肉男
「街の外側、脱出用通路から何者かが迫ってきます。しかも凄い勢いで」
小人女が水晶に画像を映し出すと、壁に暗闇を這い進んでくる者の影が踊った。それは人とも獣とも判明しない、不気味に素早い動きを見せる。
感覚鱗を立てたバッシにも感知できないほどの微かな気配。しかし霊剣に強化されたウーシアの嗅覚が、強敵の予感に強く刺激された。
「攻めて来る通路は一つですか?」
と問うハムスの声に、
「いえ、三つある通路全てからこちらに向かってくるわ」
と小人女が画像を切り替えながら警告する。見れば三つに区切られた画像それぞれに、似たような影が踊っている。
「全てか、そして街側の表口からは来ない……これは罠だな」
小人女を背負子に乗せた双槌紋の曲刀男が断言する。背負子は金属の爪を合わせて小人女を保護すると、その中央に水晶球をはめ込んで残る四つ足を伸ばした。男を含むその全身はまるで巨大な蜘蛛のようである。
「オモテハ? ケハイ、ドウダ」
体を屈めた大男が、分厚い手指をついて四つん這いになりながら尋ねると、
「かなり広範囲に探ってみたけど、何の気配もしないわ。ただし一点だけ探れない場所がある。それが怪しいといえば怪しいわね」
と水晶球を操る小人女が指摘した。
「配下の信兵達が周囲を警戒している、禿鷹の下部組織も門内外に駐屯しているから、安全は確保されているはずだ」
と言う信兵長ラガンにハムスが頷き、
「裏口を閉鎖、皆で表口から脱出しよう」
と重要書類をまとめ始めた。そば付きのギルド職員達はそれぞれ装置を操るために散ると、聖騎士団の三人は緑の亜人の手引きで、通路を進む。途中、
「いつもベイルがお世話になっているわね、私はポメラ、大男のズオンズとともに、ギルドのエージェントよ」
と四つん這いで苦しそうに進むズオンズと呼ばれた男を指差して挨拶をする、どこか既視感があると思い、女の顔を見ていると、
「貴方がたには同族がお世話になったわね」
と束ねた髪を操って見せた、その先端に踊る神経針と、首元の認識墨を見て、急速に蘇る〝緑の女〟ボッサムの姿。言葉を無くすバッシに、
「貴方も私も魔法王国の遺産、従う意思のあるものは取り込むのが禿鷹のやり方よ」
とウインクする。その姿、そして真っ赤な唇が、最後に斬ってすてたボッサムを想起させて、バッシの胸がチクリと痛んだ。
「水晶球で覗けない地点は出入り口の近く……もうそろそろよ」
揺れながら搬送される小人女の警告にウーシアも霊感を集中させるが、確かにどうしても霊感を逸らされる場所があった。怪しいと分かりつつも、後方から迫る気配の強さに足は速まる。
そしてマルセイをはじめとする信兵達や、ベイルなどのギルド・エージェントが先行する中を、白昼晴れ渡る外にいきなり飛び出した。面々は真っ白な世界に目をすぼめて周囲を見回しーー
緊迫感に反して、そこにはいつもと同じアレフアベドの風景が広がっていた。門に近い町外れは閑散として、先ほどまでの緊迫感が嘘のようである。その温度差に荒い息が際立ち、一瞬思考が場違い感へと放り出された。
*****
ーー変異は確実に存在していたーー
それは広い庭を有する廃屋の一室から、バッシ達を見下ろす窓辺に佇ずみ、暗い瞳を瞬きもせずに向け続けている。部屋の外は昼間のアレフアベド、屋内は転移の女神の懐たる異界の空間ーーそこは狂気の化身たる信徒にしか自我の存在を許さない、真っ赤に蠢く女神の内臓であった。
悪性腫瘍のように増殖し続ける狂気の渦中にあって、消化されることを免れた精神の持ち主達は、皆一様に金属の環に十字をきったメダリオンを下げている。
中でも一回り大きく、太い鎖で繋がれたメダリオンを掲げるカースは、鎖から血流のように供給される女神の力を、迷える信徒達に惜しみなく分配していた。
