Go! Go! ゴブリンズ
大国間を繋ぐ比較的整備された街道を、六頭立ての大型馬車が行く、その前方に子供のような人影がポツンと立っていた。それは間近になるにつれて浅黒い肌に、尖った耳、その根元まで裂けた口が視認され、人では無い事が分かる。
〝ゴブリン〟
街から離れた森林などにごく一般的に見られるモンスターで、群れを成して人を襲う事はあるが、一体だけを取れば一般男性が十分相手取れる程度の脅威でしかない。
ましてやこの馬車は、武装した護衛達を乗せた交易商のものだ。大きな群れならばまだしも、一匹のゴブリンなど恐れるに足りない存在である。
馬車はそのままの速度を保って、道の真ん中を走り抜けようとした。だがゴブリンはボンヤリと突っ立ったまま、不敵にこちらを眺めている。
万が一馬に怪我をさせては不味い。
御者の隣に腰掛ける護衛が、つま先にクロスボウの先端を引っ掛けると、体重をかけて弦を引いた。そして溝に太矢を置くと、照準器を合わせてゴブリンの胴体を狙う。
それはいつもの簡単な仕事だった、多少の揺れはあるものの、長年馬車護衛を生業としてきた男にとって、目をつぶっても当てる自信のある何気ない射撃。野太い鉄弦の音に、太矢の命中を確信した男は、地面を穿つ小さな音に違和感を覚える。
勢いをつけたままの馬車がゴブリンの側を通り抜けた。怪訝な表情を浮かべる護衛も、気のせいかとクロスボウをしまった時ーー目の前にゴブリンの牙が迫る。
咄嗟に手でかばう護衛に取り付いて、首筋に噛み付くゴブリン。その鮮血が吹き出して御者にふりかかる。そのままもつれあうように、御者台から落下した護衛とゴブリンは、車輪に巻き込まれて鈍い音を立てた。
騒然となる車内、護衛の血に染まった御者が、一先ず馬車を止めようと手綱を操作すると、周囲を確認した後部の男達が「止まるな、走り抜けろ!」と警告する。
そこに街道脇の森林から、小さな影が飛びかかってきた。その数は一匹や二匹ではない。数十の影が大木から飛び降り、下草の影から躍り出てきた。
森の中の街道を、ゴブリン達をぶら下げた馬車が疾走する。小さな石を踏んでも大袈裟に跳ねるほど、限界までスピードを上げた馬は、血管を浮き上がらせながら熱い息を吐き出した。
馬車の幌に飛びついた者から先に、鋭い爪や手に持つ錆び剣で、生地を切り裂き侵入すると、中から悲鳴があがる。その甲高い声に暴虐性を喚起された襲撃者は、人ならざる踰越の咆哮を上げた。
ゴブリンの恐ろしさは集団になった時に発揮される。身体的不利を覆す数の暴力。他種族をも孕ませる事ができる繁殖能力は一番の脅威であり、それ故に毛嫌いされる彼らは、どの地域でも常に討伐依頼と賞金が掲示されていた。
だがどこかおかしい。ゴブリンとはこれほど力強く、痛みを恐れず、協調性をもって動く種族であったか? 護衛の剣を受ける力は互角かそれ以上に強く、馬車に飛びつくスピードは人を遥かに超越し、腕を斬り飛ばされても、ひるむ事なく攻撃してくる。
何とか馬車のスピードを保って、犠牲を出しながらも飛びついてくるゴブリンを排除しようと奮戦した。彼らとて護衛にかけては一流と呼ばれた冒険者達だ、ゴブリンごときに遅れをとっては、商売上がったりである。何とか馬車の真ん中に固まり、悲鳴をあげ続ける商人だけは守り抜かねばならない。
その一心で街道をひた走る、すると前方が少し拓けてきた。周囲に森林さえなければ、側面から跳びつく事も出来ない。皆がホッと胸を撫で下ろした時、眼前に広がったのはーー死屍累々の戦場跡だった。
至る所で武装した人が倒れ、地面を覆い尽くしている。その凹凸に乗り上げた馬車は、勢いのままに横転すると、積荷もろとも地面に投げ出された。
呻き声をあげながら、痛む身体を確かめた護衛は、奇跡的にも軽傷である事を神に感謝しながら立ち上がる。
地響きに顔を上げたその視界には、数えきれない程のゴブリンが迫り、立ち尽くす男を一瞬にして飲み込んでいった。
〝子供達〟の視界を通じてその様子を見ていた女王は、
〝あらあら、はしゃいじゃって、怪我しちゃダメじゃないの〟
とゴブリン達の狼藉を楽しむ。
〝全てのものを犯せ、潰せ、蹂躙しろ〟
ゴブリンの女王が教授の居所に向けて移動を始めることしばし、途上の村や街は根絶やしになるほどの損害を受け、訴えを受けた地方領主は武力を結集させて討伐に当たった。
短期間で集めたにもかかわらず、その数は千を超える。それは人間がゴブリンに対して抱く忌避感を表していたが、領主からすればもっと数を揃えたいところであった。
地方領主の手持ちの軍勢などたかが知れているし、近隣の冒険者や傭兵を掻き集めるのにも限界がある。
さらに故郷を焼き討ちされた一般人の義勇兵も多数参加しており、実質軍隊というには無理のある寄せ集めの集団であった。
だが相手も組織だった軍隊を作るほどの知恵の回らないゴブリンの事である。戦争経験者である領主は、取るに足りない相手であろうと、たかをくくっていた。
