クロエ転移
ハンガウ率いる獣人軍は、真白の地宮入り口部を完全に掌握し、クロエ率いるヤマタ王軍勢を今や遅しと待ち構えていた。
前線には聴覚に優れた兎人族と魔法戦士団を配し、地宮内には、虎人族や熊人族などの体力に優れた前衛部隊を多数張り付けている。さらに猫人族や鼠人族を遊撃手として隙間なく配すると、塵一つ見逃さぬ鉄壁の布陣が出来上がった。
その見張りが警鐘を鳴らしたのは、オウ達が深部に向かった半日後の事である。
「もの凄い数の不死者達です。取り巻く瘴気は以前にも増して濃く感じます」
伝令の言葉に、指示の手を止めたハンガウが地宮の天蓋部分に登り、周囲を見回した。少し前までは曇天ながら開けていた視界に、瘴気の靄が充満し始め、地面には地虫のように蠢めくものが見える。
よく見るとそれは人体の一部分や、モンスターの崩れた死体を不浄なる力で操作したアンデッド達であった。
小さな物音が積み重なって、耳障りなほどの騒音をあげる。その中でも見通せないほど濃い瘴気の渦から、
「ヒーッ、ヒューン」
という鵺の鳴き声が発せられ、ハンガウは嫌悪感に思わず身震いした。
「斥候兵は下がれ! 前線の魔法戦士は入り口部にて結界を維持! それ以上前には出るなよ」
と指示をだすと、己も地面に降り立って前線へと急ぐ。目の前には結界内に侵入できない瘴気が滞留しているが、乱戦状態となればそれもいつ崩されるか分からない。そうなれば、瘴気によって肺をやられ、意識も混濁するこちらの方が圧倒的に不利になるなだろう。
最終的な対抗手段として、オウに移譲していた結界魔具への干渉権を、再度自分の方に切り替えておくが、なるべくこの力は温存しておきたい事情があった。
クロエ達の目的も自分達との衝突ではなく、真白の地宮にあり、オウ・スイシの言葉によれば、ハンガウ達がクロエ自身を止める必要は無いという。
ただ連れて回る妖人達の力を削ぐ事に注力して、できればクロエ自身に一太刀浴びせたいというのが彼女の本音だった。
愛用の盾を構え、背中で鞘鳴りも激しい剣を引き抜く。眩しいほどに放たれる金光に照らされたのは、隣に並び立つトーガ。空間魔法を得意とする彼女は、ハンガウに目礼すると、密命に歯を強く噛み合わせながら前線に赴いた。
その他の皆も、未知なる敵が迫っている事に緊張感が隠せない。アンデッドはまだしも、鵺などの妖怪と直接接触した者は少ないのだ、なぜならその多くはこの世を去っているから……それに加えて元凶たるクロエ大臣の存在が大きかった。鵺や冷気を操る妖怪など、彼の周辺にはこれまでに見たことも聞いた事もない妖怪が多数出没している。
管師という存在の厄介さは、突如出現する妖怪の戦力が測れないところにある。それ次第では先の襲撃のように、圧倒的有利な戦況をも簡単にひっくり返される可能性があった。
「ヒューッ、ヒーン」
一際大きな鳴き声をあげる鵺が、結界の淵にぶつかってきた。巨大な猿の顔が結界に押しつぶされて、醜い顔をさらに歪める。長い舌が結界を破ろうと伸びるが、火傷をおったように煙を上げると、悲鳴をあげて跳び退った。
しばらくして、皆が後退したのかと訝しんだ頃、再度突進してきた鵺は、虎爪を突き立て、結界を破ろうと叫声をあげながら引っ掻きまくった。その巨体から繰り出される連撃は、結界をはる魔法戦士達に相当な負担を強いて、中の一人は魔力的負荷に耐え切れずに失神してしまう。
ハンガウも結界維持の加勢に入るが、さらにもう一匹の鵺がやってきて、二匹で結界を破ろうと引っ掻き始めた。その圧が限界を超えると、門に貼り付けていた護符が音を立てて千切れ、鵺達が喜び勇んで侵入する。
