魔人誕生
滲み入る瘴気を浄化していたフチは、不意に魔力操作のたずなを緩めると、ベイルに刺していた神経針を回収した。ベイルも手首を擦りながら、目まぐるしく濃度を変える聖守護力場を見つめ、その向こう側の粘液の流れに警戒を強める。
目の前で誕生した聖騎士は瘴気の侵入を完全に防ぎ、結界の範囲を簡単に広げて見せた。そして鏡面状の鎧を、青く澄んだ流線形の美麗な甲殻に馴染ませると、淡い笑顔で従者たるウーシアと向き合う。
その神々しさは、穢れを自覚するベイルには眩しすぎてーー逸らせた目でタイタン達巨人の残党を探した。だが彼らは先の一撃以来、鳴りを潜めている。
「さて~、これでひとごこちつけますが~、どうしたもんでしょうね~?」
と隣でジュエルに貸し与えていた脚を回収しているシンハに尋ねると、
「ラウル様とミュゼルエルド様がいらしゃいますが、この都市に埋まった装置は高度すぎて、手出しはできますまい」
と答え、うなずいたフチも、
「もし龍の炎による攻撃を加えても、地下施設を突破できるとは思えません。それどころか魔法装置によって、手痛い反撃を食らう可能性も有ります。現状は単に装置の機能が働いているだけ、我々を狙ってのものではありませんので、今の内に街を脱出するのが最善手でしょう」
と告げた。アレフアベドを見放す非情な宣告に、領主たるフロイデは、
「うむう」
と唸るが、猛獣の喉鳴りを思わせる沈黙の後で、
「仕方あるまい、避難する住民の誘導を優先的に、街から脱出しよう」
と宣言した。冒険者時代とは打って変わり、普段は〝街の要たる領主は動かず〟と、国事や大規模な遠征以外では街を出る事すら珍しい。その領主が動くとあって、事の重大さに認識を新たにし、気持ちを統一させる部下達。そこに大司教ラウルの、
「上空から見たところ街の外には変化が見られません。西側外壁に避難住民が集まっていましたので、神聖結界を張っておきました。あの方面は無事に避難できていると思います」
という一言が加わり、皆の士気が上がる。続けて
「ジュエル、そのままこの結界を強化しつつ、球形に皆を保護できますか?」
との問いに、その意図を汲んだジュエルは、
「はっ、かしこまりました」
と意識を集中させて、聖守護力場を球形に凝縮させていく。それは魔雷を防いだ時とは比べられないほどの大球体だった。
実体のない力場が柔らかく包み、ある時点を超えると弾くように体を持ち上げる。そうして不安定に重なり合った者達を内包し、地面との結びつきを失った青の球体が、真っ赤な粘液の中に浮かんだ。
街はとうに侵食されて、背の高い建造物だけが島のように顔を覗かせていたが、そこにも粥状の血溜まりが付着すると、少し前まで人々が生活していた街とは思えぬ、人外魔境の様相と成り果てる。
「さて、ミュゼルエルドや、お前さんの翼で一丁皆を運んでやってくれまいか? 私の魔法でサポートしよう」
というラウルの頼みに、ミュゼルエルドも鼻息熱く同意する。結界球の中心であるジュエルがミュゼルエルドに近づくと、巨大な後ろ足を見上げた。剣爪を肉鞘にしまい込んだ剣龍は、丸みを帯びた足の甲にジュエルを乗せると、聖守護力場の起点を両後ろ足に馴染ませていく。
それと同時に、羽ばたくためにミュゼルエルドの体が結界の外に出た。その首に跨る大司教を見た信兵長のラガンが、
「ラウル様危険です、結界の中にお入り下さい」
と声をかけるが、
「この人数にさらに避難者を加えるとなると、ミュゼルエルドの負担が増します。元々飛ぶのは苦手な子ですからね」
と柔らかな笑顔で答えると、濡れたような照りを見せる龍鱗をなでる。ほのかに放射された聖なる光が馴染むと、翼に捉えた風精が力を増した。
「私がこの位置で助力せねばなりません。それにこの子も居ますから、大丈夫です」
と己の頭部を撫でると、それまで張り付くように頭を保護していた白い毛織り物の帽子が反応し、微細な羽音を立ててラウルの頭上に浮かび広がった。
それは天蓋虫と呼ばれる、一般的に貴人の頭上に浮かび、日陰を作るための魔法生物であった。だが大司教の頭上に浮かぶそれは、まるで天使の輪のように輝いている。
それ以上何も言えない立場のラガンは、マルセイら部下に周囲の探知を命じると、眩しく発光する天蓋虫を見た。
「光輪頼むぞ」
と口の中で、他者には知られぬ魔法生物の二つ名を唱えながらーー
ラウルは飛行を補助するための神聖魔法を唱え始め、ジュエルも龍の足に掴まりながら、皆を包む聖守護力場を固定すると、翼に風の魔力を発生させたミュゼルエルドが宙に浮かぶ。
重たげな羽ばたきで風精を掴まえながら上昇するが、不安定に上下する飛翔に、結界内の皆から「ひぇっ」とか「おおっ」などと悲鳴があがる。中には「ヒャ~! ホ~!」などと喜ぶ者もいた。
高度を上げて見る街は、ほぼ粘液に埋もれて、真っ赤な果汁が街壁の容器に注がれたようである。端から脱出する住民は、外に注がれるように折り重なっていた。その後端はすでに粘液の狂気に犯されて暴徒と化し、上空から小さく見える状態でも、子が親を、親が子を襲う地獄の様相を呈している。
射程圏内に捉えたフチの後光が、避難者に襲いかかる暴徒を焼き切る。熱線はそのまま後続も焼き、沸騰する線が膨れ上がるような大量の瘴気を生み出した。
