ハンガウ転移
雪蜘蛛とハンガウが血の滲むような笑みを交わした時、両者が竦むほどの威圧感が場を満たした。
一瞬にして糸を引っぱり跳び退く雪蜘蛛と、盾を構え直すハンガウ。両者の全神経を集中させるほどの力は、悠然と歩を進める女の魔眼にあった。手になる弓を引き絞りながら、
「ハンガウ殿、その魔法印はもうすぐ効果を無くします、早くお行きなさい」
と美しさの中にも否定を許さない声音で告げる。その存在を確認したハンガウは、警戒の色を解くと、
「〝ワイズマン〟ゲマイン殿、それは……」
と声の主を見て、それから言葉に示されたトーガの魔法印を見る。最初強い光を宿していた魔法印は、今にも消えそうなほどの微光になっている。転移の魔法陣を使って追跡しろとの無言のメッセージーー二重スパイである彼女がクロエに隠してできた、最後の一仕事だった。
「ここは私達に任せて先に進んでください。それが貴女の務めです」
ゲマインは語りながらも、魔力を宿した視線を雪蜘蛛から外さない。そのまま半円を描くように移動すると、部下達が雪蜘蛛を取り囲むように散っていった。
「こいつはーー」
と雪蜘蛛の能力について警告しようとしたハンガウに、ゲマインが、
「委細承知! 時間が無いぞ!」
と一喝すると、ハンガウは意を決して魔法印の元に走る。阻止しようと冷気を放つ雪蜘蛛に、ゲマインは破魔矢を射かけながら、
「お前の相手は我々だ」
と冷たく言い放った。
矢を避けた雪蜘蛛は張り巡らせた巣から冷気を纏った網を放つ。どうしてもハンガウに行かせるつもりは無いらしい。ステップを踏んで方向転換しようとするハンガウに、
「任せろ!」
と露払いを買って出たのは重装戦士のスワンクだった。それまで何も無かった地面に大きな穴が開いており、そこから走り出てきたスワンクが、骨子踏ん張る大楯から大量の風を噴射すると、重量級の体が飛び上がる。それは重貴隊隊長ハートの土魔法との連携技だった。
巣まるごと絡め取り、転がるように駆けるスワンクに毒液が撒き散らされるが、見切りの盾が風とともに弾き飛ばし、毒汚染を許さない。
さらにふりかかる氷柱を連接棍で打ち払っていると、空間を埋め尽くすほどの氷柱が殺到した。半ば当たるのを覚悟で前進すると、水の防御膜が氷柱を受け流し、さらに水刃となって雪蜘蛛に襲いかかる。
「私も混ぜて下さいね〜」
と女神の一輪挿しから水の斬撃を発したヴェールが、気の抜けたような声をあげると、その後ろからハートが進み出て、土魔法の岩弾を1ダースほど放った。
雪蜘蛛がそのことごとくを氷柱で撃ち落とした時、ハンガウが魔法印に到達する。その瞬間、爆ぜる印から魔煙があがると、ハンガウの姿が掻き消えた。
「クエーッカカカッ」
雪蜘蛛が苛立ちに顎を打ち鳴らすが、消えたハンガウには届かない。そこへスワンクの連接棍が振るわれ、雪蜘蛛は巣を手繰って空中に逃れると、冷気の壁を宙に張り巡らせた。
厚みを増して落下してくる氷の壁を、スワンクが骨子の盾で受け止め、風の補助を得て投げ飛ばそうとする。だがなおも成長する氷の壁は、盾を伝ってスワンクの重装鎧を冷やし、魔法防御力にも優れた鎧をも侵食し始めた。
そこへ後方からハート率いる重貴隊の面々が追い付き、下支えに加わる。
さらにヴェールが黒ずんだ重量水球を生み出し、ハートが巨大な土の手を幾本も生やすと、柱となって氷の壁を押し返した。
ゲマインの魔眼に晒された雪蜘蛛は、後方からの矢を避けながら妖力を解放させると、巨大な巣を何重にも張り巡らせる。
