時空転移
真後ろに居るクロエが近い。さらに静かに佇む妖狐と、巨大な銀狼が間近に控える中、トーガは時空を超える魔方陣の上で、一人身を固くした。
その耳元で、
「ご苦労であった、このままオウ・スイシの元まで頼むぞ」
とクロエが珍しく労をねぎらう。そのうすら寒い言葉を聞いて、振り向き固まるトーガに、薄笑いを滲ませると、
「そう固くならなくてもいい、お前の役割はそれまでだ。そうオウ・スイシにも聞いておろう?」
ドキリと心臓を掴まれるような発言をした。
「おっ、オウ殿には特別何も……」
「よいよい、隠さずとも。我を誘い出した事は百も承知よ」
クロエの言葉に心臓が早鐘を打つ。言い訳と状況判断がごちゃまぜとなって、冷や汗が滲んだ。身じろぎしようとしてーー麻痺して動かない事に気づく! 粘っこい汗が一筋背中を伝う。後ろに控える妖人達は微動だにせず泰然と構えているが、いつ襲われるかと気が気ではない。
「だがこの迷宮は妖魔様のものなのだ、そして我が手には璽があり……」
と手の中に収まる金印を見せる。それは心なしか淡く発光しており、目にすると危機感を忘れて魅入られるほどの求心力があった。
「そして八咫の光もある」
というと、着物姿の妖狐を見る。つられて見た手元には、璽の光を受けて妖しい輝きを放つ一枚の金属鏡があった。分厚い鏡の裏側には赤い組紐が通され、妖狐の手指の白さを際立たせている。
鈍る頭で考える、当初の計画ではクロエの要求してきたスパイ行為を逆手にとって、要求通りオウ・スイシの元に転移する予定だった。何故なら真白の地宮の封印を正すためには、クロエの持つ璽が必要だから……但し単に送り届けるだけではなく、オウ・スイシ達が手ぐすねひいて待ち構える中に、である。
だが今や得体の知れない力に引っ張られて、転移空間に歪みが生じ始めている。それはクロエの持つ璽と、妖狐の持つ鏡に反応しているのは明らかだった。
転移の罠にかけたはずのトーガが、逆に罠に嵌められたかのような……いや、正にその通りなのだろう。疑念が確信に変わる。だがどうして良いか判断がつかない。
この任務を受けた時から命は無いものと覚悟を決めていたトーガも、彼らの操る力の前になす術もなく圧倒されていた。これが地宮をして封印しきれない妖魔の力か……何か自分に出来る事は……そればかりを考えながら、しかし麻痺した体では魔方陣を消し去る事も叶わずに、異空間を進む。
いったいどこに向かおうとしているのか? 疑念を持っていると、
「我らが向かうのは地宮」
とクロエが楽しそうに告げた。
「但し数時間前の、だがな」
えっ? と疑念を抱いたトーガは、その言葉の持つ危険性に背筋が凍る。数時間前といえば、トーガ達はいまだに地宮の外に居たのだ。そこへクロエ達が先行する事になると……
焦りに身を捩ると、自由を取り戻した体が硬い地面を踏みつけた。周囲を取り巻く転移の異空間が、いつの間にか消え失せている。壁の白さが地宮の中である事を認識させるが、それどころではないトーガは腰元の直剣に手をかけると、一気に引き抜いた。
瞬間、銀狼に首根っこを咥えられたトーガの体が振り回され、地面に強く抑え込まれる。
〝ゴキリ〟
という音が、頚椎に取り返しのつかないダメージを負った事を告げた。激痛も通り越して苦しみすら感じず、ただ己に課せられた使命が達成できなかった事にのみ後悔の念が沸き立つ。ゴポリとせり上がった血に息が詰まる中で、まとまらぬ思念の全てを直剣に込めると、自然と垂れ下がる腕に力が乗り、地面に突き立てた。
「ホッホッホッ、口惜しいでしょうが安心して下さい、貴女の役割はまだまだありますよ」
側立つクロエが懐から管を取り出すと、栓を抜いて巨大な妖怪を現す。音もなく地に足をつけた鵺は、猿の顔から長い舌を出して、銀狼の吐き出したトーガの血をペチャペチャと音を立てて舐めた。
その後頭部に新たな筒を埋め込まれると、地面に倒れこむトーガを丸呑みにする。直後、まるで毒でも口にしたかのようにのたうちまわる鵺が、体を徐々に変化させていった。
その姿が人型になり、女性のものらしき何かに変わった頃、折れた首の骨がゴキリと不自然に戻る。
