8.王宮舞踏会(6)
「え?」
意味がわからずに聞き返そうとしたそのとき、ウィーンという魔力の揺らぎを感じて私ははっとした。クラウス様も同じく魔力の揺らぎを感じ取ったようで、視線を鋭くして一方向を睨む。
「そろそろだな。エルマ、こっちへ」
クラウス様が私の手を取る。
(そろそろって、何が?)
よくわからないまま、今いるテラスから繋がる庭園へと連れ出された。
ところどころに明かり取りの魔法灯が揺らめいているものの、庭園は薄暗い。
「どこに行くのですか?」
ぐいぐいと手を引かれ、私は戸惑ったまま足を進める。心なしか、どんどん暗い場所へと進んでいるように感じた。
これって……。
(もしかして、噂に聞いたことがある逢い引き?)
舞踏会で心を通わせた男女が暗がりで盛り上がることがあるというのは、サエラから聞いてなんとなく知っている。コリンズ=フィバーの大魔術師シリーズでもこんなシーンを読んだわ。
「わっ」
クラウス様は不意に立ち止まり、私はその背中にポスンとぶつかる。すると、振り返ったクラウス様にぎゅっと抱きしめられて「静かに」と囁かれた。
(や、やっぱりそうなの⁉)
確かに私はクラウス様が好きだと自覚したけれど、急展開すぎてついて行けない。
「ク、クラウス様。私、男性とお付き合いするのに慣れていないので、できれば段階を踏んで──」
慌ててそう言いかけたとき、クラウス様の人差し指が私の口元に添えられる。
「これ以上になく煽られる告白だが、今は静かにしてくれ。静かにできない口は、もう一度塞いでしまおうか?」
まるでキスでもするかのような距離感で囁かれたその言い方がとてつもない色気を放っていて、私は口をあわあわとさせる。
「し、静かにします」
「よし、いい子だ。来い」
クラウス様は私を抱き寄せると、王宮の外壁に背を預けて何かを窺うように周囲を見渡す。そして、一カ所に視線を向けると表情を険しくしてそこをじっと見つめた。
(何を見ているのかな?)
その視線の先を追い、私は驚いた。
(えっ!)
目を懲らすと、暗闇の中に何人かの人がいるのが見えた。けれど、私が驚いたのはそんなことではない。そこにいる人物のひとり、真っ黒なロングケープのようなものですっぽりと全身を覆った人物が、魔法の防御壁の結界に何かをしようとしているのだ。
よく見ると、その近くにいる大柄な人物は帯剣しているように見える。
「クラウス様、あの人達──」
一刻も早く止めさせないと。
私は自分を抱き寄せているクラウス様の胸元をどんどんと叩く。
これは一大事である。何者かが、せっかくルーカス師長とケイリー様が張った防御壁の結界を壊そうとしているのだから。
「エルマ、大丈夫だ。よく見ろ」
クラウス様は今にも飛び出そうとする私を宥めるように肩を抱く。
(大丈夫?)
どう見ても大丈夫には見えないけれど、クラウス様はじっとするようにと言う。
そして、遂に防御壁の結界の一部に緩みが生じるのが見えた。すると、黒ロングケープを着ていた人物はそこでピタリと作業を止め、そこから姿を消してしまった。
(あれ?)
てっきり完全な穴が空くまでやるのかと思いきや、途中で作業を止めてしまった。クラウス様は相変わらず険しい表情のまま、その方角を見つめている。
どれくらい経っただろう。
(誰かが来た?)
暗がりに人影が見え、私は目を凝らす。結界のちょうど緩んでいる部分に手をかざすようなポーズを取るのが見えた。
その緩んでいた結界に、異変が起きる。結界が壊れるような、魔法の衝撃を感じた。
「あっ、穴が!」
思わず声が漏れる。結界に生じた小さな穴は、見る見る間に大きくなる。そして、そこから何人もの人がこちら側に入ってくるのが見えた。
「クラウス様、大変! 不審者が!」
私は思わず悲鳴を上げる。
「あっちは任せておいて大丈夫だ。俺は黒幕を仕留める」
私の横にいたクラウス様はそう言い放つと、結界の穴があるのとは別の方向に走りだした。
(えっ、誰に任せるの? 黒幕って?)
そう思って聞き返そうとしたが、クラウス様は既に数メートル先にいた。私は結界の穴が空いたほうを見る。どこからともなく警備中の騎士らしき人達が現れて、不審者を取り囲んでいるのが見えた。
「クラウス様、待って!」
慣れないドレス姿は走りにくい。必死に追いかけようとするけれど、あっという間にクラウス様が遠くなる。
──バチーン!
クラウス様が走っていったほうから、魔力がぶつかり合う大きな衝撃を感じた。
(何が起こっているの⁉)
遠くてよく見えないけれど、誰かとクラウス様が魔法で戦っているように見えた。とにかく早く行かないと。私は必死に走る。
ようやく追いついたとき、そこに広がる光景に私は目を見開いた。
「え? ショーンさん?」
クラウス様の足下には、魔法によって拘束されたショーンさんが横たわっていた。
◇ ◇ ◇
クラウス様に連れられて行ったのは舞踏会会場となる大広間からほど近い客室だった。舞踏会で疲れた人達が使用するための休憩室で、ソファーセットや簡易ベッドが置かれている。
落ち着かない気持ちのまま、クラウス様に促されて私はソファーに座る。さほど待つこともなくドアが開き、そこに現れた人物に私は目を丸くした。
「リプリシア将軍!」
それは、ここリスギア国の軍事トップであるリプリシア将軍だった。
短く切られた栗色の髪、しっかりと上がった眉、まるで肉食獣を思わせる鋭い眼差し。大柄な体格でいかにも軍人然としている。国民に公開される公式行事などで遠目にそのお姿を見かけることは時折あったが、近くでお目にかかるのは初めてだ。
慌てて立ち上がろうとすると、それはリプリシア将軍によって制止されてしまった。
「楽にしていろ」
そして、リプリシア将軍が大きすぎて見えなかったが、後ろからは筆頭魔術師のケイリー様まで。さらに驚いたことに、ケイリー様は私が先ほど外で見た不審者と同じ服を着ている。
「えっと、これはどういう……」
全く話が見えてこず、私は助けを求めてクラウス様のほうを見る。クラウス様は私を安心させるかのように、にこりと微笑んだ。
「実は、罠を仕掛けていた」
「罠?」
「ああ。俺におかしな薬を飲ませて王宮舞踏会の警備を危機にさらした犯人を炙り出す罠だ。今日、ケイリーには意図的に防御壁の結界に緩みを作るように伝えていたんだ」
どくんと胸が鳴る。




