8.王宮舞踏会(4)
──トン、トン、トン。
背後で、ノックする音がする。
音がしたほうを振り返ると、ちょうど開いたドアの隙間からクラウス様が見えた。
(うわぁ)
クラウス様も先日ロークタンで仕立てたフロックコートの盛装をしていた。お店で見たときも似合うと思っていたけれど、しっかりと仕立てた衣装を着たクラウス様の威力たるや想像を遥かに超えていた。
無造作に掻き上げた髪がまた、色気を倍増させている。
「エルマ、どうした?」
私が立ち尽くしているのを見て、クラウス様は小首を傾げる。
「もしかして、見惚れているのか?」
「はい。すっごく格好いいです」
にやりとするクラウス様に、思わず頷いてしまう。憎まれ口を叩くのも憚られるほどに、今日のクラウス様は素敵だったのだ。
「っ! そうか」
クラウス様は言葉を詰まらせると、少しだけ耳を赤くする。私の手を掴むと、ぐいっと引き寄せた。
「エルマも綺麗だ。とても──」
甘さを孕んだ声で、耳元で囁かれる。
触れられた耳たぶに、ふと重みを感じた。不思議に思って手を当てると、何か固いものが指先に触れた。
「これは?」
「耳飾りだ。ドレスで着飾っているのだから、それに相応しい宝石も必要だろう?」
クラウス様が見せた手の上には、耳飾りがひとつと、ネックレスが載っていた。耳飾りは耳たぶ部分に大粒のダイヤモンドが付いており、そこからぶら下がる淡い紫色の石の周囲をぐるりとダイヤモンドが取り囲んでいる。ネックレスも耳飾りと同じようなデザインだが、使っている石の大きさやダイヤモンドの数は桁違いだ。
「えっ、こんなに素敵なものを私が着けていいのですか?」
私は驚いてクラウス様に尋ねる。下手をすると、私の一生分の給料に相当するくらいの値がしそうだ。
「もちろん。エルマのために用意したものだ」
「綺麗……」
魔法灯の明かりを浴びてキラキラと輝く宝石は、まるでクラウス様の瞳を思わせる淡い紫色をしていた。
「気に入った?」
「はい。とても素敵すぎて……、すごく嬉しいです」
まさか、自分の人生でこんなに素敵なドレスや豪華なアクセサリーを着ける日が来るとは思っていなかった。
感激する私を見て、クラウス様の唇は満足げに孤を描く。
クラウス様は手に持っていたもうひとつの耳飾りを反対側の耳にも付ける。そして、最後にネックレスを私の首元に当てる。前から背後に腕を回されると、その距離の近さにまるで抱き寄せられているかのような錯覚を覚えそうになる。
「できたぞ」
クラウス様の声に、私は気恥ずかしさから俯かせていた顔を上げる。
「うん、似合っている」
目が合ったクラウス様の目が、優しく細まる。今日のドレスのような薄紫色の瞳を見つめていたら、胸がドキンと跳ねた。
「そろそろ舞踏会が始まる時間だ。行こうか」
「はい」
肘を差し出され、そこに自分の手を通す。布越しのはずなのに、触れている場所からクラウス様の熱が広がるような気がした。
舞踏会会場は王宮の大広間だ。
魔術研究所は王宮の敷地内にあるけれど、場所も建物も全く違うので私は一度も訪れたことがない。親友のサエラによると〝まるで夢の世界のように煌びやか〟らしいけれど、表現が抽象的すぎて今日の今日までどんな景色なのか実物を全く想像できなかった。
「わぁっ」
私は大広間に足を踏み入れた瞬間、小さく歓声を上げる。
明かりを浴びてキラキラと輝く柱は金色、通常の三階分はありそうな程に高い吹き抜けの天井には精緻な絵が描かれ、そこからつり下がる豪華なシャンデリアは魔法の光を反射して虹色に煌めいている。
想像を遥かに超えた美しさだった。
「あれ、バルト侯爵家のクラウス様ではなくって?」
「本当だわ。エスコートしているのはどなたかしら?」
クラウス様は普段、滅多に王宮舞踏会に姿を現さない。珍しい人物の登場に、会場にいるご令嬢達がざわめく。あっちでもこっちでも、ひそひそと話しながらこちらを見つめているのがわかった。
ジロジロと不躾な視線を色々な場所から感じ、居心地の悪さを覚える。視線のほうを見ると、若いご令嬢のグループが目に入った。その眼差しには、嫉妬と羨望が渦巻いている。
「エルマ、何を見ている?」
「ひゃっ!」
耳元で囁かれ、ぞくっとしたものが背筋を這う。
「急に耳元で囁かないでください」
「エルマがよそ見ばかりしているから、妬いた。俺だけを見ていろ」
「なっ!」
甘さを乗せた囁きに頬が急激に紅潮するのを感じる。
遠くから「きゃあ」と悲鳴のような黄色い声が聞こえてきた。多分、遠くから見たらいちゃいちゃしているようにしか見えないだろう。
「クラウス」
不意に呼びかけられ、私達はそちらを見る。そこには、白色の豪華なフロックコートを着た二十代後半位の男性がいた。銀色の髪が煌めく、イケメンだ。
「兄上。ご無沙汰しております」
クラウス様はその男性の顔を見るなり顔を明るくする。
(兄上って言った?)
クラウス様の兄上ということは、バルト侯爵家次期当主だ。私の記憶が正しければ、確か、魔法省の重要な役職に就いていたはずだ。
よくよく顔を見ると、確かに似ている。
「こちらの女性は?」
「彼女はエルマ=ホフマンです。魔術研究所で働いている、とても優秀な魔術師です」
「ほう。もしや、彼女が?」
「はい、前に話した付加魔法師です」
クラウス様の言葉を聞きながら、クラウス様のお兄様は私の頭から足まで視線を走らせる。
「これはこれは──」
(なんだろう……?)
含みのある言い方に、私の格好に何かおかしいところがあるだろうかと不安になる。クラウス様のお兄様は私と目が合うと、にこりと微笑んだ。
「私はアルベール=バルトだ。よろしく」
「エルマ=ホフマンと申します。いつもクラウス様にお世話になっております」
私も挨拶を返す。
「このドレスにその宝飾品、とても似合っているね」
「ありがとうございます。クラウス様がご用意してくださいました」
「うん、そうだろうね。見た瞬間にわかったよ」
「?」
(なんで、見た瞬間にわかったのかな?)
バルト家もロークタンを愛用しているから店の人から話を聞いた? もしくは、そんじょそこらの人間に買えるようなものではないのでクラウス様にご用意いただいたことは容易に想像が付くと言いたい?
理由はよくわからないけれど、アルベール様は意味ありげな笑みを浮かべている。




