主と従者と呪いの軛
「お前とオウ殿の関係は分かった」
上層部まで戻り、ゲマイン達とも合流したバッシ達は、迷宮内で一夜を明かす事になり、簡単な食事の後思い思いの場所で休息をとった。
その端で、ジュエルとウーシアの主従コンビは膝を突き合わせて久しぶりの会話を交わしている。だがそれは和気あいあいとしたものではなく、どこかよそよそしい距離を感じさせるものであった。
「で、奴隷の軛は何時から外れていたんだ?」
鋭い視線はウーシアの首元に注がれる。殺生石に取り込まれたどさくさで外れたチョーカーの下には、本来あるはずの奴隷紋が、何の痕跡も残さず消え去っていた。
ゴクリと生唾を飲むウーシア、嘘でごまかす事もできるが、お互いに深い仲だ、どうせ表情でバレてしまうならば、ここは……
「峡谷で女神と戦った時だワン、女神の波動を受けて奴隷の軛が外れたんだワフ」
意を決して本当の事を告げた。思わず閉じた目を恐る恐る開けると、真一文字に噛み締めたジュエルの口がへの字に歪んでいる。
その目は一瞬頼りなげに潤んで見えたが、すぐにキッと吊り上がると、
「お前の主人は私だ! その事は忘れさせない」
厳然と宣告する、その言葉はウーシアの胸に重い楔となって突き刺さった。
確かにその言葉通り、ウーシアはジュエルの所有物である。社会的にも、物理的にもそうであった……かつて奴隷紋が有った時は。そして大陸に戻れば、再度契約を結びなおし、絶対服従の奴隷紋を刻まれるであろう事は容易に想像できる。
それこそ奴隷商人の矜持にかけて、女神の波動にすら掻き消されない、かけた本人にも外せないほどの厳重な軛が刻まれるであろう。
それは奴隷にとって当たり前の事であった、だが、この地に留まればどうであろうか? カニディエ氏族という犬人族の支配階級にあって、真白の地宮という巨大迷宮を操作する霊剣使いとしての今の立場ならば?
ジュエルを見る目に力を込めると、従え続けてきた者の反抗につまらされたのは主人の方であった。
思わず手に持つ金属性のカップを口元にやり、飲みたくもない湯冷しを一口啜る。金気が嫌な後味を口に残した。
「もちろんだワン、ジュエル様はウーシアのご主人様だワフ」
ウーシアの口から出たのは意外な言葉だった。ん? と考え込んだジュエルは、それが当然の事だと気づくと厳しい表情を作り直してウーシアを見る。
その瞳は半ば人生を諦め、憂いを内包した以前のものとは違い、芯から溢れ出る生命力に輝いていた。
「ジュエル様は聖騎士になるワン、それをお助けするのがウーシアの務め。たとえ奴隷紋が消えようとも、この命に賭けてお仕えするワン」
うっ、と詰まるジュエルを見て、微笑むウーシア。何とも都合の良い、身勝手な物言いを、さも当然の如くさらりと言い放つ。
睨みつけるジュエルの目は、魔眼であったならば火を噴くほどの力が篭っていた。だがその眼力を浴びても狼狽えぬウーシアを見て、ふとジュエルの表情も緩む。
「ふーっ」
と長い吐息を漏らしたジュエルは、
「いつかはこうなると思っていたが、少し早すぎて戸惑っていたらしい」
と言うと、目尻を下げて、
「お前とは主従のままか?」
と問いかけた。
それを受けて迷いもせずに頷いたウーシアと、しばらく見つめ合ったジュエルは、ポンッと肩を叩くと、
「分かった。お前の命に賭けた誓いを認めよう。お前は軛が無くとも我が従者だ。少なくとも聖騎士になるまではな」
掴んだ肩を抱き寄せて抱擁を交わした。その時初めて、ウーシアの顔がクシャッと崩れると、
「ごめんなさいワン」
嗚咽を漏らして大声で泣いた。
*****
「ではお前の呪針も解除された訳か」
同じ頃、人払いのために外に出ていたバッシは、ゴウシュの腕を見ながらつぶやいた。汚れきった服の裾を捲ると、そこには最前あった呪いの証が綺麗に消えて無くなっている。
「ああ、真白の地宮の内外にいた者全てが解呪されてな、オウ殿の施した祠での儀式と同じ効果らしいで。これでワシも晴れて自由の身や」
と言って豪快に笑った。
「それで捕まえた冒険者やが、何か分かったんか?」
ゴウシュの突き出した冒険者達の事は、ゲマインの元にしょっ引かれてから、バッシの預かり知らぬ事となったが、先ほど酷い拷問の後で殺されたらしい。それはゲマインの命令というよりも、貴族階級を中心とした青血戦士団の仕業らしく、またもやそのリーダーはゲマインの警告を受けていた。
「何かキナ臭いな、新手の冒険者もそうやけど、その青血〜ってやつら、明らかにおかしいやろ」
ゴウシュに言われなくともバッシとてそう思うが、新人のバッシ達には、この集団において発言権がない。さらにはゲマインにも彼らを無下に排除できない理由があるらしく、何と無く嫌な気持ちを抱えたまま、追求できない状態が続いていた。
「ほんで、聞きたいことって何や?」
と言われて、バッシはクロエの最後の言葉を伝える。それを聞いたゴウシュは腕組みをして考え込むと、
「女神うんぬんちゅう話は聞いたことがあるな、あれは大陸中西部の新興国に行った時やから、五年ほど前になるか」
と顎ヒゲをさすりながら、当時の記憶を辿り出した。
「そこは魔法王国に征服されていてな、その圧政から逃れようとする人々の信仰を一手に受けていたんが、火の神と呼ばれる古代信仰やった。その中からさらに過激派が現れてな、それが転移の女神を信仰する派閥やっちゅう話や」
