二つの再会
闇に支配された大穴に、蠢く肉の擦過音が響く。岩に叩きつけられる分厚い肉壁から溢れ出る分泌液には、高濃度の瘴気が含まれており、乾燥とともに漆黒の硬殻を形成すると、その隙間に無数の触手がのびていった。
巨大黒ミミズ、一言で闇龍を例えるならばそれが当てはまるだろう。だがその全長は1キロメートルを超え、大型家屋をも飲み込む穴を苦しそうに押し拡げるさまは、誰にも確かめようがない。
巨体の両端に穿たれた食穴には、最も硬い尖状鋸歯が多重螺旋を描き、飲み込んだものを奥へ奥へと切り裂き、すり潰すように並んでいる。今は獲物を欲する蠢きに軋み、地鳴りのような不快音を放っていた。
「お宅のドラゴンちゃんお腹減ってるみたいだね〜?」
少年が穴から覗き込むと、即座に反応した触手が殺到する。身軽に回避すると、横に立つ闇人形に絡みつき、強引に引きずり込もうとした。
瘴気渦巻く触手をさらに濃い闇が分断する。地面に投げ出された闇人形は受け身を取る事も出来ずに棒のように転がされ、すぐそばをタンたんが浮遊した。
「あんたのペット、しつけがなってないよ」
触手を断ち切ったピノンが闇に笑いかけながら、威嚇するタンたんに手を広げて見せると、闇人形が立ち上がるのを待って闇のいる場所へと進む。
闇人形は内包するリロの意思など関係なく、機械的で力強い歩みを見せるが、薄皮一枚で顔の隆起を見せる頭部は喘ぐ少女の苦面を現していた。
向かう先は長年吹き付けられた瘴気によってできた祭壇。黒々とした煤の天蓋を纏う巨大な吹き抜けが、地下空間を貫いている。
祭壇の奥から真っ赤に光る目がタンたんを射すくめると、封印されたP666の真っ黒な紙面から淡い光が放たれ、空中に幻像を結んだ。
「私達の弟子を攫うとはどういう了見でしょう? 返答次第では全てを燃やし尽くします。すぐさまリロを解放なさい」
画像に現れた、純白のワンピースに身を包んだ優しげな少女は、しかし数百、数千年存在し続ける威厳をもって闇に抗議した。その奥では、弱ったタンたんへの魔力補填のために幼児返りしたリリが、
「そうだそうだ! リロを離せ!」
と届かぬ闇にパンチを繰り出し続ける。他の少女達は、動向を見守ってブレながらも一つに固まっていた。
「闇龍の殻で出来たこの軛を剥がす事は出来ないよ。もし強引に引き剥がしたら中の者の命はないかもね。すでに一つの生命体として機能しているのさ」
横手からピノンが説明する。その場違いな陽気さが、魔導書の巫女達をいらだたせた。
タンたんから不穏な魔力が立ち昇っていく。熱せられた空間に魔光の蜃気楼が現れると、その様子を見たピノンが慌てて、
「早まるなって、元に戻す方法もあるんだよ、ね?」
と場を取りなす。闇は光る目を揺らしながらようやく重い口を開け、
「我々は元をただせば一つ、お前達が書を持つように、我々は虫を所有する」
と自身の足元から真っ赤な百足を現した。その存在は以前ジュールス導師が喚び出し、討伐した赤虫として、巫女達の記憶に刻まれている。タンたんと同じく獄火の力を排気せしむ能力を持つ赤虫……一度滅して小さく復活したそれは、威嚇するタンたんに敏感に反応しながら軛人形に絡みつくと、老人の顔を上げた。
「知っておるぞ、お主らが何を待っておるか」
その面相はまさしくジュールス導師のものであり、言葉を受けた巫女達に動揺が走る。
「勇者は現れぬ、周期が違うのは承知しておろう。そのための人造女神よ。我が教団の知識の蓄積を侮るなよ」
下卑た笑いを貼り付けた老人は、赤虫の多足をもって軛人形の全身に絡みつくと、闇を振り返った。
「虫と書は等しく役割を担う、我々もな」
地の底から響くような闇の声に、真実を射抜かれた巫女達は顔色を失った。
*****
シアン達を破った後も、彼の所属していた青血戦士団のリーダー、テオドールが襲ってこないかと、バッシ達は警戒しながら進んでいた。そんな中、先頭を行くウーシアの鼻が懐かしい匂いを捉える。様々な食材の匂いに混じる血の臭気、そこに浮かんだのは中肉中背の男の姿ーー
「うん? ベイル君ワンウ?」
意外な人物の名前が出て、疲れ切ったジュエルは、
「こんな所に奴が居る訳ないだろう」
と指摘すると、
「ところがどっこい、居るんだよ〜。奴だなんてひど〜い、ベイルちゃんって呼んでね〜?」
と声が届いた。驚いたジュエルが、
「どこだ? 何故ここに?」
と見回すと、木の上から、
「ここだよ〜ん」
と逆さに身を吊るした後、幹を伝い降りてくる。その姿は紛う事なき流浪のコックにして、冒険者ギルドのA級工作員ベイルであった。
その姿を確認するや、
「ベイル、リロが拐われた」
と大柄なバッシがすがるように腕を捕まえる。覆いかぶさる巨体に焦ったベイルは、
「分かってるよ〜、その事で追いかけて来たんだけど、間に合わなかったね〜」
と手で制しながら遠方を指した。そこにはベイルの指示を待つ者達が待機している。その中にはゲマインのパーティーで副リーダーを務める女戦士、ゼバスの姿もあった。
実戦に鍛えられながらも皮下脂肪を蓄えた腕を上げ、長剣を示している。よくみるとそれはテオドールが愛用していた派手な護拳を持つ魔剣だった。それはつまり、彼女がテオドールを仕留めたという事だろうか?