「さて、時間はできました。皆さん準備に取り掛かって下さい」
クロエの指示で妖狐は滑るように移動し、銀狼はクロエを背負う。そしてトーガの遺体らしき女怪は、クロエから雪蜘蛛と繋がる感覚同期の糸を託されると、
「その糸を伝って雪蜘蛛をここに転移させなさい」
と指令を受けて、まだ癒えぬ産褥の身をして地面にひざまずいた。銀狼によって地下に運ばれる前に、クロエは、
「古い剣は棄て置け、この刀を授けよう」
と懐から見事な拵えの短刀を取り出す。禍々しい雰囲気の鞘には封印の札が貼られ、それをうやうやしく受け取った女怪は、蜘蛛の糸を鞘に巻きつけながら、転移の魔方陣を構築していった。
*****
剛鬼達を倒したバッシ達は、魔具装置にドワーフ忍者と原動力の英霊パダール、そして彼を召喚したベルを置いて、剛鬼達の出てきた穴へと歩を進める。だがその時、地宮を制御する魔具装置がゴトリと音を立てて作動すると、
「ジジジ……」
という音を発した。全員が警戒の色を見せ、周囲を探るが何も検知できない。霊剣の感覚も鋭いオウとウーシアが何も分からない以上、単なる装置の作動音か? と装置に詳しいドワーフ忍者に確認するも、何もしていないと手を挙げるのみ。彼とて全てを把握している訳ではないらしい。
分からない事は捨て置いて先に進むと、剛鬼達の出てきた大穴の先には更に奥へと続く通路があった。
ほこり臭い通路には、剛鬼達の体臭が混じっている。明らかに彼らの力によって砕かれた壁を見て、改めて妖魔の力を思っていると、周囲を嗅ぎまわっていたウーシアが、
「ここは少しの間居ただけだワン、元々居た場所はさらに奥だワンウ」
と告げた。見れば通路のかなり先に、立派な扉があり、淡い光が漏れ出ている。
オウ・スイシの命令で、猫人忍者が先行すると、扉の奥を覗き込んで〝異常なし〟のサインを送ってくる。
それを受けたウーシアが続き、その後をバッシ達が追うと、扉の中はだだっ広い石造りの部屋だった。それ以上何もない。無駄足を踏んだと思った時、
「ゴトン、ゴッゴッゴッ」
と巨大な金属が噛み合うような音が響いてきた。先ほどの続きかと、皆が訝しみつつも身構えると、突然浮いたような感覚、直後に床下から衝撃が襲いかかった。
「大丈夫かワフ」
治まった頃を見計らって問いかけるオウの声に、皆がバラバラに返答する。肝をつぶしたが実害は無く、全員が無事だった。だが扉の外を確認したウーシアが、
「場所が……階層が違うワン」
と言うと、皆一斉に扉の外を確認する。見れば先ほどと同じような白壁が続き、一見何も変わらないように見えるたが、通路の向きは反対で、あるべき扉は無く、曲がり角の先に続いていた。
「信じられないとワン、転送の罠だワフ、しかも部屋ごと……恐ろしい力だワン」
迷宮の専門家であるウーシアが感嘆するほどの罠、しかも霊刀、霊剣の持ち主が居るにも関わらず、その存在を隠匿するほどの技術が込められている。
真白の地宮の力がそうさせたのか? だとすればかなり厄介だが、それにしても……
「魔具装置を作動させた覚えは無いワフ、何故こんな事が起こったんだワフ?」
オウの疑問は皆とて同じ、首をひねるだけで答えられる者はいない。
「この部屋にこれ以上の仕掛けが無いならば、素早く探索を進めるしかありませんね、クロエが魔具装置の部屋に辿り着く前に」
ジュエルはそう告げると赤角の盾を構えた。碧銀の淡い光が薄暗い通路を照らす。
先ずはここがどこなのかを把握しなければならない。バッシも大剣を構えつつジュエルの横に並び立つと、揃って周囲の探索に乗り出した。
すでに猫人女忍とウーシアは通路の先を探索に向かっている。その時、
「戻れ!」
オウ・スイシの鋭い一喝が迷宮内に響き渡った。だが激しい揺れが襲いくると、ウーシア達の入った部屋の入り口が消滅する。
「ウーシア! 大丈夫か?」
と壁を叩いてみると、中からくぐもった声が聞こえてきたから無事らしい。だが幻覚でもなければ、精緻な仕掛け扉という訳でもなく、単純に扉が忽然と姿を消したという事実に困惑する。
大剣を振るって壁を叩くが、頑丈な壁は傷はつけども大して削れない。だが剛鬼は素手で壁を崩して出て来たのだーー武器を持つ者に出来ないはずがない!