足元には呼吸もままならないシアンが横たわり、嘔吐した床に髪の毛をこびりつかせている。それをつまらなそうに見下ろし、信徒の証であるメダリオンをブラブラと目の前で揺らすと、
「信じる信じないは貴様の自由だ、これを手に取ればその瞬間に救われる。神の慈悲そのものだよ」
と手を離し、彼の目の前に鎖の小山を作ると、興味を無くしたように再び外に意識を向けた。
禿鷹達を追い立てる者に思念を向けると、仕込まれた分厚い装置に阻まれた三ツ子の戦士達の様子が伝わって来る。だが誰一人として焦ってなどいない、その余裕に若干の苛立ちを感じつつも、カースは自身の鎖を壁に打ち付け、同化させて現実世界に干渉し始めた。
すると三ツ子達の目の前にある巨大な鉄塊が、端から捲れあがって赤黒い空間を作り出す。そこに貫通した穴を通り抜けた三ツ子達は、待ち構える禿鷹の兵士達に襲いかかった。
「さて、我らもそろそろ出向きましょうか、この働きいかんによっては、女神様の心象も変わりますよ」
カースはメダリオンに繋がる鎖を壁から引き抜くと、信徒である狂信団のメンバーを見回した。そこには無言で立ち尽くす男達が、暗闇にギラつく目を並べている。狂気に取り憑かれた男達から淡く昇る〝魂の尻尾〟を見いだすと、それらをカースの鎖一環一環に絡めとりーー
「ジャラリ」
と床に投げ出された鎖には、真っ赤な紐が幾重にも重なり、毛細血管を束ねた背骨のように、女神の力が流動し始めていた。
それを一振りすると、跳ねるように窓から飛び出していく男達。それを見下ろしながら、腕に赤の鎖を巻きつけると、窓枠に足をかけて遠くの空を見る。そこには雲ひとつない晴天に、塵のようなシミが一つ二つと見え始めていた。
「さて、あれらよりも、一足先に手柄をたてますか」
窓枠から飛び降りたカースは、下で待ち受けていた男達に受け止められると、そのまま騎乗しながら配下達の駆け巡る街へと進んだ。
*****
「急に気配が増えたワン! 囲まれているワンウ!」
ウーシアの言葉を待たずとも、各人がそれぞれに殺気を放つ者達の出現を感知していた。
すかさず手近な気配に鎌鉈を投擲したバッシは、鎧越しに突き立った感覚を得て、他の獲物を探そうとする。だが感覚鱗に触る気配がおかしい。胸に深々と鎌鉈を生やした男は、まるでそれを意に介さないように斧を振り上げてーー切りかかってきた。
素早く踏み込んだ瞬間には、鋼の剣によって男を分断する。ろくに反応できずに、斜めの斬撃通りに分かれた体は、摩擦にゆっくりとずれ落ちる。だがそれでも男は動くのだ。その生物としての限界を超えた動きに、他所からも驚きの声が上がった。
「狂信団だよ〜、しかもすでに無命徒化してるね〜」
双短剣から金色の光線を放つベイルが、それを切り刻んだ男に絡ませながら告げる。その足元では、かけらとなった男の顎が、地面を噛みながら弾んでいた。
「何だ? それは」
バッシがジュエルの弾き飛ばした男の首を刎ねる。その胴体を蹴ると、ゼバスの火炎放射が消滅するまで焼き尽くした。
「狂信団のカースの常套手段さ〜、配下の者の命と引き換えに〜、無敵の兵力を得る〜、悪魔の手法だよ〜。ほら見て〜」
指し示す先では、細切れになった男達の破片がより合わさり、でたらめな再生を果たして蠢き始める。それは地獄のような光景だったが、駆け寄りながら観察するバッシ達には既視感があった。
それは真白の地宮で見た死霊の王と死霊の群れ。でたらめな肉塊を作り上げる様は、死霊の王がへその緒でつないだ胎児球を想起させた。
「で〜、あれが本命の、カースかな〜?」
と駆ける先には、真っ赤な腕を天に突き上げたカースが、部下達の作る人肉車に乗って、戦場の真っ只中に爆進していく。
