態の中で、タンたんによって与えられたものではない、自分本来の魔力が血液のように駆け巡るのを感じる。その精度は日増しに強化され、今、仮に魔法を唱えたならば、何時もとは次元の異なる感覚を得られるような気がしていた。いや、それは気のせいなどではなく、今や確信となってリロの中に根付きはじめている。
〝中々良い修行になってるわね〟
魂に直接響くのは若返った師匠のものだ。少し皮肉っぽい口調も心地良い。
〝お師匠様、でも私の肉体はどうなってるんでしょう? 修行の成果も、肉体が滅んでしまっては意味がありません〟
素朴な疑問を投げかける。自暴自棄などではなく、ある種諦めた上での達観にも似た心境だったが……
〝リロちゃんの体はまだそのまんまよ、数日分年取っただけ。何しろ魔素は余るほどあるから。地獄の炎がエネルギー源よ〟
魔力を鍛えたリロは、魂のみの存在である師匠達を可視化できるほどに、この世とかの世の理に精通していた。ふんぞりかえったリリは、どう見ても幼い少女のそれである。それに従い言葉も少し拙くなっていた。
〝今はチャンスを待つの、お友達を信じて〟
リリの示す幻視が今の仲間たちを表す。その中で、聖守護力場の球体に包まれたウーシアが成長した肢体を横たえ、ジュエルが流れる髪を梳いている。その姿はーー
〝聖騎士になれたんだ〟
淡く光を放つ柔和な笑みは、まるで絵画から抜け出したかのような聖気をはなっている。一目見て聖騎士になったのだと理解したリロの中に喜びが広がっていく、と同時に一緒に喜びを分かち合えない事が悲しかった。
〝バッシは?〟
いつも一緒に行動しているはずの仲間が居ない事に違和感を覚える。リリが得意気に幻視を操作すると、視界が暗闇の中に閉ざされた。
〝起こしてあげて〟
リリが指先に小さな火を灯すと、怒った何者かが断ち切ろうと刃を振るう。それは実体のない幻の火を見事に断ち切った。
〝もう起きても良いころでしょ? そろそろ解放してあげてね?〟
いたずらそうに笑うリリに警戒する気配が鋭く向けられるが、ほんの少しリリが思念を乗せると、身の内に取り込んだ睡蓮火が同期して、鋼の精霊から敵意が消えた。
〝これがバッシの言っていた鋼の精霊……綺麗〟
思わず見惚れたリロが、精霊を形造る葉脈状の鋼の肢体に触れる。幻視の世界とは思えぬ冷たい手触りは、触れるだけで魂を分断されるような圧力を発した。全てを支配する〝時間の軛〟をも切り裂く鋼の精霊、ピッタリと抱かれるバッシを見つめたリロは、ゆっくりと語りかける。
〝バッシ〟
〝バッシ、起きて〟
微動だにしないバッシのまぶたがヒクヒクと痙攣し、眼球の動きが速まる。
〝バッシ〟
〝バッシ、起きて〟
〝バッシ〟
暗闇にリロの声が吸収されていったーー
*****
生まれる前のような……全てを委ねる深い眠り。母は無く、魔導師の試験管から生まれたバッシにとっては、生まれて初めて、いや、生まれる以前より味わったことの無い安らぎに包まれていた。
〝……ッシ……〟
遠くで響く聞き覚えの有る声、だが重く横たわる頭は動かず、動かす気すらおきなかった。
〝バッシ〟
声に滲む切実な響きに気持ちがさざめく、その時、
〝バッシ〟
と今度は自身の表皮からの呼び声に気を引かれた。何故かは分からないが、遠くの呼びかけに答えてはいけないという圧を感じる。
〝バッシ、起きて〟
〝バッシ〟
しかし眠りを覚ます現実世界への呼び声が、甘くバッシを誘惑する。半巨人の胎動は柔らかい闇を押し退けると、全身を包み込む者が吐息のような思念を漏らした。
〝バッシ、行くのね〟
二人の時間を惜しむのは精霊のいつもの声だ。それを聞いたバッシは、二つの存在が以前にも増して離れがたく絡まりあっている事を理解した。