氷壁に逆に守られる形となったメンバー以外の、遠距離から様子を伺っていた面々にも巣糸が飛来した。一部避けきれなかった者たちの混乱と、その仲間を剥がそうと必死になる者達の隙を突いて、雪蜘蛛の姿が掻き消える。
だが魔眼に捉えたゲマインは、破魔矢を引き絞りながら、そこに魔法を上乗せした。
左手になる白革の弓が淡く炎立ち、右手の破魔矢に力を注ぐ。極限まで絞りこまれた魔力の矢は、放たれた瞬間に雪蜘蛛を貫き、遅れて空気を切り裂く爆音が轟いた。
瞬射〝雷鳴〟
ゲマイン最速の弓技と、それに続けて次々と放たれる破魔矢が、避ける間も無く雪蜘蛛に穴を穿つ。
圧倒的な火力に仲間すらも手を出せずにいると、代わりにと射線を避けた形で雪蜘蛛を包囲し直した。
矢を射ち、投げ槍を投擲する獣人兵と、遠距離魔法を放つ魔法戦士。集中攻撃を受ける雪蜘蛛にとっては過殺といえるダメージが累積されると、粉塵煙る場が魔力飽和を起こして誘爆した。
その中でダメージを受ける雪蜘蛛をしっかりと見極めたゲマインは、とどめとばかりに再度〝雷鳴〟を放つ。
込められた魔力によって麻痺の追加効果を受けた雪蜘蛛は、焼けただれた口から不定形の塊を吐き出した。
それは空中で散華すると、焼け切れた巣を繫ぎ止め、中心には雪蜘蛛を包み込む繭が作られて凍結していく。
複雑に形成される巣に分厚い氷が組み合わさって、強度の高い繭が地面に固着された。
「まずいぞ! 私の矢で貫くから、そこに全攻撃魔法を放て!」
再度極限まで魔力を貯めたゲマインは、極光揺らめく弓を引き絞ると、凍りつく繭を射る。蜘蛛の巣に込められた氷の魔力はそれまで見たものとは次元が違い、雷鳴の一射を弾き返したが、ゲマインは気にした様子もなく次々と矢を射った。
足元に伸びる蜘蛛の糸が毒液を撒き散らしながら殺到するが、千里眼の見切りで軽々と避け、急ぐでもなく移動しながら破魔矢を放ち続ける。
魔法袋から無尽蔵に供給される矢で、氷繭には無数の矢が突き立った。
そこへ放たれる遠距離魔法。ヴェールやハート以外にも、青血戦士団の魔法戦士達や反王軍の魔法戦士達も、ここぞとばかりに火力を振り絞り火球や岩弾、風刃や雷魔法が炸裂した。
それらが一段落した時、最前列を任されていた重貴隊の重装甲戦士達が、ハートの号令一下、分厚い盾を構えて前進する。間髪入れずにハートの支援魔法が唱えられると、魔法を有さない盾には土属性の防御魔法が付与された。
ゲマインが厳しい表情で土煙に霞む雪蜘蛛の繭を見据える。透過する視線の先には、ダメージを受けてうずくまる黒い影が見えているが、雪蜘蛛のシルエットが多少変化したようにも見えた。副団長のハートに注意を促そうとした時、
「一番槍は我ら青血戦士団がいただいた!」
とテオドールが先陣を切って馬を走らせる。以前の暴走時も、そして過去に何度も厳しく教育したのに、まだ懲りていないテオドールの暴走に、
「勝手な事をしたら、お主達も一緒に始末するぞ!」
と矢を向けるが、振り向きもしない。彼の父親の伯爵が冒険者ギルドの後援者でもあり、大門軍団に多額の寄付もしている関係上、ゲマインも無下にできないのを知っての行動である。
内心舌打ちをする、こういったしがらみこそが、冒険者組織を運営する上での害だが、迷宮探索には大量の準備金を必要とする都合上、関係を切る訳にもいかない。
