船上の四人
ヤマタから大陸へと向かう大型の帆船に乗り込むと、後はひたすら待機という、久しぶりにゆっくりとした時間が流れた。
とはいえ、バッシにとっては貴重な修練の時という認識しかなく、巨体が邪魔にならない甲板前方にスペースをもらい、ひたすら大剣を振り続けている。
いまだ鮮明に蘇る剣聖ウォードの剣筋、そしてヤマタで出会った黄金剣のハンガウが見せた剣筋。動乱期にあって、あれから一度も手合わせできなかったが、彼女は間違いなくウォードに次ぐ剣の使い手だった。
そして霊能者オウの研ぎ澄まされた刀技ーーウォードにも感じた、意識に捉えられない剣の閃きーーその片鱗を掴んだ気がする。オウの場合は、それが〝霊感〟なる超越した感覚由来の剣閃だったが、ウォードの場合はどうだ? ひたすら剣を振るい続けた感覚由来のものではないか?
それら全てを合わせると、自分の剣はいかに力任せで〝固い〟かと思い知る。もっと速く、もっと自在にと、踏み込む足の力点や、捻り、指先の位置や神経のもちどころなどを工夫し出すと、きりがない。だが時折〝これだ!〟と思える瞬間が来て、それを捉えきったと思うと、また違う感覚に目覚める。
そこに紫光の力や銀光の世界といった要素を足すと、やる事は無限にあって先は見えないーーその浮遊感に、バッシは目眩がするほど歓喜した。
それを少し離れた所から眺めていたウーシアは、
「フゥッ」
と生温い息を吐き出すと、腰のポーチから一枚の銅鏡を取り出した。それはヤマタを離れる際にオウから手渡された〝八咫の光〟ーーかつて妖魔の手下が使用していたもので、元々は二剣一璽に次ぐ、ヤマタの神器だったらしい。
今回故郷を離れて、璽の後継者を探索するにあたって、オウより援助の品として渡された。
手のひら大のそれに映るウーシアの顔は、ヤマタに居る間に成長し、少し大人びている。リロと同じぐらいだった背も頭一つ分は高くなり、行動の端々にも以前のような弾ける感じが抑えられ、しととした艶のようなものさえ生まれ始めていた。
それもこれも、一心不乱に剣を振るう、あの男に対する恋慕故だろうか? 自分でもよく分からないが、バッシと繋がる度に想いは強まっていく。
もう一度温い息を長く吐き出すと鏡をしまい、代わりに霊剣を現す。その気配にバッシは剣を止めて振り向いた。
「お相手は要らないかワン?」
と滑るように近づくと、バッシがニヤリと口角を上げる。それだけで浮き立つ心を剣に焼べると、爆発的斬撃をもって、彼の懐に飛び込んでいった。
*****
ジュエルは一人、船内に与えられた部屋の机に齧り付いていた。ヤマタでの業績を報告書に纏め、ギルド幹部となったゲマインの推薦状と共に提出して、A級ライセンスへの足がかりを得ようとの目論見である。
既に根回しは済んでいるが、ギルドとて一枚岩ではない。それどころか、現在はギルド長派と有力貴族を後ろ盾に得た副長派とに分かれて、各種申請も滞っているという。
五年以内にS級ライセンスを得るという貴族復帰への条件、その期限もあと二年を切った。こんな所で足踏みをしている暇は無いーー硬く握り締めた拳が震えるのは、船上の揺れのせいばかりではないだろう。
偉大な祖父との約束、彼の理想を実現させるために人生を捧げると決めた。それなのに、スタートラインに立つ事すら困難を極める現状は、全て憎き実父のせいである。
贅沢にたるみきったその顔を思い出し、彼を堕落させた貴族達の謀略を憎み、祖父の掲げた改革の志を思った。それがどれほど茨の道であろうとも、押し通すと決めたのだ。そのためには力が居る。
〝聖騎士〟
という名の、確たる名声と、貴族階級という最低限の足がかりが。
そのためにはギルド長と副ギルド長の対立構造も、まんざら悪いとばかりは言えない。
安定した政権の元では新規パーティーの急成長など望みが薄いが、動乱期のどさくさに紛れれば、何らかの政治的都合でS級ライセンスというカードがきられてもおかしくはないだろう。
