カースの思惑、オウの伏せ腹
黒螻蛄とアンデッドによって蹂躙されたヤマタ山麓は、地下まで蹂躙、汚染されたせいで、豊かな森林を失い、まるででたらめに刈り取られた頭部のように、無残な光景をさらしていた。
寒々しい風景は見る者を芯から疲労させる。特に長い年月を経てようやく故郷に辿り着いた者にとっては……
「グチリ」と沈み込むブーツの踵が得体の知れない物を踏み、そこからガスが漏れる。腐臭に満ちた黒土を進むウーシアは、敏感すぎる鼻を持て余していた。
慌ててガスを避けるものの、混じり合った冷たい外気は肺を汚染して、朝食べた物が逆流しそうになるのを堪えると涙目になる。
霊剣との同期にも乱れが出始めるほど、犬人族にとって好ましくない状況だった。
同じ犬人族のオウ・スイシは、しかし微塵も動揺したそぶりを見せず、目の前に陣取る軍勢を見渡している。
その視線は先頭に突出した馬上の男に定まった。
「私は反王軍指揮官オウ・スイシ・カニディエと申します。こちらはウーシア・クウ・カニディエ、同じ氏族の者です。この隊の指揮官と御目通りを願いますワフ」
と言ってゆっくり近寄ると、薄日に陰る馬上を見上げる。そこにはいたって目立たない、冒険者がよく使う厚手の外套を羽織った地味な男が、オウを値踏みするように見下ろしていた。
相手側もまさか敵とみなしていた集団の長が、単独で出向いてくるとは思っておらず、いささか機先を制せられたようすだったが、すぐに数名がいきりたって近寄る。
皆オウよりもずいぶん背が高く、馬上から押しつぶしそうな勢いで迫るが、オウはにこやかにそれらを迎えた。
隣のウーシアはハラハラと落ち着かなかったが、二剣の繋がりによって、
〝大丈夫、任せるワフ〟
と思念を送るオウを信頼して、引きつる表情筋と早鐘打つ鼓動を抑え、ぎりぎりの所で表面の平静を保っている。
「止まれ」
馬上のリーダーと思しき者が一声かけると、ビクン! とまるで鞭打たれたかのように反応した男達が、足を止めて固まった。その背後から、オウを見下ろし続けていた先頭の男が一歩進み出ると、
「私は大陸の冒険者クラン〝狂信団〟の長、カースと申します。話とは何でしょうか? このような不浄の地に長居したくはないのですが」
と暗い瞳で睥睨した。
〝きょうしんだん〟なるものが何を指すのか? オウと同期する思念によって、その意味を知ったウーシアは、自ら〝狂った信仰をもつ集団である〟と告げる目の前の男の心持ちを疑うが、言葉の中身よりも、そこに込められた呪いじみた念に寒気を覚える。
隣を見ると、名乗りを受けたオウが、
「お互いに損のない話だワフ、この場所が嫌なら少し先に祠があるから、そこまで先導しましょう」
と相手の瞳を捉えて言葉を馴染ませるように告げた。周囲の者達も、オウに対して明らかな侮蔑の目を向けつつも、どう反応すれば良いのかとカースの顔色を伺う。
カースは相手に誘導される不快感に一つ息を吐くと、
「異教徒の聖堂など心地よいものではないでしょうが、この腐った地よりもましですか……いいでしょう、ほんの少しだけ付き合ってあげます。しかし、無駄手間だった場合、容赦しませんよ?」
と最後の言葉に力を込め告げた。粘つくような赤みを帯びて、見る者の脳裏にこびりつくその瞳に、ウーシアは最近まで首に纏わり付いていた呪いの軛を連想した。それと同種の闇深いものが、カースの視線や言葉には練りこまれている。
身震いするのを堪えたウーシアは、背中をポンッと叩かれて正気を取り戻す。そうだ、この交渉次第では仲間に危害が加えられるかも知れないのだ。気張らねばならない。
オウは大丈夫だと言っていた。そして魂伴である二人に秘密は無く、オウの自信が根拠に裏付けられているものだという事は、充分に理解している。
心の中で、
〝大丈夫だワン〟
と呟けば、何も言わずともそれを理解したオウは一つ頷き先導する。
それに連れられた百を超える軍勢は、黙々と爛れた地を進み、装備品のたてる物音だけが、冷え切った腐土に吸収されていった。
「さあ、ここだワフ」
苔むした祠は、巨岩を積み重ねただけの簡素な造りであった。だが流石は聖地〝朱雀堂〟だけあって、その周囲は黒螻蛄の呪いの影響を受けず、清浄な空気に満ちている。
「異郷の聖地とはいえ、いささか放逐され過ぎていませんか?」
苔むした祠に目をとめて、まるで汚物でも見るように顔をしかめたカースがつぶやいた。そこにはなるべく近づきたくない様子で、しばらく馬首を巡らせては、清浄な土地の一番端っこで馬を降りる。
その周囲を、罠を警戒した冒険者のスカウト達が、せせこましく動き回った。それは無頼者の集まりである冒険者の集団らしからぬ、きびきびとした働きで、伏兵の気配も地面の乱れも無いと分かると、カースにその事を告げた男達は、たった三人の側近を残して遠巻きに退く。
