剣璽と迷宮
偽銀狼に流れ込んだ四獣の光は、マロンの側に靄を残した。それは人型を取り始め、上層部で逃亡した狂える番人に姿を変える。
迷宮内にとどまり狂った内なる番人と、外部に放たれたその半身たるマロンは、今ここで一体となり、パダールの雷撃に魔力を乗じて偽銀狼を撃つ。
その隙に乗じたバッシは紫光輝く大剣で偽銀狼の内臓を抉ると、四獣の導きを得て、妖魔の核に刃を差し込んだーー瞬間ーー膨大な力の奔流に、導線となった大剣と、それに連なるバッシは痺れ、感覚を無くす。
真っ白になった意識の、五感を失った世界の中で、バッシには、一つの存在だけが認識できた。
それは常にバッシと共にある鋼の精霊そのものの存在。
安堵と共に離れがたく一体化したその姿は、視覚などでは認識できなかったが、魔導師の試験管で生まれたバッシにも分かるほどの、母性をたたえている。
「お前は……」
と声にしようとして……声にならなくて……思考を止めた。この世界には言葉など遅すぎるのだ。刹那の時に訪れた静寂を、研ぎ澄まされた精神が掬い取っているに過ぎない。
しかしこの温もりは本物だ。
何者も犯さざる世界は、しかし足元から迸る絶叫によって切り裂かれた。
*****
意味を持たない絶叫が燃えカスとなった喉から溢れ続ける。もはや狼の姿など無く、核たる黒も塵と化し、辛うじて璽にへばりつく膜を形成していた。
それもオウの持つ霊刀に焼かれると、沁み一つ残さずに黒煙となって消滅する。
「これが……」
目をみはるドワーフ忍者の眼前には、閃光を浴びた璽が金の象嵌を誇るように熱をもち輝いていた。
それはこの迷宮の力を象徴する品、調和と操作を司る二剣を持つオウとウーシアが近づくと、ボンヤリとした光は翳り、静謐とした暗がりが場を支配する。
浮かび上がるのは真白の地宮の番人達と四獣の姿。
オウとウーシアにかしずくように膝を折り、璽を持つマロンと共に静かに見守っている。
黄金の璽は、その力を示すかのように再び地宮の力を集め、威光にて周囲を照らそうとするが、オウとウーシアの二剣に制せられると、軋むような音を響かせて力を封じ込められた。
場違い感に、動き始めた手足を漕いでその場を離れたバッシの耳が、微細な物音をとらえる。大剣を杖代わりに立ち上がり、それを確かめると、崩壊した変異体の中部からだと分かった。
生き残りがいたのか? と思い、大剣を構えながら近寄る。その中心部には全てを失ったクロエが、皮すら身に纏わぬ肉をさらしていた。
「ぅ…………ぉ……」
奇跡的に破れていない片肺から空気を漏らしつつ、干からびた口らしき部位を動かす。それは良く聞かないと分からなかったが、龍鱗の聴覚を持つバッシには、
「女神が……来る……妖魔の…………ち、力……」
不明瞭な単語の破片が聞き取れた。
「女神? 妖魔の力?」
聞き返すように呟くバッシに、
「た、大陸の……女神が、起きる……妖魔様の、力で…………え撃たね、ば……」
と、最後の力を持って言葉を吐いたクロエは、それっきり地宮に張り付いた変異体の残骸の一部となって、動きを止めた。
詳しい意味は分からないが、何かが引っかかるバッシに、大陸の女神という言葉が重く迫る。それは恩師リリ・ウォルタを失った時の記憶ーーあの時ウォードと戦った女神の仮の姿。まさかとは思うが、大陸の女神という言葉は、あの時の顕現体を想起させた。
あの時地面に逃したアレの事を言っているのだろうか? だとすればクロエが妖魔に魅入られた切っ掛けは、大陸で何かを見たか、情報を掴んだからかも知れない。
そう思ったとき、確かクロエと一緒に大陸に渡っていたと言っていた、髭面の戦士の顔を思い出した。もし奴がこの紛争を生き抜いていたならば、事情を聞きださねばなるまい。
「おおっ!」
後ろの方から聞こえた歓声に振り向くと、オウとウーシアが璽を操り、真白の地宮を再編し始めていた。
頭を振って皆の元へと急ぐ。今はこの迷宮の後始末を考えねば。そのためにこの島国まで来たのだ。
だが後ろ髪を引かれるように、クロエの残した言葉が靄となって、バッシの胸に残り続けた。
*****
ヤマタ王国の首都では、白服の重鎮達が大陸渡りの冒険者なる者達と、差し向かいになって和合の契約をとり結んでいた。
港湾には彼らの乗り付けた大型帆船が停泊し、その威容に見物人が多数押しかけている。
中に収容された人員も百人では収まるまい、大多数の兵力を地宮に投じた現ヤマタ王軍にとっては、脅威的な数字とも言えた。
だが、かねてより新進の大臣であるクロエに反発していた保守派の重鎮は、新たに来た組織だった冒険者達を旗頭に、既に上陸していたワイズマン達を異端として吊るし上げる事で、既得権を得ようと画策する。