「第二封印を急げ!」
号令を出したハンガウは盾を構えて突進すると、一体の鵺に真正面からぶつかっていった。そこに伸びる爪を黄金剣で弾いていく。爪と剣がまともに衝突し、硬度に劣る爪が切り飛ばされると、その巨体から繰り出される暴力も、ハンガウの潤沢な魔力の前には歯が立たずに、盾に封じ込められる。口から黒い瘴気を吐き出そうとしたが、黄金剣に串刺しにされるとそのまま斬り伏せられて、地面に叩きつけられた。
もう一体の鵺には、虎人族や熊人族などの屈強な獣人達が組み付き、なんとか引き倒そうと力を振り絞るが、巨体もあって苦戦していた。口の締め付けが緩むとすぐに瘴気を吐き出してくる。
近くに居る魔法戦士達は結界の再構築に動員されていて、鵺までは手が回らない。そうこうしている内に破れた結界から瘴気が侵入してきて、後続のアンデッド達も敷地内に侵入してきた。
なんとか一匹目を片付けたハンガウは、もう一匹の方に向かおうとして、周囲の状況に愕然とする。結界が破られても、今しばらくは聖域としての役割を保つはずなのに、瘴気に導かれたアンデッド達は、苦しがりながらも前進を止めなかった。行列の先頭が焼失しても、後続がその屍を乗り越えてくるために、徐々に圧倒されていく。さらにハンガウの打ち倒した、鵺の死骸から溢れ出る瘴気も、アンデッド達の呼び水となっていた。
周囲の魔法戦士達に目をやると、まだまだ結界の準備中である。そこに魔法剣を構えたトーガが飛びかかると、瘴気を吐きだそうとしていた鵺の喉元に突きを放った。
喉を破られると、そこから濃密な瘴気が噴き出してくる。それをまともに浴びたかに見えた彼女は、瞬時に転移すると、鵺の後頭部から口を貫通して魔法剣を突き刺した。
赤熱の魔法剣にただれる鵺の脳漿が異臭を放つ。ベロンと舌を出した鵺から剣を抜き取ると、なおも噴出する瘴気を避けて、ハンガウの元に走り寄った。
「このままでは結界が間に合いません、一度撤退しなければ、前線がもたない」
転移によってなけなしの魔力を消費したトーガが息も荒く告げると、もはや封じ手という段階を超えたと判断したハンガウは、真白の地宮と結びついた魔具に干渉した。
魔具を通じて地宮の力が送られてくる。今までと感じが違うのは、地宮の魔具装置との連動に成功したからだろう。今、地宮の力を使うのは躊躇いがあったが、状況がそれを許さなかった。
鵺とアンデッドの侵攻に結界が間に合わず、前線が崩壊すると、味方の大半が瘴気に覆われてしまう。
決断を迫られたのはもう一つ、異様な気配を放ちながら近づいてくる存在ーー間違いなくクロエ率いる妖人達の気配である。以前に対峙した雪女級の妖気が少なくとも三つ、いや、それ以外にも何かぎ混じり合った感覚がハンガウの魔知覚に反応している。
〝これが霊能者様の予言した妖人か?〟
霊能者オウ・スイシには、クロエには直接手を出すなと言われている。それ以外の鵺やアンデッドは引き止めて、クロエは素通りさせて良いと。
だがそれを簡単に実行できる相手では無いことは、妖気に晒された今、肌で感じていた。近づくだけでも妖気に囚われて、精神を病みそうなほどの存在感である。
ハンガウは即決断すると、魔具に干渉して真白の地宮由来の結界を張り巡らせた。その中に侵入していたアンデッド達は、地に魂を引かれ、蒸発するようにその場で塵と化していく。
瘴気に当てられていた仲間達も浄化されると、よろめきながらも陣形を固め、魔法戦士を頂点としてライカンスロープと化した獣人兵が脇を固めた三角形を形作った。
