8.王宮舞踏会(3)
「そうだな──」
一着一着を観察するようにじっくりと眺め、とあるドレスの前で足を止めた。
「これがいいんじゃないか?」
クラウス様が手に取ったのは、淡い紫色──まるでラベンダーの花を思わせるようなドレスだった。造花があしらわれた細い腰から広がる艶やかなシルクには真珠が縫い付けられ、裾からはオーガンジーがちらりと覗く。胸元にはレース飾りがあしらわれ、肘からフレアになった袖にも同じレース飾りがあしらわれていた。
「わあ、素敵」
これまでの人生で見たことがないような素敵な衣装に、気持ちが浮き立つ。
「さすがはクラウス様でございます。お目が高い。こちら、今シーズンの新作ですのよ」
すかさずセールストークをはじめた店員の女性がにこにこしながらクラウス様に近付き、そのドレスを受け取った。
「お嬢様、早速試してみましょう」
「え、でも──」
本当に私がこんなドレスを着てしまっていいのだろうか。
なおも戸惑う私の背中を押すように、クラウス様が手を添える。私はその手に促され、おずおずと前に出た。
「着替える間、俺は外にいるから」
「はい」
ドアから外に出るクラウス様を見送り、私は着替え始める。
初めて着る本格的なドレスは下着からして普段使うものとは全く違い、戸惑いが大きい。けれど、憧れていた衣装を着られるということで、嬉しい気持ちが強かった。
店員の女性に手伝ってもらいながら、ようやくドレスを着ることができた。
「お嬢様はスタイルがよろしくていらっしゃいますから、ほとんど手直しがいりませんね。少しだけ肩周りを詰めるだけでよろしいかと」
女性は私の肩を摘まみ、詰めるサイズを測るとそれを手元のメモに転記する。それが終わると、「クラウス様を呼んで参りますね」と言って部屋のドアのほうへと向かった。
一方の私は、部屋の壁際に置かれた姿見に映る自分を見つめる。
「うわぁ……」
衣装が変われば印象が変わることは多々あるけれど、まるで別人みたいだ。お姫様のような格好をした自分の姿に、急激に気恥ずかしさが込み上げる。
(自分が自分じゃないみたい。やっぱり、無理!)
自分のような庶民はドレスを眺めてうっとりしているくらいがちょうどいい。いざ着てもいいと言われて袖を通しても、違和感しかない。
(クラウス様が来る前に着替えちゃおう)
そう思ったまさにそのとき、ドアがカチャリと開く音がする。クラウス様は私を見ると、大きく目を見開いた。口元に手を当て、上から下まで観察するように眺める。
(やっぱり変だったかな……)
分不相応の衣装を着た自分が恥ずかしい。私は所在なく視線を彷徨わせる。
「クラウス様、いかがでしょうか?」
クラウス様の後ろからひょっこりと姿を現した先ほどの女性が、にこにこしながらクラウス様に問いかける。
「とてもお似合いでいらっしゃいますでしょう?」
「ああ、思った以上だ」
クラウス様はこくりと頷くと、まっすぐに私の元へと歩み寄る。そして、私の右手をそっと手に取った。
「エルマ。とても綺麗だ」
「本当に? 変じゃないですか?」
「本当に決まっているだろう。あまりに綺麗で、息が止まるかと思った」
それはさすがに褒めすぎなのでは?
「ど、どうもありがとうございます」
握られた手がゆっくりと持ち上げられる。逆に、上半身を屈めたクラウス様の顔がそこに近付き、ちゅっと手の甲にキスをされた。
「ひゃっ!」
思いも寄らない攻撃に、思わず変な声が漏れる。クラウス様は顔を上げると、私の顔を見つめてにんまりと口の端を上げる。
(今、からかった? からかったよね?)
じとっと睨んでみたが、クラウス様にはどこ吹く風だ。機嫌がよいクラウス様は女性に「これを頼む」と早速注文していた。
「今度の王宮舞踏会に着ていきたいのだが、仕立ては間に合うか?」
「問題ございません。お嬢様はとてもスタイルがよろしくて、ほとんど直しが必要ありませんから」
「そうか」
(これ、本当に買うの?)
王宮舞踏会に着ていくドレスなど持っていないから何かしらのドレスを買わなければならないことは確かなのだけれど、これはちょっとばかし高価すぎるのでは?
そんな思いを抱えて戸惑う本人を置いてきぼりにして、クラウス様と女性はどんどん話を進める。
結局、あれよあれよという間にそのドレスはお買い上げとなったのだった。
◇ ◇ ◇
王宮舞踏会の日はあっという間にやって来た。
目を瞑ると、まぶたの上を優しくブラシでなぞられる感触がした。
「目を開けてくださいませ」
声をかけられておずおずと目を開ける。私の顔を覗き込むように見つめていた女性は満足げに微笑むと私の頬骨の上にピンク色のチークを載せ、最後に唇につやつやのグロスを塗った。
「とてもお綺麗でございます」
大きめの手鏡を手渡されたので、おずおずとそれを覗き込む。そこには、綺麗にお化粧した女性が映っていた。
「すごい……!」
まぶたの上に載ったアイシャドウは今日のドレスと同じ薄紫色、まつげはしっかりと上に上がり普段より目がぐっと大きく見える。ほんのりとピンク色に色づいた頬は顔色をよく見せ、まるで濡れているような唇は色気を感じさせる。
(完全に別人だわ!)
普段の自分とのあまりの差に、驚きすぎて上手く言葉が出てこない。
「あちらに姿見がございますから、ご覧になってくださいませ」
私の準備をしてくれた化粧師の女性(この方はクラウス様のご実家であるバルト侯爵家御用達の人気化粧師らしい。今日の王宮舞踏会に参加する私のために、クラウス様が手配してくださったのだ)が部屋の一角にある大きな鏡を指し示す。
私はおずおずとその鏡へと近付いた。
「わあ、すごい……!」
さっきと同じ台詞が口から漏れる。すごい、としか言いようがなかった。
普段は下ろされた緩いくせ毛の茶色い髪は美しく結い上げられ、髪には白い生花が飾られている。
体を動かすたびに裾が軽やかに揺れるドレスは、憧れのブランド──ロークタンで先日クラウス様が仕立ててくださったものだ。さすがは大人気の仕立屋だけあり、まるで私のためにデザインされたのではないかと思うほどぴったりと体になじんだ。




