死霊の王
死霊の王
全てのアンデッド系モンスターの頂点に君臨する種であり、古代魔術師の成れの果てとも、呪われた王の末路などとも伝聞されているが、真相は闇の中である。
存在自体が極めて稀で、迷宮などに現れるのもごく限られた深層のため、目撃例自体が少ない。しかも出会って生還したものとなると、極めて稀である。
真白の地宮に似合わぬ大陸風のモンスターの出現に、フェンリルは内心舌打ちをする。彼女の一番得意とする生命吸いが、アンデッド系には全く通用しないからだ。
こうなっては獣人系の部下を獣憑きにして戦わせたいところだが、全て残してきたか、先ほど猫人忍者ともはぐれてしまった。
腐った肉体を歯牙にかけるのは躊躇われるが……生き残るためには仕方あるまい。どうあってもオウ・スイシだけは無傷で保護せねばならない。
魔力を纏う爪が地宮の床に触れると、まるでバターに熱したナイフを当てた時のように、スウッと爪が入っていく。
背中に見知らぬ女を乗せるなどと、普段のフェンリルならば絶対に許さない事だが、この状況では致し方あるまい。
振り向くと、大きな魔導書を抱えて遠慮がちに尻を乗せる女が、ピクリと反応した。
「激しく動く、髪に捕まれ」
とたてがみを揺らすと、リロは空いた方の手で遠慮がちに掴む。
「それじゃダメだ」
とたてがみを操作してリロの腰に巻きつけると、小さな悲鳴をあげて抵抗した。
「安心しろ、生命力を吸いはしない」
今のところはな……と心の中で付け足して戦闘態勢をとると、オウは霊化したままで空中を漂い、霊刀を振るって、早速飛び交う死霊を狩り始めていた。
さて、こちらもそろそろか……
腐った羊水から生れ出る、無数のアンデッドの中央で、一際大きな死霊の王がその全身を露わにする。
汚れて所々解れながらも、重厚な紫のローブを纏い、うつむく両眼窩には、生命ある者全てを呪うような暗澹たる冥界の炎が揺らめいている。
その頭部には太い楔が幾本も打ち込まれ、冠のように囲われた中には黒い靄が滞留していた。それは……見るだけでも生命力を吸い込まれてしまうような、フェンリルの使う〝生命吸いの風〟と同じ類のーーしかしもっと純然たる闇の力。
さらに下腹部に手を伸ばした死霊の王は、股間に垂らしたへその緒を取ると、その先にある何かを腐れた羊水から引きずり上げた。
したたる肉の球に生える多数の手足は、赤児のように短く膨れ、空を掴むように蠢く。それを覆う靄は呪詛を念じる人型となり、ゆっくり振り回されると、あやされる赤子のような笑い声をあげた。
無造作に遠心力をのせたそれを、高速で放つ。
フェンリルは余裕で飛び退くが、着地しようとした地点には無数のアンデッドが奪い合うように手を伸ばしてきた。
それを爪で軽く一薙ぎしたフェンリルは、
「女! 火を出せ」
目の前に迫り来るアンデッドに横面を見せてリロに命じた。
慌てて火柱を放つと、アンデッド達は簡単に崩れていく。だが死霊の王は何の反応も見せずに、平然と胎児球を振るってきた。
それはもはや胎児というより闇霊の塊と言えるもので、周囲に発する呪詛が目に見える力を持ち、打ち据える地面にヒビが入るほどの威力を誇っている。
飛び散る闇の飛沫すら、負のエネルギーに満ち溢れ、それを浴びたものは同じ不浄なる存在のアンデッドですら焼けただれ、怨煙となって揮発した。
火柱を止めたリロは、
「普通の火は効きません、特別な火魔法を用意しますので時間を下さい」
とフェンリルに耳打ちする。ピクリと耳を動かしたフェンリルに、
「それで確実に仕留られるのか?」
と冷たく問いかけられて言葉に詰まった。それでも何とか〝大丈夫〟とばかりに首を縦に振るリロ。
無言のまま身に纏う風を強化したフェンリルは、飛び込んできた死霊を足場に掴むと、ビュウ! と風を纏って跳躍した。