バッシは少し間をとって剣を構えると、八相の構えから全体重を乗せた一撃を見舞った。さらに傷ついた壁に斬撃を繰り返すと、ジュエルも聖守護力場で先鋭化したホーリー・メイスで壁を打ち崩し始める。
聖騎士の甲冑がもたらす剛力によって、地響きをたてながら壁が崩れていき、かいま見える部屋の中にはーーしかしウーシアの姿はなかった。
「ウーシア! 無事か? ウーシア!」
何度も叫ぶが彼女からの返事は無い。穴が全てを見回せるくらいの大きさになった頃、
「ゴゴゴゴ……」
と重々しい音が響き、次の瞬間には新たな扉が姿を現わした。中の二人は!? 焦りながら壁に向き合うと、空いていた穴が綺麗に無くなっている!
壁を叩きながら大声で呼びかけても二人の返事は返ってこない。オウが扉を調べて安全を確認すると、皆を見回す。焦ったバッシが思わず、
「早く開けろ!」
と詰め寄り、強引に開けた扉の隙間から中を見て絶望した。二人が居ない、それどころか、剛鬼が三体、部屋の中央にうずくまっていた。
飛び込んだバッシは、剛鬼に斬りかかろうとするが、追いかけて来て手を取ったジュエルが、
「馬鹿、こんな狭い所で毒血が充満したら逃げ場がないぞ!」
と腹に響く声で諭される。……確かにそうだ、と無理に気持ちを落ち着かせたバッシに、
「それにあの二人ならば大丈夫だ。今は冷静に行動しないと事態は悪化するばかりだぞ」
とリーダーらしい発言をした。これには頷くしかない。そして後から追ってくるオウ達と合流しようとして、入り口の扉がない事に気付く。
やられた! この迷宮は転移し続けているのか!? しかもそれはかなりの速さである。簡単に仲間と分断させられたバッシとジュエルは、突然の出来事に顔を見合わせた。
*****
ハンガウは上半身裸の状態に寒気を覚えた。咄嗟に胴鎧を脱いだときに、鎧下ごと脱いだせいである。魔法のポーチから晒し布を取り出すと、激しい動きにも解けないように、鍛え抜かれた肉体にキッチリと巻きつけていく。
少なからぬ乳肉が押し込まれて息が詰まるが、太ももの凍傷がジクジクと痛み、そちらに意識を持っていかれる。すでに応急処置は済ませてあったが、快癒には程遠かった。
彼女はトーガの付けた魔法印に飛び込んでから、異空間の中を漂い続けている。
最初こそ牽引する力を感じ、行く先に備えていたが、途中からその力も失せ、ただ単に漂っているだけの状態となって久しい。
盾の金翼でいつでも飛べるように備えているが、一体どこに飛んだものか? 見当もつかずにいた。
こうなったらトーガの発する合図を待つより他は無い。色を持つ光が重なりあって蠢めくような、見ていると自分の存在感すら揺らぐような風景の中、ハンガウは剣を収めると、魔力の回復に努めた。
待つことしばし、消費した魔力こそいまだ全回復には至らないものの、燃焼した体内魔力は凪ぎ、いつでも全力を発揮できる状態になった。その事がハンガウの精神を癒し、余裕をもって魔力の膜を展開すると、傷付いた肉体を癒していく。
異空間にも慣れた頃、感覚に引っかかるものがあった。その部分を注視すると、複雑に形を変える異空間の景観にあって、どこか動きに不自然なパターンがある。ハンガウが金光を放つと、反応した橙色が強く光った。あれはーートーガの魔力色だ!
金翼の盾を操り、間近に触れた手がトーガの温もりを感じた瞬間、真っ白な通路に投げ出される。受け身をとって見回したハンガウの見たものは、地面に突き立つトーガの愛剣だった。