〝そうねバッシ……もう呼び声は要らなくなると思う〟
ーー睡蓮火やオリハルコン、そして龍装までをも取り込んだ鋼の精霊が、その力を誇示するようにバッシの体表に葉脈を現すと、闇が運動してバッシを押し始める。
〝だから最後にこれだけは言わせて……我が現世の化身たるバッシよ……あなたを、愛しています〟
冷たかった精霊から不意に温もりが伝わると、周囲の蠕動運動が激しくなりバッシを動かした。全神経を刺激する摩擦熱に思わず咆哮をあげる。
長く窮屈な産道を抜けた先で、粘液や排泄物と共に産み落とされたバッシはーー気づけば一人で草原にうずくまっていた。
顕現してから少し時間が経っていたのだろう、全身の粘液は乾き、肌を引っ張りながら異臭を放っている。張り付く下草を剥がしながら立ち上がろうとして、バランスを崩した。
肘をつきながら見る風景はどこか懐かしい、水溜まりの泥の臭いが不意にあの時を想起させたーーそこは鋼の大剣を拾った戦場。何度も夢に見た大地は、土魔人タイタンによって人馬様々な栄養を混ぜ込まれ、皮肉にも緑豊かな土地に再生していた。
『俺も再生したのか』
口に詰まった液体を吐き出した後つぶやくと、その声の若さに驚く。肢体を見ると特に以前と変わらなかったが、よく見るとどことなく肌に張り艶が増していた。将軍に斬り飛ばされた四肢は継ぎ目もなく回復し、支障なく動かす事ができる。
少しずつ身体感覚が馴染んだ頃、立ち上がると体調を気遣いながら大きく伸びをする。ポキポキと音を立てる関節をまっすぐに伸ばすと、大きく深呼吸をした。
全身の表皮が葉脈状に変質して銀色に輝くと、老廃物が睡蓮火に薄く焼かれ、必要な部分に龍装が形成されていく。きな臭い煙と共に龍装の打ち合う音が鳴った。だがすぐに最適化され音を無くすと、無音の内に全身を覆う龍鱗の鎧となる。
手元にない鋼の大剣にも心細さや違和感はなかった。全身に纏う龍装やその下の皮膚から、以前と同様に確たる存在感を示す大剣の気配がにじみ出ていたから。
形無きものに安心感を得るのはおかしな感覚だったが、今や一心同体と化した鋼の意思は無自覚の内に捉える事ができる。
試みに手のひらに意識を集中すると、ちょうど手中に収まるほどの睡蓮火の蕾が現れ、成長しながら花弁と共に葉脈を伸ばした。無数の銀線を絡ませながら造形されるのは、双鎚紋すら完璧に再現された鋼の大剣ーー
さすがに他素材の柄やガードやポメルなどの拵えは省かれていたが、手のひらと一体化した剣身は元通りの存在感と重量を放っている。
試しに剣を振るうと、思わぬ軽さで空間を切り裂き、音一つたてない剣身が紫の残光を描いた。
『これはまた鍛えがいがある』
新たな肉体に新たな課題を見つけたバッシは、記憶を呼び起こしながら過去の戦場を眺める。アレフアベドは戦火に燃え尽きただろうか? ジュエルやウーシアがそう易々とやられるはずがない。避難したとすれば……向かう先は聖都だろうか?
聖都までどの位かかるか見当もつかずに周囲を見回すと、表皮に馴染んだ鋼の葉脈が具現化して、手のひらに小さな本を形成する。馴染みの目をかたどった表紙、その1ページ目には、
「知育魔本を取り込んだ、鎌鉈も形成できる」
と明記されていた。嬉しくなって早速聖都への道のりを調べると、浮かび上がった地図を頼りに歩き始める。前方には切り立った山々が道を阻み、湿気を含んだ空気は不穏な天候を予測させたが、生まれ変わったバッシの気分は爽やかだった。
新キャラクターを出しすぎたため、しばらく閑話を挟んで各キャラクターの補足をさせていただきます(7話くらい)その間本編は止まりますが、よろしくご了承下さい。