それを横目に、大蜘蛛のような曲刀男と小人女はしっかりと地面を掴んで身を固定すると、水晶球から閃光を放った。油膜のような七色の魔光は瞬く間に街を透過し、周囲一帯を球形に包んで消える。その後も水晶球は虹色に光の帯を放ち、土台となった曲刀男は背負子の多足を操ると猛スピードで駆けた。虹色の後光を背負った姿は、まるで蜘蛛の神獣のようである。
それに先んじてカースに到達したバッシが、ジュエルの発生させた守護力場を踏んで宙を駆け登ると、人肉車上のカースを見下ろしながら紫光を纏う鋼の剣を振るった。それに即応した鎖の赤糸が震えると、でたらめに散らばった男の破片が飛来してバッシを襲う。
龍装で弾いたそれは人間の骨や歯で、さらに血肉の破片が体に纏わりつくと、大剣をそらせようと力をこめる。だが紫光の刃には取り憑けないらしく、それらを切り弾きながら再度カースに向き直ろうとした時、背後からの威圧感にその場を飛び退いた。
そこにはそれまでとは明らかに違う肉片が、赤黒い空間を内包しながら、カースの鎖から伸びる赤糸と結びつき、脈動とともに黒の瘴気を排気し始めている。血肉生々しい肉片が芽吹くと、内側に鋭い牙の列を密集させた人型が地面を掴み、バッシに飛びついてきた。
〝バッシ〟
鋼の精霊の導きのままに、銀光の世界の中を強引に移動する。その隙に大剣の側を通過する肉男の脚に切りかかろうとした。
刃筋は明らかに肉に通り、大剣の摩擦に断裂し始めたように見えたが、断面の代わりに赤黒い空間が現れると、裏返ってまた牙が列をなす肉体が盛り上がる。
時間感覚を戻しつつ、黒い瘴気を噴き出しながら牙を擦れ合わせるそれと向き合う。裏返った肉体は黒い内容物を吐き出すと、狂ったように暴れ始めた。
だがカースが鎖の一部を操作すると、飛び退くように彼方へと引っ込む。
そちらに目をやれば、カースに絡みつくように切り結ぶベイルが、相棒の緑髪女とともにもう一体の肉男と戦闘中であり、その背後を攻めようと引き寄せた肉男に、巨体を誇るもう一人の相棒が岩のような拳を打ち付けていた。
衝撃の隙間に岩状の破片が飛び散り、また新たな岩の表皮が形成され始める事から、それが大男の能力だと分かる。
重いパンチに体を変形させながら地面を転がった肉男は、千切れた肉片からも赤黒い空間を発生させると、そこから新たな肉体を生み出し、瘴気混じる体液の飛沫を振りまきながら「キーッ、キーッ!」と耳障りな擦過音を振りまいた。
他の者達も肉男に苦戦しているらしく、切っても燃やしても数を減らさない敵に神経をすり減らせ、小さなミスから大怪我を負う者も出はじめる。
「個々で戦うな! 各自隣り合った者と組め」
突然の乱戦に、信兵長の号令が響く。その時点でバッシのすぐそばには〝突然死〟のハムスが居た。
彼との間には二体の肉男、後ろにはジュエルが控え、周囲には霊化したウーシアが空間に身を溶かしている。
ハムスの目が光った気がして、彼の背後をつこうとする肉男を斬ると、またもや赤黒い空間が発生した。その瞬間に高濃度の銀光を発生させると、鈍くなった動きの隙間に、異空間を発生させる境界線を見た。
肉男の表皮と鋼の大剣の隙間には、ゾッとするほど奥深い空間が口を開けている。そこには微細な光を受けた粘状の何かが満ちていた。
ほんの一瞬、剣先の髪一本分だけに紫光を纏わせると、その空間に刃を滑り込ませる。銀光が弾かれるように解かれ、銀光と紫光の同時発動に灼かれた脳が視界を狂わせるが、一瞬後に崩折れたのは肉男の方だった。
その見事な剣筋にハムスから、
「おお!」
という感嘆の声が上がる。霞む目でバッシが見ると、どうやったのかは分からないが、ハムスの足元にも肉男が横たわり、弛緩した肉を地面に広げていた。