「これ以上焼くとまた瘴気に侵されます」
というフチの言葉に、
〝避難者すれすれまで寄せるから、結界の中に取り込めるか?〟
とミュゼルエルドの念話が届いた。桁違いの精神力から生み出される念話に、人間の頭脳は揺さぶられ酔いをまねく。嘔吐する者もいる中で、ジュエルは了承の意を伝えると、眼下に意識を集中させた。
深紅の瘴気は熱源など無くとも徐々に空間を穢し、聖守護力場の光すら届かぬほどに煙り始める。その下ではもはや理性を保つ人間の方が少なく、少しでも清浄な空気を求める人々が見張りの尖塔に溢れかえり、落下する者も続出していた。
「結界に取り込む際に瘴気が侵入する恐れがあります。皆さん息を止めて、一心に神に祈りを捧げて下さい」
ジュエルの言葉に、普段は神など信じぬ者も、何らかの神の名を唱え、それすら知らぬ者は先祖や母の名を唱えた。
閃光が人々を包む。
その中心たるジュエルは、民を救いに顕現した女神の姿を想起させ、慈母の抱擁を思わせる温かな笑顔は、救われた人々の記憶に深く刻まれた。
一段と大きく負荷を増す結界の足枷に、爆発的な風を発生させたミュゼルエルドの翼がたわむ。確実なる推進力を下方に送り込むも、倍化した重荷はそう簡単に持ち上がらず、首に跨るラウルの補助魔法も熱を帯びた。
その瞬間ーー
背部に迫る人影。それは列をなす肉男を踏み台とし、肉の淵に笑顔を爆発させて佇んでいた。赤く滲む肉男は鎖によって粘液と繋がり、脈動とともに力強くその男、カースを支えている。
その手先から伸びる鎖の末端が、素早く大司教ラウルに襲いかかると、重力を無視した肉男達の群れが、ラウルに殺到する。
光彩魔法を唱えつづけていたマルセイの警戒をもすり抜ける急襲に、他の者は反応する事ができず、肉男の魔の手がラウルに肉薄する。真っ赤に染まった鉤爪がラウルの肉体を蹂躙しようとした時、頭上で閃光が弾け、天蓋虫の思念が炸裂した。
思念は刃となり、肉男をスライスする。だが深紅の加護に守られた肉男は即座に回復しながら、ラウルの首元に迫り、他の数体も飛び込んできた。
再びの思念の刃にラウルの思念が同期すると、視界にある肉男全てにびっしりと光の線が走り、空中にその身を縛り付ける。そこにフチの後光が放たれると、内部から爆ぜた肉体が瘴気を伴って拡散した。
髪の毛を振り乱したカースは、分散する瘴気を胸いっぱいに吸い込みながら宙を駆け、両手に巻き付けた鎖をラウルに伸ばす。その歪んだ口元が真下からかち上げられると、吐き出された瘴気が血のように降り注いだ。
聖騎士となったジュエルの膂力によって投げ飛ばされた信兵長ラガンは、顎を殴りつけた腕をそのままカースに絡みつかせ、反撃の鎖を鎧の表面で滑らせると、相手の体をグイッと引き寄せた。
抵抗激しく身もだえる隙に思念の刃が二人の全身をびっしり包みこみ、ラガンが魔力を込めた腕でカースの首を締め上げると、吐き出した瘴気が濃度を上げてラガンに襲いかかる。
聖なる光刃はラガンを透過し、カースを切り刻む。血の一滴すらも数刃の光線で断ち切ると、ラガンは苦しみながらもその残骸を体ごと聖守護力場に押し付けた。
出力を上げる青光に焼かれるカースが、瘴気に包み込んだラガンに悪神の呪いを授けようと、穢れた聖句を唱える。身の内から溢れ出る憎悪に頭が割れそうに痛む中、上昇するミュゼルエルドによって再び結界内に取り込まれたラガンを抱きしめたジュエルは、口付けとともに、聖なる呼気でラガンにかけられた瘴気の呪いを浄化した。
たまらずラガンの全身から滲みだした瘴気が、宙に人影をつくる。その姿は伝承に伝え聞く悪魔そのものーー逃げ場の無い者達が悲鳴を上げる中で、結界に弾かれた瘴気はジュエルに抱き締められる。体内に侵入しようとしたカースは、青く澄んだ聖騎士の鎧の変質する鏡面に取り込まれると、断末魔の悲鳴を上げながら赤い染みとなって消えた。
「すまんな」
再びジュエルに抱きよせられたラガンは、バツが悪そうに謝辞をのべるが、ほのかに笑みを浮かべたジュエルは回復魔法を唱えると、オーバーワークのラガンの脳を眠りへと誘った。
そのままミュゼルエルドに運ばれた一行は、住人達を救出しながらアレフアベドを脱出すると、聖都に向かって飛び去る。暮れなずむ大地は赤く染まり、まるで世界中が呪われたような不安に掻き立てられた。
*****
人気の無くなったアレフアベドを満たした深紅の粘液が、街に刻まれた古道の形に紋様を描く。
『西の封印は解かれた』
頭に響く何者かの声に目を覚ましたシオンは、先ほど受け入れた狂神のネックレスを手に取った。瞬間、痛みと共に手のひらから煙が上がる。見るといつの間にかネックレスは消滅し、手のひらには十字を内包する輪の火傷痕が、赤々と熟していた。
痛みよりも喜びーー幼少期より何をやっても天才的に習得し、しかし中途半端な地位のために望みを制限され、愚かな上司に追従してきた灰色の人生に、初めて色が挿したような気がする。
心を満たす深紅の狂気に笑みを浮かべたシオンは、手中の疼きに導かれると、次なる封印の地〝ブリストルキングダム〟を目指し歩を進めた。