腐臭満ちる中を斬り裂いて跳ぶ銀狼は、さらなる風を掴むと瞬く間に空中に駆け上がる。それを追って胎児球が振り回されると、呪詛の泣き声が辺り一面を汚染した。
自身が風と一体化したようなフェンリルは、それらをことごとく避けながら、背中の女が火を噴くのをひたせら待つ。
その合間にオウの討ち漏らしたレイスが迫り、手を絡ませてきたが、逆に噛み付いてやると、魔力が拮抗して火花を散らした。
死霊の手はフェンリルの能力の劣化版というべき、生命力奪取、そして能力低下の力を有している。
自分が得意とする能力を他者に振るわれる屈辱に、フェンリルの我慢も限界を迎えた。
滾る魔力を咆哮に変えて、レイスに向かって叩きつける。魂をも削り取る咆哮に、体を維持できなくなったレイスは空中で霧散し、死霊の王は憎悪の視線をフェンリルに向けると、その冥眼がフェンリルの魂を直撃した。
銀の風で耐性の高まったフェンリルも、強烈な力を持つ冥眼に一瞬足を取られると、風を捉えそこねて落下する。
そこに胎児の闇が打ち据えるように振るわれると、空中で実体化したオウ・スイシが、フェンリルの側面を足場に霊刀で迎え撃った。
斬りつける部分が浄化され、胎児の肉体に刃が届く。と、靄の中に浮かんだ胎児の口が耳まで裂けて、乱杭歯が霊刀を咥え込んだ。
すんでのところで霊化に成功したオウは、再び靄となって宙に漂う。
助けられたフェンリルが風を掴み直して体勢を立て直すと、
「いけます」
リロが小さな声で主張した。先ほどからたてがみがチリチリと刺激されている。これはリロの持つ本から溢れ出る、生命の危機を覚えるほどの魔力であろう。
その魔力が魔法陣となって空中に照射されると、部屋の温度が一気に上昇した。
『P664 紅炎』
タンたんから発せられる破壊衝動を制御しながら、徐々に獄火を解放していくと、魔法陣の中心から炎が現れた。
全てを焦がす陽炎は生き物のようにうねると、死霊の王へと触手を伸ばす。
眩い光を恐れるように咆哮を上げて、身をすくめる死霊の王。それを追い打つ炎は触れる前から紫色のローブを溶かした。
その間、部屋の四方に散っていた白岩獣が死霊の王の元に集まると、その周囲に円陣を組みあげる。
丸くなった甲殻から鮮血が噴き出ると、真っ赤な線を描いて地宮の力を引き出し、結界を作り上げた。
死霊の王がその庇護下に入ると、陽炎の触手をも反らせてしまう。ようやく捉えた結界を溶かしても、湧き出す力が新陳代謝を繰り返し、すぐさま破壊した層を再生していった。
その隙に死霊の王は頭上の闇の塊から黒煙を放射し、フェンリルを狙い撃った。さらに胎児球を振り回すと、一層強まる怨嗟の泣き声を響かせながら、反対の手に血染めの白岩獣を掴み取る。
それを横目で見ながら、得体の知れない黒煙を避けつつ駆け抜けたフェンリルが、
「お前の火は通じないぞ」
とリロに問い質す。
「いえ、通じないというより、土台が安定していないから、本来の力が出せていないだけです」
心外そうなリロは口を尖らせて反論した。獄火の魔導書が誇る陽炎の火力は、例え迷宮の力をもってしても防ぎ切れるものではないはずだ。だがこの魔法は火力こそ優れるものの、発動や運用には難がある、いわゆる実戦向きのものではなかった。さらに逃げ回るこの現状ではまともに浴びせかけることもできない。
以前タイタンを仕留めたときは、マリーの風精による加護があったが……と思い立って、ふとフェンリルを見た。
しつこく追ってくる黒煙の塊を、風を踏み台に素晴らしい駆動で避け続ける。その銀風に陽炎を絡ませる事ができれば……
「提案があります!」
リロはフェンリルの耳元に顔を寄せると、自分の考えを伝えた。
黒煙塊は次々と放たれて追尾してくる。その数が十を越す頃には、フェンリルの後方は真っ黒に目隠しされてしまった。壁に誘導するように急角度でターンすると、壁に激突した煙が弾ける。それで消えたと思うと、他の塊に吸収されて、さらに大きく濃くなっていった。