カースの後ろに立つ三人……男女の別も分からないほど外套を深く被り、表情を全く見せない者達は、周囲に発散される気配によって、他の者達とは隔絶した実力の持ち主であると推測された。
だがどれほど霊剣の感度を上げようとも、素性を探る霊感には掠りもしない。中身の人物の核心に迫ろうとすると、その感知の力が逸らされてしまうのは、そうした感知を阻害する能力やアイテムを所持しているせいであろうか? そうでもなければ、ヤマタの聖地において最大限の力を発揮する、ウーシアの霊感が効かないなどという事態は説明できなかった。
警戒心に固くなるウーシアとは反対に、微塵の力みも見せないオウが、カースの元に歩み寄る。それに反応した三人の付き人が殺気立つが、カースは手で制すると、
「そこで良い、で、良い話とは何でしょうか?」
と尋ねた。その目は油断なくオウを捉えて離さない。何しろ先程オウが現れた時、その接近に誰一人として気付けなかったのだから。
「単刀直入に言うワフ、貴殿の真白の地宮への関与を取り止めていただきたい。それに時すでに遅し、貴殿が手を加える事は無理だワフ」
物腰は柔らかいが、頑として譲らぬ姿勢で話すオウに、カースの目が細まる。怒りに満ちた気配が場に充満して、その魔力は周囲の空気を冷やすほどに張り詰めた。
身を縮めるウーシアは、強張った手が動くかどうか確認しながら、カースから目を離せずにいる。その脳裏に、
〝男の目を見すぎるなワフ、幻術じみた呪いの力に囚われるワフ〟
とオウの声が響く。目線をそちらにやると、しかしオウは平然とカースを見つめて、微笑を浮かべていた。
どんな状況においても、どっしりと肝が座っている……どのような経験を積んできたのか? オウの底は知れず、今はそれが頼もしかった。
力み無い横顔に勇気をもらったウーシアは、身に張り詰めた力をほんの少しだけ緩めると、カースを観察する。
すると霊剣の導きか、右手に握り込まれたネックレスらしき大ぶりな飾りものから嫌な気配が滲み出ているのがわかった。
「あまり人をジロジロ見るものではありません、親御さんにそう言われませんでしたか?」
言葉はなおの事ウーシアを縛ろうとしたが、魂伴たるオウの存在は力強くウーシアの精神を支えた。
カースの言葉に従い目線を外すと表面だけ従う。言葉の呪いを撥ね退けられた事に気付いたカースは不服そうに鼻を鳴らし、
「あなた方には選択の余地はありません、何時でも我が軍勢をもって弱り切ったあなた方を攻め、迷宮も攻略できます。なのにその強気な物言い、気に食わないですね」
言うや、後ろに控えていた三人がオウに一歩近づいた。ゾロリと取り出したのは、鋭い刃に闇色の何かを纏った肉厚な短剣で、反対の手には扇型の盾が構えられている。
それを見て思わず臨戦態勢をとったウーシアを、またも念話で制したオウは、
「気に食わない事しか言えなくて悪いワフ、でもそれは変わりない真実」
と気張らずに告げた。だが言葉を発する場所には既にオウの姿は無く、皆の意識を外したオウ本体は、瞬間移動のようにカースの隣に立っていた。余りの唐突さに背後の三人も反応が遅れた、その時、
「我々に真白の地宮を任せれば妖魔は完全な眠りにつくワフ」
と囁いて、霊刀を引き抜いた。三人の闇剣がオウを貫くが、霊化した身体は闇を避けて霧散し、空間を白い閃光で満たす。
その一瞬で、カースは全てを理解した。オウが何者で、何を求めて、何を恐れーー何を知っているのか。
ウーシアの目の前で全ては止まっていた。カースも三人の護衛も、後ろに控える大陸の冒険者達も。
動いているのは白い光に包まれたオウと、祠の方角から滲み出る淡い光のみ。赤いそれは祠の主である朱雀の力で、カースに干渉するオウを助けていた。
その濃淡を見つめる内に、オウが隣に立っている事に気付く。ふと見渡せばカース達は動き、しかしその雰囲気は直前のものとは幾分違って見えた。
皆一様に穏やかな気配を発する中で、カースだけは錘でも飲み込んだかのようにうつむき、オウのメッセージを反芻している。
そしてオウを見上げると、無言のまましばらく見つめ、地宮と反対の方角に馬首を巡らせた。
そのまま三人の戦士の間を通ると、後ろに控えていた配下の冒険者達と合流してーー皆が無言のままゾロゾロと引き返して行く。
呆気にとられたウーシアが、
〝何があったんだワン? 何をしたワン?〟
とオウに思念を発すると、
〝ありのままを包み隠さず伝えた、それが彼らの真の目的と合致したんだワフ〟
と返事があった。そう言われて心の中で首を捻る。真の目的? それとオウ達反王軍の行動が合致する?