だが地宮の結界に強烈な妖気が吹き付けられると、天蓋が揺れるほどの衝撃が走る。それを魔法戦士の結界で受けていたらと思うと、心底ゾッとするほどの凶暴な妖気だった。
その直後、結界内が凍りつくように冷え込むと、中心部に黒球が現れ、ポッカリと穴が空いたように染め広がる。ハンガウが操作して結界の力を引き上げるが、その黒い穴にだけは何故か力が及ばなかった。
それが魔力を吸収されているせいだと理解した時、黒い穴から三体の影が飛び込んできた。
地面に着地したのは、銀色の巨狼にまたがるクロエ大臣と、場違いなほど雅な振袖姿の女、そして大きな蜘蛛の妖怪であり、それぞれが膨大な妖気を放っている。
「お前達は手を出すな! クロエ、地宮の中には入れさせんぞ!」
と剣盾を構えたハンガウが叫ぶと、顔を上げたクロエが、
「クックックッ、お前如きに止められると思うか? それに無策でここまでは来ん。トーガよ、ここに」
と手を差し出す。すると陣形を組む最前列にいた空間魔法使いのトーガが、クロエの元に無警戒に走り寄った。
「トーガ! どういうつもりだ!?」
それを見て逆上した獣人や魔法戦士達が驚きの声をあげるが、彼女は全く取り合わずに、クロエの手を取ると、転移魔法を唱え始める。すると魔力の尽きたはずの彼女から、膨大な魔力のこもった詠唱が発せられた。
「待てっ!」
と怒鳴る虎のライカンスロープが詰め寄ると、蜘蛛の妖人がその間に割って入り、口から糸を放った。それはライカンスロープに当たるかと思われたが、超人的なスピードで避けると、地面に命中して周囲に巨大な巣が弾けて広がる。それを避けようと陣形が崩れた時、転移魔法が完成し、蜘蛛の妖人を残してクロエ達がその場から掻き消えたーー地面に転移の魔方陣を残してーー
〝蜘蛛しか引き留められなかったか……〟
ハンガウは内心の落胆を押さえ込み、虎のライカンスロープと絡まり合う蜘蛛の妖人を取り囲むと、
「お前だけ取り残されたな」
と詰め寄る。
「ホッホッホ、残ったのはわざとよ。お主への恨みはらさでおくべきか」
蜘蛛の首元から女の声が響いた。驚いたハンガウの耳元が急速に冷え固まる。その冷気を咄嗟に避けると、痛みと共に甲高い女の笑い声が届いた。
「お主だけは直接殺してあげる、その後でゆっくりとご主人様を追いかけるわ」
蜘蛛の頭部に寄生するように張り付くのは、とどめを刺したはずの雪女の首だった。
嘲笑する女は連続でハンガウの居る空間を凍結させると、避ける事も間に合わず、魔力の盾で受けるのが精一杯になる。なんとか結界の力で包みこもうとするが、素早く動き回る蜘蛛を捉えることができない。
内心の焦りを覚えながらも、表面の平静だけは保つ。だがその時、味方のライカンスロープが雄叫びをあげながら突進していった。
「危ない!」
と咄嗟にかばうハンガウの盾が、蜘蛛の放った糸に絡めとられると、雪女の放った氷柱がハンガウ達を襲う。一本は剣で弾くものの、残りの三本がライカンスロープの体と、ハンガウの太ももを貫いた。
すぐさま回復魔法をかける魔法戦士達、だがハンガウの傷口は、凍結して回復を許さない。
「くっ、陣形を整えよ、遠距離型は散開して魔獣討伐の陣!」
片膝をついたハンガウの指令に、味方が動く。それにすぐさま反応した雪女と蜘蛛の妖人、いわば雪蜘蛛は、かすかに揺れると大きく跳躍した。だがその足を引っ張るものがある。一極に集中させた結界の力が雪蜘蛛の足を一本だけ捕らえていたのだ。
「これでお互いに足を取られたわけだ」
口角を上げるハンガウを、眉間に皺を寄せた雪女の首が睨みつけると、その横で蜘蛛の顎が、
「カカカカカッ」
と耳障りな音を立てた。