自身の所属していた魔法王国の名前が出て、一瞬ピクリと反応したバッシを見て、やはりというように目を光らせたゴウシュは、しかしその事には触れずに続けた。
「当時のクロエは遅れたヤマタを改革しようと、躍起になって大陸の制度を学んでいたわ。出来た人間とは言えんが、優秀な政治家っちゅう一面はあったんや。でもな、その国で最も神聖な場所とされる聖殿に行ってから、目の色が変わってしもうた」
ふう、と一息ついたゴウシュは、隠し持っていたスキットルを開けると、一口あおってバッシに向けた。
受け取って口に含むと、強い酒気に舌が痺れる。
「こいつは隠し持っていた最後の上酒や。これからも飲めるとは限らん」
鈍く笑うゴウシュは、しかし機嫌が良さそうだった。なにより長年煩わされた呪いから解放されたのだ。
「ならば大事に飲まねばな、新しい人生の始まりの味はさぞや美味かろう?」
と自身も呪われていた経験のあるバッシがスキットルを突き返すと、ニヤリと笑って、
「ああ、今まで飲んだ中でも最高や、自由の味は」
確かに自由の味は最高だ。支配者というものはよっぽど不安な人種らしい。呪いなどで人を縛っても反発を買うだけなのに、この世界はどこも呪いの軛で溢れている。
ふと軛の力を与える者とは、一体何者なのか? と思い、神という存在を想起した時に、バッシは気になる言葉を思い出した。
「クロエの最期は、女神に対抗するために妖魔にすがるような口調だった。大陸で何があった?」
と問えば、
「そうだな……転移の女神の信仰の本拠地、螺旋の聖殿……あそこでクロエが何を見たかは俺にも分からん。ただ奴らは自分の国を真なる神の国〝真国〟と呼んでいたな」
と告げた。真なる神の国、そして転移の女神と螺旋の聖殿ーーそれを聞いた時、バッシの脳裏に魔法王国崩壊直前の記憶が蘇る。
大勢の民を率いた新興勢力を筆頭に、色とりどりの王国をまとめあげた連合軍、その旗頭には螺旋を描く紋様がはためいていた。
あの集団こそが真国だろうか? 螺旋の聖堂、そこでクロエが何かを見て、祖国を守るためには妖魔の力が必要だと感じたとすれば……その脅威は間近に迫っているかも知れない。
「だが、お互いに手の届く範囲の事を成すしかあるまい? 俺はこれから国を立て直す手伝いでもするさ、美味い酒造りを復興させるために」
ニヤリと笑うゴウシュに、
「良い目標だ、俺は……仲間を守る、それで手一杯だな」
と答えたバッシは、仲間のいる地宮を見た。
「ああ、だが霊剣のカニディエ氏族に、聖騎士に、獄火の守り手だろ? こいつは幾つ命が有っても足りそうにないな」
ヒッヒッと笑うゴウシュに、内心で『まったくだ』と頷いたバッシは、もう一口上酒をもらうと、喉を伝う熱みを頼りに、守るべき者達の元へと戻って行った。
*****
「今回はお世話になりました」
礼を述べるリロを流し見たフェンリルは、興味無さ気に前脚の上に顎を乗せると、五臓六腑に染み渡る妖気を、鼻息と共に排気した。
特に妖魔に育てられた偽銀狼は消化し辛く、何時にない胸焼けが気分を害する。
「別にお世話した覚えはないね、どちらかと言えば利用したのはこっちだ」
目だけを向ける銀狼はぶっきらぼうに告げるが、一度死線を共に潜ったリロには、お互いに惹かれ合う感覚があった。
だが小脇に抱えるタンたんに対しては、片時も警戒を緩めない。
「大丈夫ですよ、この子は。しっかりお師匠様達が押さえつけていますから」
言われて目の前で浮遊したタンたんは、
〝だ〟〝い〟〝じょ〟〝う〟〝ぶ〟
ページの最初の文字を提示して、己の安全性を訴えかける。
だが一瞬ピクリと反応したフェンリルは、
「よしとくれ、あんな炎を見せられて〝安全です〟なんて言われても、信用ならないんだよ」
眼力を強めてタンたんを威嚇した。その雰囲気に押されたタンたんは、すごすごとリロの腕の中へと戻っていく。その背表紙を撫でながら、
「そう言わないで下さい、この子達は半ば私と同じ存在なんです。この子に力がある訳ではなく、力に蓋をする、排気口のような存在ですから」
少し寂しそうに俯くリロに、気まずくなったフェンリルはふんっといまだに消化しきれぬ妖気を排出した。
そこに含まれる力の濃度に酔いそうになりながら、
「フェンリルさんは何でオウ様についてここまでやって来たんですか?」
と抱いていた疑問を口にした。
「それは……誘われたからさ」
何となく気まずさを紛らわすように答えると、
「へぇ〜、どんな風に?」
と被せてくる。モンスターを研究してきたリロにとって、憧れの魔獣ともいうべき銀狼。しかもその中でも特筆すべき寿命を誇るフェンリルに興味津々であった。実は跨る時も軽く震えるほど嬉しかったのである。
フェンリルにとって、オウとの出会いは他者に語るような類のものではなかった。だが一つ、獄火の管理者たるリロに頼みたいことがある。
それと引き換えならば話しても良いという条件に、リロが飛びついた。
全く人間……いやエルフの好奇心というものは際限が無いな……と呆れたフェンリルも、渋々重い口を開けると、
「あれは数十年前の事になる」
思い出すように瞼を閉じる。それを聞くリロも地面に座り込みーー続く話は夜を徹して語られた。




