少年と傷痕
舞い上がる土煙を吹き飛ばし、大きく口を開ける巨獣の黄色い牙角が、掻き消えんとする聖守護力場の青光を反射して緑色に艶めく。
その突き上げに素早く反応したバッシが、紫光輝く大剣を打ち込むと、硬い牙角を支える大地そのもののような手応えが返ってきた。
表面を覆う風刃は破魔の剣が打ち消したが、足場を失ったバッシは超質量の突進をいなす事ができず、巻き上げられそうになって、なんとか龍装の足爪を巨獣の口唇に引っ掛けた。
剛毛に覆われた肉厚な粘膜は、ぬめりながらも足爪に掴まれて震える。その足を曲げて、巨獣の側頭部に一撃を食らわせようとした時、独立した生物のように跳ねた長い鼻が、鞭のようにしなりながらバッシを薙ぎ払った。
水精の飛沫が刃物のように空間を切り裂き、鼻を覆う剛毛が、土精の強化を得て棘状武器のように逆立つ。
刃角を合わせて迎え撃つが、とても真正面から受けられる威力ではなく、僅かに軌道を変えるのみ。さらに膨大な筋力で無理やり軌道を変えられた長鼻は、真下に向けてバッシを払い落とした。
〝バッシ〟
銀光の世界の中で、一足先に地面を蹴り込むと、真上から押しつぶそうとする長鼻を避けるように、横っ跳ぶ。それと同時に、巨獣の眉間で小さな爆発が起こったーーウーシアの投魔石だ。
銀光の世界が解かれると、巨獣は咆哮をあげながら、長鼻の水柱をウーシアに放った。もちろん既にその場所に彼女はいない。
地面に転がり、足をついたバッシは、掘り起こされた木の根に足爪を引っ掛けながら、巨獣に向かって跳び込んだ。
猛り狂う巨獣の気を惹くように、ウーシアの投魔石が放たれる。それに向かって巨獣が再び水柱を放つと、周囲に発生した霧がバッシを覆い隠した。
その時、後方から弾丸のようにジュエルが突っ込んできた。盾を前面に構えた後ろ手には、溢れんばかりの聖光をたたえた聖戦槌が青い尾を引く。
真正面からの分かりやすい突進に、風刃を纏わせた牙角をぶつける巨獣。魔力の火花散る衝突に耐えたジュエルは、押し合いに半ば地面に埋まりながらも下顎に戦槌をぶち込んだ。溜め込んだ聖なる力を戦槌で爆発させるホーリー・バーストの一撃に、巨獣の顎が鈍い音をたてる。
そのまま押し込もうとしたジュエルの頭上に、遠心力を乗せた長大な鼻が振り下ろされた。それは土精の棘を纏い、水柱を噴射しながら、風精の勢いを乗せた三精一体の一撃ーー
その時、真横に跳び込んだバッシの斬撃が牙角に食い込み、切断した長鼻が踊るように宙を舞う。
行き場を失った三つの精霊が、反発を起こして巨獣の切り口で爆ぜる。その爆風からジュエルとウーシアを庇おうとしたバッシは、避難する最中、目の端にあり得ないものを見た。
それは巨獣の影から伸びる人影、一瞬だけ捉えた小さなそれは、バッシの記憶に深く刻み込まれた〝傷〟そのものを具現化させた存在ーー
〝ピノン〟
死んだ筈の少年が、暗がりから飛び出していくのを確かに見た。直後の爆風から二人を守るために紫光を纏い丸くなったバッシは、分厚く張った龍装で地を撥ね、龍爪で地面を捉えると、少年に振り返る。
そこにいたのは紛う事なく、あの時死んだ少年ピノンだった。当の本人は笑顔を見せながら、余裕を持ってバッシを見ている。その横では、黒い人型の何者かがリロに襲いかかっていた。
タンたんの火柱が迎撃して、周囲を赤く染める。全てを蹂躙する地獄の業火が人型を覆った時、黒く艶めく皮膜が業火を弾いて人型を保護した。
なおも吹き付ける炎によって赤熱化する人型が、皮膜を溶失しながらもリロに迫る。溶けた表面が柔らかくめくれかえり、胸元の宙空を晒したかと思うと、内側から多関節の爪がゾロリと伸びた。
同時に噴き出した大量の瘴気が、火柱と反応を起こして、一瞬その方向を逸らす。その隙に飛びついた黒人型は、沢山の爪でリロを掻き抱くと、抵抗する彼女をその内側に取り込んでしまった。
間に合わないとふんだバッシが、咄嗟に鎌鉈を投擲する。しかし内側にリロを取り込んでいるからには、黒人型の表面しか狙えず、自然と遠慮がちなものとなった。
勢いを殺した鎌鉈が空中で弾かれると、それを打ち落とした戦輪を投擲したピノンが、返ってきたそれを右手人差し指で迎え入れ、不敵にクルクルと回して見せる。