『無理を通せば道理が引っ込む、ならば道理を殺してでも無理の通る道を開けてやろう』
書類を作る手を再び動かし始めたジュエルは、持てる手駒を総動員して、何としてものし上がる決意を新たにすると、近頃ますます神通力を増してきた聖騎士の鎧が淡く発光した。
*****
バッシの休憩に合わせて、ポットにお湯を溜めたリロが甲板にやって来た。カチャカチャと茶器を揺らす、波に揺られて倒しそうになるのを、すんでで受け止めたバッシに、
「危なかった〜、ありがとうございます。さあお茶にしましょう。厨房で美味しそうなパイをいただきましたので」
ふんわりとした笑顔を見せて、魔法鞄から焼きたてパイの大皿を取り出す。大陸側から出航した船舶には、大陸のコックが搭乗しており、彼のふるまう料理はどれも美味しかった。
鼻をきかせたウーシアが、
「いい匂いがするワンウ、これはチェリーパイの匂いだワン」
と近寄って来た。
「ちょうど良いところに……ジュエルを呼んできてくださいな。ここの所机に齧りついてウンウン唸ってばっかりだから、久しぶりにお日様を拝まないと」
と言われて了承したウーシアは、踵を返して船室に向かう。
「ピーヒョロー……ヒョロヒョロ……」
と空を飛び交う海鳥の声に、木箱に腰を下ろしたリロが眩しい空を見上げた。水平線まで何もない青、迷宮漬けの毎日から久しぶりに解放された気分だ。
カップを湯で温めるバッシの手技を楽しげに見たリロは、魔法鞄の奥を探ると、
「大司教様が隠し持っていた茶葉を、ほんの少しわけていただいたの」
と言って掌を開けた。上質紙に包まれた乾燥新芽が、陽光を受けて産毛を光らせている。バッシが目を見張るのも致し方ない。これは大司教が自慢気に語っていた、黄金初芽という貴重な茶葉ではないか?
「いい香り、そういえばジュエルのお祖父様もこれが好きだったそうよ」
と言うリロから、茶葉の乗った紙を受け取る。湯を通す前の香りは、甘みの中にほんの少しスパイス香が混じっていた。ティーポットに入れると、上から湯を注いで蒸らしていく。白磁のなかで踊る茶葉は、黄金色の輝きで目を楽しませた。
「ジュエルのお祖父様?」
「そう、エメル・エ・ポエンシャル男爵、一代で大商人となり、貴族にまで成り上がった、ジュエルが最も尊敬する、いえ崇拝する人物よ」
黄金茶葉を覗き込むリロの緑の瞳も、キラキラと輝いている。その不思議な光に引き込まれるバッシに、エメル男爵の逸話が紐解かれていった。
*****
エメル・エ・ポエンシャルは、乾物の小商いから一代で財をなした人物であった。若くして軍隊に入り、槍持ちから平民では一番地位の高い部隊長まで出世した彼は、即引退すると、その人脈から軍に乾物を卸す権利を得て、一気に財を成す。
しかし、それだけでは単なる豪商の一人という地位に過ぎない。だが、彼が四十の歳を迎えた頃、転機が訪れるーー聖女が召還した〝勇者〟が彼の国に現れたのだ。
即座に組まれたパーティー、神の子ラウルや剣龍ミュゼルエルド、そして睡蓮火のリリ・ウォルタらを支援する王国にあって、辣腕をふるったエメルは、後援組織の中核に半ば無理やり潜り込む。
勇者が現れた元凶である悪神を倒す旅の過程で、エメルは勇者の居た元の世界の仕組みを学び、勇者はこの世界の理を学んだ。
半ば側付きのように共に悪神と戦い抜き、それを打ち倒した頃、エメルはその功績を讃えられて、準貴族の称号を得る。それは元の世界へと帰還する勇者との別れの直後だった。
貴族階級への誘い、それは勇者から受け継いだ、理想の社会実現のためにうってつけの機会であった。
その後は名声も手伝い、国の財政を司る内政府に職を得ると、改革に奔走し始める。だがそこで、旧来の政治を維持しようとする勢力との軋轢が生まれ、悩み、苦しむ時期が続いた。