〝彼らは狂信団などと名乗っているが……女神の使徒だワフ〟
〝女神? クロエが恐れたという、大陸の転移の女神かワン?〟
〝そう、狂神とは幾つもある化身の一つだワフ、転移の女神というのも、その神の一つの姿に過ぎない。《悪神》……ここヤマタの地ではそう呼ばれているワフ〟
そこにオウのイメージが伝わってきた。人々を混乱に陥らせる、独自の理論体系を持つ異形の神とその信徒達。オウが過去に耳目に入れてきたイメージだけでも、その所業はまともな人間すら発狂させるに充分なものであった。
酷いイメージに酔ったウーシアは、胃から逆流してくるものを強引に抑えると、酸味に灼かれた喉から軛のあった首をさすり、遠ざかって行く軍勢を見続けた。
〝なんとか血を流す事なく彼らを追い返せたワフ、地宮に戻ってまた再建の作業を続けよう〟
と事も無さげに言うオウを見て、息を吐き出しつつ一つ頷いたウーシアは、そこで待つ愛しい人の顔を思い浮かべた。背の高い彼は今頃ウーシアを心配しているに違いない。そう思うと気分が新たにリセットされる。
無邪気な思考を共有したオウは、我が事のように素直に喜ぶと、ウーシアに対しての隠し事を苦味に感じつつ後を追った。
*****
三つ子の剣士と呼ばれる従者の内、常にカースの側に居る者が、
「カース様、よろしいので?」
と耳元で呟いた。もちろん彼もオウと朱雀の術にかかったため、彼の思惑は全て理解している。その敢えての質問に、
「うむ、私達はここまでですね。真の目的は他の全てに優先する。オウ・スイシの見立ては全てとは言わないまでも、おおよそを掴んでいました……」
カースは護符鎖を握りしめる手をジャラリと緩めると、信仰の力を身に馴染ませながら首に掛ける。その時蒸気のように立ち昇ったものに、三つ子剣士達は目を細めた。
「その上で捨て置いて良いという事ですね? 事情を知る者の危険性よりも、現状維持を優先すると?」
三人の内、真ん中に陣取る微妙に高く細い声が尋ねた。
しつこい念押しに、カースの眉が不快感を示す。だが他の部下達と違い、彼らを無下に扱う様子も無く、
「ええ、そうなります。ここは暫く放っておいた方が良い。妖魔以外は大した害にもならないでしょう。あの獄火の魔導書を除いてはね」
と言葉を返した。一番離れた剣士は、終始黙って聞いていたが、前方の気配に反応してカースの前に出ると、腰元の短剣に手をやった。
そこに現れたのは、森の影に潜んでいた立派な装備に身を包んだ戦士達。
「おや、テオドール様、こんな所で何を?」
と愉快そうに尋ねるカースに、鼻を鳴らしたテオドールは、
「ゲマイン達とは手を切って来た、だからお前達と同道する」
まるでそれが当然であるかのように告げると、後ろからは彼の仲間であろう者達が、ゾロゾロと出てきた。青血戦士団の面々である。
その華美な装束を見たカースは、細い目をさらに細めると、
「それはそれは、では大陸までご一緒いたしましょう」
と愛想良く告げた。それに対して当然とばかりに声かけもしないテオドールに、
「そうだ、一つ勇猛果敢なるテオドール様にお知らせしなければなりませんな」
とボソリと呟くと、テオドールは興味津々なのを隠そうともせずに、馬首を寄せる。それを見たカースは自然と上がる口角から、自尊心に満ちた耳に、甘い言葉を滑り込ませていった。