「今回の件では、テオドールが糸を引いていたみたいね。とはいってもリロ襲撃は別件、そっちが私達の本来の獲物なんだけど」
と言って魔剣を地に刺す。やはりシアン達の襲撃とリロ誘拐は別口だった……だとするとリロを連れたピノンは、誰の命令を受けて動いたのだろうか? バッシが答えの出ない疑問に頭を巡らせていると、
「僕たちと手を組まな〜い? これから少〜しヤバイ事になりそうなんだ〜」
とベイルが誘う。
「手を組む? 冒険者ギルドには所属しているし、ゼバスさんは我らが所属している大門軍団の古参幹部ですよ?」
ジュエルがよくわからないと訝しむと、ニヤッと笑ったベイルは、
「それもそうだけど〜、もっと大きな枠組みの話さ〜。我ら〝禿鷹〟と協力しないか? ってお誘いだよ〜」
〝禿鷹〟と聞いて、バッシの心臓が跳ねる。たしか土巨人タイタンを討伐した時に、彼をして地上から追いやった組織の事を禿鷹と呼んでいたはずだ。
そして禿鷹は逃亡した魔法王国の兵を追跡していたと聞く。そうなればバッシも狙われる立場なのではないか?
ゆっくりと柄に手をかけるバッシを見たべイルは、それも先刻承知と、
「大丈夫だよ〜、禿鷹なんて言っても〜、戦後補償の互助組合みたいなものさ〜。巨人も補償物件の一部だけど〜、名前付き以外は回収してないから。安心して〜」
と手のひらを泳がせた。魔法王国の進んだ魔法技術は、対戦国が喉から手が出るほど欲したのだろう。そして連合軍は戦利品を残さず均等に分配しなければ、破状する。
「僕らは下っ端の実行部隊さ〜、ゲマインもね〜。因みに実行部隊の長はギルドマスターのハムス君だよ〜」
ーーでは最初からバッシは泳がされていたという事か。それでここまで来れたという事は、暗に認可されたという事なのかも知れない。でも今は何よりもリロである。
「リロが、仲間が拐われて、行き先が分からないんです。何でも良い、何でも協力するから、彼女の行き先を探ってくれませんか?」
ベイルにすがっていたバッシが、今度は地に頭を擦り付けて懇願する。突然の事に面食らったベイルは、涙まで流すバッシの顔を上げさせると、
「既に探りはいれてるから〜、とにかく一旦本部に行こうか〜」
と慰めた。死刃のウンドによるリロ襲撃も、聖都でのリリ襲撃も、彼が全てを未然に防いでくれた。その信頼感にほんの少しだけバッシの気持ちが安らぐ。
「参加、で良いよね〜?」
と見つめるベイルに、ジュエルが頷きを返すと、待機していたメンバーが馬を引き連れて来る。当然のように騎乗できないバッシは、しかし行軍の中でも常に先頭付近を伴走しつづけた。
*****
ゲマイン達〝大門軍団〟の名前の由来となったアレフアベドの大門から、内側に沿って歩く事しばし。街壁同様に分厚いレンガ造りの建物が、巨大な柱と柱の間にひっそりと建っていた。
外部の人間から見れば、街壁を補強するための資材倉庫にしか見えず、実際レンガや土嚢など、いざという時の補強材料置き場としての機能を果たしていたが、その奥には秘密の通路があり、領主の管轄下に、ある組織が集会所として使用していた。
〝禿鷹〟
と呼ばれる、魔法王国から被害を被った連合国の互助組織がある。
主な任務は各地に散った魔法王国の遺産を管理、分配する、いわば管財人のような存在であったが、各国が莫大な利益を奪い合う最前線に送り込んだ、エリートの集まりといっても過言ではなかった。
転移の女神を信奉する〝真国〟も初めは連合国の中心的存在であり、連合国の旗印には転移の女神を意匠化した螺旋紋が描かれているほどだったが、戦後魔法王国の遺産を独り占めしようとする強硬姿勢に、各国が反発、禿鷹は真国の極右組織〝ファンダム〟と幾度となく暗闘を繰り広げるようになる。
禿鷹も単体ではとっくに潰されていただろう。だが彼らには強力な味方勢力がいた。聖都セルゼエフの大教皇を中心とした旧来の宗教組織、正ハドル教会である。
国をまたいで全世界的規模で信奉されているハドル教の後ろ盾は、禿鷹に侮れぬ金の力を与え、さらに回収した知識や魔法道具、人造人間などの魔法生物は、そのまま組織の強化に反映されたーー
その厳重な警備を誇る禿鷹の拠点に、獲物を狙うネットリとした視線を送る者達がいた。
「ベイル達は出ていったんだな?」
連絡役の男が尋ねると、一市民に偽装した男が、
「はっ、トゥーマルタスのゼバス他、数名の猛者を引き連れて、山岳部に向かったとの報告を得ております」
と野伏のまま報告した。その場から三日以上動かず、大小便も垂れ流しの男は、充血する目を敵拠点に向けたまま、固まったように微動だにしない。
「もうすぐカース様の本隊が到着する、それまでしっかり見張りを続けよ」
補充の覚せい植物と最低限の食料を置いた連絡員が姿を消すと、植物の蕾を一噛みしてから歯の裏に詰めて、再び監視を続ける。その日の午後、うなだれる巨人を連れたベイル達を確認すると、彼らが拠点の隠し通路に消えていくのを見守った。