憤るバッシの懐中から、ウーシアが投魔石を放つも、そのことごとくを黒い戦輪が切り裂き、空中に爆ぜさせた。いつの間にかピノンの左手から放たれていた戦輪を今度は左手人差し指で受けると、まるで悪戯が成功した子供のような無邪気な笑顔で、二枚の円盤を回して見せる。
その目に、ウーシアが懐から取り出した八咫の光が射し込む。眩しさに手で覆う隙に、大股で迫るバッシの大剣が伸びた。すんでのところで闇に逃れたピノンは、
「危ないじゃないか! 傷ついたらどうするのさ」
と怒ったような声をあげながら、黒人型の足元に出現した。その目は愉悦に歪み、容姿の幼さとのギャップが見る者を不安にさせる。
「ピノンか? どうして?」
沢山の事が同時に起きすぎて、パニックを起こしそうなバッシが、泣きそうな顔で尋ねる。その間にも体は動き、黒人型に捕らえられたリロを救出しようと、大剣を振るった。だがその軌道にタンたんが立ち塞がると、警告を発するように小さな火柱を放つ。
それは紫光に触れると、呆気なく掻き消えたが、バッシの出鼻を挫くには充分だった。
「そうそう、獄火の魔導書は理解が早くていいや、いや、中身のお姉さん方かな? いいかい、こいつに手を出したら、中身の女の子もただでは済まないよ、いいね?」
黒人型の太ももを叩きながら、ピノンが宣言する。リロを取り込んだ黒人型は、彼女の形に収縮していくと、その頭部に苦しむリロの顔形を現した。
「リロ! リロを返せ」
ジュエルが、ウーシアが、ピノンに飛びかかるが、黒人型が前に出ると、手を出せない二人は回避するしかできなかった。
「逃がさないよ」
と聖守護力場の中に皆を取り込もうとしたジュエルに、
「遅すぎだよ」
と余裕をもって影に飛び込んだピノンと黒人型が、地面に開けた闇の穴に消える。
「リロ!」
手を伸ばしたバッシが掴んだのは、穴が消えた後の地面だった。手の内の土を信じられない様子で見ると、ウーシアに、
「奴らはどこだ? どこに消えた?」
と血相を変えて尋ねる。強い力に揺さぶられたウーシアが申し訳なさそうに首を振ると、それを見たバッシの膝が折れ、激しいショックに胸が痛んだ。
「どうすれば良いんだ!? どうする?」
自分でも抑えきれない衝動に、バッシがジュエルにも詰め寄る。その首元にある龍鱗を掴んだジュエルが、口元に引っ張り寄せると、
「落ち着け、できる事をするしかない。ウーシア、先ずはお前の嗅覚になにか引っかかるものがないか、しっかり調べろ。バッシも感覚鱗を立てて、周囲を探知するんだ。遠くに逃げたとは限らんぞ。パニックを起こしている暇は無い」
と低い声で言い聞かせた。バッシは焦燥感を抑えるために深呼吸しようとするが、溺れかけた時のように空気が浅くしか入ってこない。とにかく言われた通りに感覚鱗を立てるが、そこには閑散とした山の雑音しか入ってこなかった。
結局何も分からないまま、三人は呆然と立ち尽くすと、
「この依頼自体が罠だったのか……ギルドに調べてもらうしかあるまい。ゲマイン達追跡のプロならば、何か分かるかも知れない」
というジュエルの言葉に、力無く頷き、アレフアベドの街に引き返すことになった。
黒人型から伸びた爪の禍々しさと、その頭部に張り付いたリロの苦悶の表情が、バッシの脳裏から離れずに、黒い感情が胸を締め付ける。そこにピノンという要素が絡み、混乱がおさまらなかった。
「何故だ? 何故ピノンが生きている? なぜリロを攫った?」
思わず溢れる呟きは、誰に向けたものでもないが、隣を歩くジュエルの中では、ピノンという存在が〝大がかりな罠に嵌められているのではないか?〟という漠然とした不安を覚えさせた。
ギルドに向けて毅然と最短距離を進むが、親友とも言える仲間を奪われたジュエルの心も乱れ、早くゲマインに相談したいと、気ばかりが焦り始める。
一人ウーシアだけは、手中の八咫の光から伝わる感覚に思いを馳せていた。最後に目潰し代わりに当てた光が、何らかの作用をしているらしく、ジンワリと淡い手応えがウーシアに訴えかけ続けている。
それが何かと問われれば、全く言葉に出来ないほど、ごく弱い感覚ーー反対の手に霊剣を形成すると、反応した鏡面が色づき、何かの像を現そうとした。
その事を知らせようとした時、
「聖騎士団! いや偽騎士どもよ! お前達は包囲されている。速やかに武装を解き、縛につけ」
と森林に大声が響いた。