もし邪魔になれば新参者の根無し草たる冒険者など、罠にかけて切り捨てれば良いのだ。朧げな記憶だが、確か大陸渡りのクロエは、冒険者なるものの立場と知能の程度をそのように語っていた。
神聖なるヤマタ王朝を保持するには、深刻な労働力不足を補う手段が不可欠だった。それほどまでに蜂起した獣人達の労働力は国の根幹をなしていたが、国の重鎮達はその事を誰一人として認めたがらない。
だが新たな労働力を雇おうにもその資金は無いのだ。そこに現れた真白の地宮の資源採掘の儲け話に、天からの助けとばかりに白服達は群がった。
新しく到着した冒険者達は、迷宮から産する利益の権利を放棄すると言う。その代わりとして、正式な契約を結び、独占的な探索権を供せよと提示してきた。
白服の大臣と対面するのは、冒険者達の長〝狂司教〟のカースなる男。落ち着いた一般男性そのものという雰囲気であり、良く荒くれ者の集まりたる冒険者組織を纏める事ができるな? と不思議に思うほど凡庸な男であった。だがヤマタ王府にとってその扱いやすさは非常に都合が良い。
そんなヤマタ王朝の重鎮達のはしゃぎようを見て、カースは心の中で失笑を禁じえなかった。
背格好に見合わぬ分厚い手の中に握られた護符鎖を弄びながら、聖なる狂神の意志を通して普通の人間を演じる。
そうして見ると凡人にしか見えないのだ。たとえ目の奥に狂気の光を宿していようとも。
ヤマタ王朝との交渉には幾分の時間をかけた。そうする事で小物感を演出し、本来の目的を偽装するために。
話が纏まり、真白の地宮に出発する日取りも決定すると、退室とともに後ろに控える手下の内、先発隊との内通者を近くに呼び寄せる。
「それで、連絡はあったか?」
ヤマタ側の人間が居なくなると、急にカースの雰囲気が変わった。それまで中肉中背、平凡を絵に描いたような全身が影に滲むように大きく見え、腕に巻きつけた聖銀製の護符鎖からは湧き出るように魔力が滾って昇華する。
その魔力にあてられたのか、呼びつけられた部下は一際小さくなってカースの足元に駆け寄ると、
「現在ワイズマン達は地宮の上層部に居る模様です、極一部の先遣隊が深部に潜っていったとの事」
大き過ぎる声に気分を害さないように、しかし聞き取りづらくて気分を害さないように、絶妙な塩梅に心を砕きながら報告をする。その痣だらけの手は若干震えていた。
それを聞いたカースは、つまらなそうに「ふんっ」と鼻を鳴らすと、鎖の先に繋げられた護符を撫でる。
分厚い円環の中に十字を象ったそれは、狂神を狂たらしめる原初の狂気を、指を通す空間は根源たる虚無を表していた。
その虚無を握りしめると、跳ね飛ぶように反応した銀鎖が跪く男を打つ。弾かれた男は這いつくばりながらも、即座にカースの足元に駆け戻った。
「別働隊からの連絡はまだか、早くせねばギルドマスター側に遅れをとるぞ」
熱に浮かされたような瞳で、恍惚の表情を浮かべる男を踏みにじるカースは、部下達に出発準備を急がせると、護衛の三子戦士だけを引き連れ、新たに隊列に加わったヤマタ軍の居る兵舎へと足を運んだ。
*****
真白の地宮上層部では、アンデッド共の侵入を防いでいたゲマイン達が切っても潰しても湧き上がる不死兵に押され気味になっていた。
もはや組織だっての抵抗は崩れ、獣人をスワンクの大盾が庇い、範囲魔法を詠唱するヴェールを虎のライカンスロープが護衛するなど、反王軍も冒険者も関係ない混戦状況となっている。
持久戦を数で圧倒されると、リーダーであるゲマインの元にまでアンデッドが押し寄せ、もはや後ろ詰めに避難した一般獣人にまで被害が出そうになった。その時、迷宮全体が真っ白に光り、後を追うように轟音を響かせながら、内部装置が稼働し始めた。
次の瞬間にはアンデッド共が崩れ落ちて塵となる。
激戦の呆気ない幕切れに茫然とする面々の内、一人の獣人が、
「やったんだ、霊能者様が地宮を取り戻したぞ!」
と叫ぶと、
「ついにクロエが倒れた!」
「見ろ! 腕の呪針が消えているぞ!」
と一般獣人にまで伝播した喜びに歓声があがる。しばらくすると、地宮外部で抗戦していた獣人や反王軍の面々もまばらに集まって来た。
その中の一人が、
「ここの責任者はいるか!?」
とちぎれかけの甲冑を引きずりやって来た。ヤマタ王国クロエ大臣の護衛、髭面のゴウシュである。
その血まみれの刀に警戒を示した冒険者達に取り囲まれると、刀を置いて両手を上げながら、
「表に居る奴らはお前らの仲間か? 大陸渡りの冒険者のようだが、どうやらお前達を監視していたようだぞ」
と顎をしゃくる。全てを魔眼で見通したゲマインは、ヴェールに頷くと、ゴウシュに案内させて、正体不明の冒険者達を捕らえに向かわせた。