その軍勢は、たった一日にして崩壊する。自らの肉体欠損をも意に介さぬ爆薬小鬼の大軍は、身の丈2メートルを超すキング種の、更にはその上位に君臨する女王の統率の元、一糸乱れぬ進軍を見せ、ゴブリン達の気勢に飲まれた前線の戦士達をすり潰すと、寄せ集めの領主軍を呆気なく蹂躙した。逃走を図った領主の元にも、猛追するウォー・ゴブリンが迫る。
「バイル卿をお守りしろ!」
怒号をあげる側近とともに、固まって馬を走らせる、その足元に猛然と追いすがる黒い影がチラついた。
馬の足蹴に潰されながらも、噛み付き、爪を立ててすがりつくゴブリン、更には騎士剣に切り飛ばされて片腕になったゴブリンも、残った腕で騎士に掴みかかると、さらに数匹のゴブリンが纏わり付いて、騎手を引き摺り下ろそうとした。
ついには領主の馬にまで飛びついてきたゴブリンに、戦場で鍛えた剣を振るったバイルは、その手応えに恐怖を覚えた。
剣身の根元を咥え込んだゴブリンが、口を切りながらも汚らしい爪を突き立ててくる。腕の痛みに思わず離した剣が馬具のあぶみを傷つけると、夢中で絡みついてくるゴブリンを振り解こうと、力んだ拍子にベルトが千切れた。
足場を失って地面に放り出されるバイル、彼が最後に聞いたのは、地面に打ち付けられて鈍く折れる脛骨の音と、殺到するゴブリン達の叫声であった。
地方領主バイル敗れる、その報を受けた国は、ようやく重い腰をあげる。たかがゴブリンの群れと侮った軍はそれから二度、三度と敗戦を繰り返し、ようやく本腰を入れる頃には、首都にほど近い城塞都市にまで迫られていた。
信じがたいゴブリンの侵攻速度に焦った軍は、全戦力の半数近くを前線に投入、その数は五千を超え、その完璧な布陣に国内随一の名将を据えると、誰もが勝利を確信したーー
結果、女王の軍勢は大きく数を減らしながらも侵攻を止めず、城塞都市は陥落。国王は残りの手勢で首都を固めると、ゴブリン達の襲来に備えた。
だがゴブリンの軍勢はその横を素通りしていく。呆気に取られた国王が、その進軍跡を探らせると、ゴブリン達の通り道は、見事な直線を描いていた。
その先には、隣国との国境線、そして地方都市を通って、大都市に行き当たる。
ゴブリン達の猛威に肝を冷やした国王は、追撃を進言する軍を黙らせると、静観を決め込んだ。そうして国には再び安寧の時が訪れる。各地の被害は甚大で、復興に向けての目処は立たなかったが、時とともにいずれは癒えるだろう。隣国に抜けていった脅威さえ戻ることがなければ……
*****
女王は満足の笑みをたたえ、教授の足元に平伏していた。そこは大都市に至る途上の地方都市。既にゴブリンの軍勢によって陥落された都市は、阿鼻叫喚の地獄と化し、その管理者たる女王の子供達は、すり減った兵力の補強に勤しんでいる。
領主の館の主人の間には、素っ首を晒す領主の死体を横目に、教授が大椅子に座り、側には将軍が片膝をついていた。
あれほど望んだ教授を前にして、女王は破壊衝動と欲望を垂れ流しつつも、手を出さずにいる。それは真横にひざまづく巨人の威圧感のせいか、教授自身の発するフェロモン様の魔力のせいかは判然としなかった。
「良い所でしょう? 貴女達にはピッタリだと思って、ここでお待ちしていました」
教授の言葉が甘く耳を打つ。女王は半ば聞き取れない発語とともに、
〝まっていてくれた〟
と念話を放った。それを満足気に受けた教授は、女王の側に歩み寄ると、甲殻に覆われた頭部に触れて、
「そう、愛しい我が子達を産み落としてくれる、貴重な代理母ですもの」
と呟きながら、表皮を撫で回す。その一部に口づけると、体液の滴りを舐めずった。その愉悦に女王が身震いする。
「もっと産んでもらおうと思って……素晴らしい物を用意しているのよ」
と教授が誘った地下室には、様々な実験道具とともに、爆薬小鬼などの検体が保存された薬壷が並んでいた。
半透明の壷の中身は、時折痙攣のような胎動を繰り返している。それらを目にした女王は、新たな種を身籠もる予感に産卵器官を震わせた。
「新しい試薬を使って進化したこの子達と、貴女や貴女の子供達が混じり合った時、女神の尖兵にふさわしい、真の兵士が生まれるのです」
と愉悦の表情を浮かべる教授、その言葉を聞いた女王は、自分が何のためにこの世界に来たのか、やっと腑に落ちた気がした。
〝女神様の兵を産む〟
使命覚醒の多幸感に浸された脳が、下腹を燃え上がらせる。その欲望に巨体の隅々まで浸潤されると、女王の思念波はゴブリン達にも伝染していった。
「そう、転生者たる貴女ならば、新たな兵に転生者を喚び込む事もできるでしょう。それこそが女神に仕える神兵、我らに並び立つ者の誕生を期待していますよ」
教授の真っ赤な唇が吊り上がる。その横では無表情な将軍が、熱に浮かされたように騒ぐゴブリン達を静かに見守っていた。