「……ォォオオオオ」
遠くから迫る胎児球。振り回される靄の人型は、もはや胎児と言うよりは、巨大な魚類のように黒々とした口を開け、追尾してくる靄と共にフェンリル達を挟み撃ちにした。
ギリギリまで引きつけたフェンリルは、溜め込んだ魔力を一気に解放して、体を真横にズラす程の銀風を発生させる。
瞬間移動のように居なくなった空間で、正面衝突した胎児球と黒靄は、爆散して周囲を汚染した。
後ろに赤子の笑い声を聞きながら、燃焼する魔力に更なる力を注ぎ込むと、フェンリルは銀色の線となって空を切り裂く。その先に居るのは死霊の王、大きく手を広げる体からは、無数のアンデッド達が骨と腐肉を伸ばして、まるで尖塔のように伸び始めていた。
フェンリルの銀風がそれらを吹き飛ばし、その風を喰らうように伸びる陽炎が螺旋を描いてアンデッドを蒸発させ、死霊の王にも届かんとする。
左手に握りこんだ白岩獣を突き出して、真白の地宮から発せられる力場を発動するが、風に先鋭された陽炎はそれを易々と貫き、白岩獣の肉体を死霊の王の腕ごと灰にした。
その一撃が既にある筈もない神経に触れたのか、背筋も凍るような叫声をあげた死霊の王は、すぐさまアンデッドを無くした腕に絡ませていくと、腕を再生していく。
そして分厚く黒靄でフェンリル達の視界を奪いにきた。
さらに振り回された胎児球が迫り、無数の手を伸ばす。それを咄嗟に避けるも、周囲を覆う黒靄に接触したフェンリルは、全身に強烈な倦怠感を覚えて、一瞬力を失った。
なんとか銀風で地面へと着地したフェンリルは、震える四肢を踏ん張り、立つのが精一杯となる。
その前に立ち塞がるリロに、
「娘、どけ!」
と命令するが、タンたんを掲げるリロは命令を無視して、
「今、火を消してはなりません、貴女の風が必要です」
と逆に命令してきた。その決然とした風格に二の句を告げられなかったフェンリルは、一瞬鼻面に皺を寄せると、
「来るぞ」
と前方に突風を送る。それによって晴れた黒靄の先には、猛烈な勢いの胎児球が、それまで以上の靄を纏い迫った。
渦を描く黒靄の暴圧に対して、冷静な視線を向けたリロが魔方陣を照射すると、一層強い光を放つ陽炎が銀風にのるーー
ーー胎児球の後ろには死霊の王が虎視眈眈と隙を窺っていた。陽炎と胎児球の競り合いの中で、隙を突いて攻撃するために、胸のアンデッド達に力を集めている。
その耳元に、
「お前はここまでだワフ」
という声が聞こえると、反応する隙も与えずに、死霊の王を白い靄がすっぽりと包み込んだ。
中で黒靄が暴れる中、それらが固形物であるかのように幾筋もの剣筋で切り裂かれると、再生も許されず力を失っていく。
さらに死霊の王の現世への憑代である楔が切り折られると、巨大な体が崩壊し、腐肉と骨の塊となって瓦解したーー
ーーその瞬間、陽炎に貫かれた胎児球が爆散すると、銀風に守護されたフェンリルとリロが現れた。その目の前には白い霊体から実体へと組成を変えたオウ・スイシがフワリと立ち現れ、穏やかな笑みを浮かべている。
「酷いありさまだ」
フェンリルの呟きに、
「でもこれからが更に酷そうだワフ」
と告げるオウ・スイシ。
見れば爆散した堆積物からは、それを憑代にして、新たな死霊が湧き出していた。そして死霊の王を倒した瞬間から、迷宮が地響きを立てて大きく構造を変え始めている。
魔力を消耗したリロは、決然とフェンリルを見上げると、
「またお願いします」
と艶のある銀毛に手をかけた。それを聞いたフェンリルは、何も言わずにしゃがみ込むと、リロがよじ登るのを鼻面で助ける。
それを見たオウ・スイシは、自分以外の人間を拒絶しないフェンリルに目を見開いた後、
「さて、とにかく生き延びるワフ」
と再びその身を空間に溶け込ませていった。