さらに長年の無理がたたって内腑を病んだエメルは、一代限りの準貴族の称号をなんとか息子に受け継がせ、その意思をも継がせようとしたが……凡庸な息子は周囲を取り巻く誘惑に負け、腐敗していく。いや半ば貴族達に意図的に腐敗させられた。
薬物や不法買春、果ては非合法賭博等の犯罪行為にまで手を染める息子の尻拭いに、それまでの実績も信頼も無くしたエメルは、持病をこじらせて失意の内に亡くなる。
享年65歳、孫娘のジュエルが10歳の誕生日を迎える日の、朝の出来事であった。
*****
「勇者か……そんな事があったんだな」
すっかり冷めてしまった黄金紅茶を飲み干したバッシが、ため息をつく。異界から召喚された勇者の話は、以前リリを離宮に護送する時に聞いたが、ジュエルにも繋がる話とは……尊敬する祖父の非業の最期……その意志を継ごうとするジュエルの気持ちを初めて知った。
「そう、だから私は何が何でも聖騎士になって、祖国の貴族社会に復帰しなくてはならない。お祖父様の理想を実現するために」
いつの間にか甲板に上がって来たジュエルが宣言する。その後ろには、その様子を見守るようにウーシアが佇んでいた。
「そうか、Sランクがスタートライン、そして貴族社会の改革が目的とは、目標が高すぎるな。ギルド内部の後ろ盾もゲマイン程度では足りない、その後も考えると、国の重鎮クラスの後ろ盾がいるだろうな」
新たな茶葉で紅茶を淹れながら、バッシが素直に思うところを話すと、甲板に結わえられた小樽に腰かけたジュエルは、腕を組んで頷いた。
「おそらく真白の地宮での功績から、帰還後しばらくすればAランク認定を受けられるだろう。その根回しはゲマインが確約してくれた。だがSランク昇格となれば、それこそ世界を救うほどの働きが必要とされる。しかも一度では済まず、二度、三度とな」
湯気をあげるカップを持ったジュエルは、その特別な香気に目を見張ると、一口啜ってまた驚いたようだ。その顔に満足したリロとバッシは目を合わせて喜ぶと、
「そればかりは機を待つしかないわね」
とリロがチェリーパイをすすめた。そこに嬉しそうなウーシアが後ろから手を伸ばす。成長に合わせて、バッシとためを張るほどの大食漢となったウーシアにかかれば、パイの一ホールなど見る間に消えていく。
「以前バッシが聞いたというクロエが最後に語った件、真国と転生の女神にまつわる事案だが」
一切れをしっかり確保したジュエルが、口を赤く染めながら告げる内容に、これまた口を染めたバッシが固まる。かの偽神の件だ。
「周辺国との軋轢もあるが、どうやらギルドマスターのハムスも深く関わっているらしい。当然反マスター派の勢力にもな」
ジュエルがどうしてその辺の事情を知っているのかは分からないが、多分ゲマインから聞いたのだろう。それを語る目の光を見て、仲間達は皆、彼女が何を考えているかピンときた。
「かなり危ない橋を渡る事になるわね」
とリロが言えば、
「でも上手くいけば聖騎士への道がひらけるワン」
とウーシアが声を弾ませる。それを受けて一つ頷いたジュエルがバッシを真正面から見つめた。
「どうするかを決めるのはリーダーの権限、だろ?」
と会ったばかりに言われたセリフを突きかえすと、フッと笑ったジュエルが、
「ついてきてくれるか?」
と手のひらを差し出す。それをリロの手が、ウーシアの手が、最後にバッシが覆うと、
「もちろん」
揃った声が、晴天に放たれた。リロの腕の中では、タンたんが必死に〝も〟〝ち〟〝ろ〟〝ん〟とページをくる。
その様子におかしくなった皆が声をあげて笑った。内なる仲間達の手に愛しみの湧いたバッシは、その温もりの残る我が手で頬を覆うと、
〝バッシ〟
と鋼の精霊の声が聞こえる。ハッと頭を上げた彼を見たウーシアが、
「泣くことは無いワン」
と笑いながらバッシの目尻に光る涙を拭った。いま精霊から伝わった不安は何だったのか……茶会を再開するメンバー達を見るバッシの胸に、割り切れぬ思いが滞留し続けた。