いっその事ここで死んでしまえ、とも思うが、金ヅルであり、軍団の一角を担っている事には変わりない。ゲマインは様子を伺う副団長のハートに合図を送り、援護するように指示した。
その間にも、雪蜘蛛を警戒し続けるが、不気味なほどに動きがなく、魔力妖力の類も検知されない。側に控えていた鞭使いのトトを急いで向かわせると、自身も必要になるかも知れないと、とっておきの矢をつがえ、そこに魔力を収束させていった。
テオドールは、ゲマインが手を出してこないのを自らを認めた証と捉え、精神魔法使いのシアンに全員の気力を上昇させると、気合一発自らが先陣を切って馬を走らせ、氷繭に突撃をかける。
途中手を出せずに待機する重貴隊のメンバーを見下しながらーースワンクなどは馬の尻をどついてやろうかと血色ばんだが、すぐにハート副隊長に止められ、包囲網の一部に戻った。
青血戦士団はBランクの高位冒険者であり、装備に優れた強者なのだ。先んじて戦ってくれるなら、それにこした事はない。
だがその期待を他所に、彼らの槍は氷繭には通じなかった。馬を合わせた体重を全て槍先に込めた突進にも関わらず、ゲマインの矢に引き裂かれた後、即座に補修された繭を破る事ができずに、逆に突き込んだ馬上槍を巻き上げられてしまう。
テオドールは余りの不格好さに馬を降りると、なんとか槍を抜こうとするが、足をかけ顔を真っ赤に力んでもビクともしなかった。
そうこうする内に他メンバーが毒の糸を払い、グッタリとした反王軍の魔法戦士や獣人達が運び出される。
そちらへの対応に皆の意識が向いた時、ゾッとするほどの妖気が繭の内側から放たれた。
「テオドールどきなさい」
ハートが練り続けた土魔法の壁を出現させると、分厚く繭を取り囲むように硬化していく。石のように硬くなったそれに、さらに土魔法を重ねていくが、中から〝ドンッ!〟〝ドンッ!〟とくぐもった衝突音が響いてきた。
テオドールは仲間達とともに、勝手に繭を土で覆ったハートに抗議するが、普段は穏便なハートの切羽詰まった様子に言葉を失う。バツ悪く、せめてシアンの精神魔法の効果をスワンクら重貴隊にも効かせると、腰元の剣を抜いて構えた。
なけなしの尊厳を示すように、父親に貰った新造品のミスリルソードが光る。
スワンクらも精神魔法による気分の上昇に、戦う気力を漲らせながら、手になる武器で盾を打ち鳴らした。その外側ではいつでも封印の魔鞭を振るえるように、トトが身構える。
いつでも来い! と繭を閉じ込めた土のドームに注がれる緊張感が、ゲマインの、
「くるぞ」
という一言でピークを迎えた。そして内側を穿つ衝撃音が間隔を狭めて連打になり、ヒビが入った瞬間ーーハートの仕込んだ魔術トラップが発動し、崩れたように見えたドームが、地面から生える幾本もの巨人の手となって氷繭を掴み抑え込んだ。
妖気と魔力が拮抗する硬質な音が響く中、雪蜘蛛を魔法で拘束しているハートは、冷や汗が噴き出すほど緊張していた。それはゲマインも同様らしく、珍しく弓矢を絞る手が揺れている。
そうとは知らぬ部下達が土の手の隙間に攻撃を放とうと殺到するが、爆ぜた氷繭が土の手を吹き飛ばして、そのあおりを食らってしまう。
土煙の中から現れた影は圧倒的な妖気を放ち、悠然と立ち尽くすと、己を観察するゲマインに光る複眼を向けた。
瞬間、視線で人を殺すような妖眼と、全てを丸裸にする魔眼が、空中に爆ぜるように衝突する。
強敵相手に知らずに口角を上げたゲマインは、雪蜘蛛の口元も歪んだのをハッキリと見た。




