8.王宮舞踏会(2)
「エルマ、どれがいいと思う?」
茶色のフロックコートを試して鏡を眺めていたクラウス様がこちらを振り返る。
(私が見立てちゃっていいのかな?)
どれも似合っていて捨てがたい。私はうーんと悩むと、オーソドックスな黒色のフロックコートを手に取る。生地は黒なのだが、襟元や袖に銀糸の装飾が施されているため華やかなものだ。
「これが似合っていた気がします」
クラウス様は綺麗な銀髪なので、衣装の黒と髪の色にメリハリがあってとても素敵だった。
「これか?」
クラウス様はすぐに着ていた茶色のフロックコートを脱ぐと、今度は私が勧めた黒色のフロックコートに袖を通す。
「うん、やっぱり似合っています。すごく格好いいです!」
思った通り、それはとてもクラウス様に似合っていた。
「そうか」
クラウス様は目を瞬かせると、なぜか口元を押さえる。よーく見ると、銀色の髪の合間から見える耳がほんのりと赤い。
(もしかして、格好いいって言われて照れているのかな?)
格好いいなんて言われ慣れていそうなものなのに、意外だ。
(ふふふ、こんなことで照れるなんて新発見!)
思いがけない可愛い反応に、思わず口元が綻ぶ。
「では、これに決める」
「さようですか。とてもお似合いでよろしいかと思います。細部の仕立て直しをしますので、採寸を」
「ああ」
(えっ!)
クラウス様と店員さんがにこにこしながら受け答えするのを見て、私は驚いた。
「クラウス様、他のものは見なくてもいいのですか?」
「これが似合っているのだろう?」
おずおずと尋ねた私を見て、クラウス様は首を傾げる。
「はい、似合っています」
それは間違いない。はっきり言ってめちゃくちゃ似合っているし、格好いい。でも、この店にはたくさんの衣装があるので、他にも気に入るものがあるかもしれないと思ったのだ。
「ならば、これで決まりだ。エルマが選んでくれたからな」
クラウス様は心底嬉しそうに笑う。
その瞬間、胸がぎゅっと掴まれるような感覚を覚えた。
(そんな顔して、反則でしょ)
まるで以前一緒に過ごした五歳児のクラウス様を彷彿させるようなあどけなさに、不覚にもキュンとしてしまった。
そう待つこともなく、仕立て職人がクラウス様の採寸をするために現れる。その様子を眺めていると、見知らぬ女性が私の元にやって来てにこりと微笑んだ。格好から判断するに、この店の店員だろう。
「お次はお嬢様の衣装を選びに参りましょう」
「え、私?」
私はぽかんとして聞き返す。なんで私の衣装を選ぶ必要があるのだろうか。
というか、ロークタンのドレスなんて作ったら私の全財産が吹っ飛んでしまう可能性がある。絶対に無理だ。
「私は大丈夫です」
「そんなことを仰らずに。素敵なものをたくさん用意しておりますのよ。入ったばかりの新作もありますし」
素敵なもの、新作、と聞いて気持ちがぐらぐらと揺れる。
買うことはできないけれど、見るだけならタダだし許される?
クラウス様のほうをちらりと見ると、足の長さを調整しているところだった。まだ時間はかかりそうだ。
ところで、裾って普通は詰めるものなのに、クラウス様は伸ばすんですね。スタイルがよくて羨ましい。
「じゃあ、ちょっとだけ見てもいいですか?」
「もちろんでございます」
店員さんはにこりと微笑むと、私を隣の部屋へと案内した。
「わあ、すごい……」
その部屋で目にした光景に、思わず感嘆の声が漏れた。
部屋の端から端までずらりと掛けられたたくさんのドレス。リボンをたくさんあしらったフェニミンなものから大きく胸回りが開いたセクシーなものまで、ありとあらゆるデザインが揃っていた。そして、さすがはリスギア国一の仕立屋と言われるだけのことはある。その全ては洗練され、見ているだけでうっとりしてしまうほどだ。
王宮の敷地内で働いているから貴族令嬢が着飾った姿を見かけることはよくある。けれど、こんなにも素敵なドレスを着ている人はごく少数だと思う。
「どれも素敵ですね」
「お気に召したものがあれば言ってくださいませ。そうですわね、お嬢様にはこれなんかが似合いそうな気が──」
店員さんは並んで掛けられたドレスの中から一着を取り、私に合わせるように前に差し出す。それは黄色のドレスで、幾重にも重なったドレープが下にいくにつれて白色に近付くという凝ったデザインのものだった。ドレスの至る所に小花の装飾が飾られている。
「すごい、素敵!」
「是非着てみてくださいませ。絶対にお似合いですわ」
「え、でも……」
着てみたい。けれど、買うつもりがないのに着るのはさすがに気が引ける。
どうしようかと思案していると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。店員さんが「はい」と答えてドアを開けると、元の魔術師用ケープ姿に戻ったクラウス様がそこに立っていた。
「エルマ、気に入ったものはあったか?」
「えーっと、気に入るものはたくさんですが着る機会もないので──」
「何を言っている。今度の王宮舞踏会に着ていくドレスだ」
「え!」
それは初耳だ。あの王宮舞踏会、私も参加するの⁉
「聞いていませんが?」
「そうだったか? とにかくエルマも参加するんだ。俺のパートナー役だ」
「ええー!」
舞踏会に参加する際、男性が女性をエスコートして参加するというのは私も知っている。そのエスコート相手が私ということ?
まあ、今回は薬を混入した犯人が怪しい動きを見せないか監視するという重要な目的があるので、パートナー役は事情を知っている私が適任だということはよくわかるけれど。
ただ、王宮舞踏会と言うからには舞踏会なのだ。舞踏会に参加するに当たって、大問題がある。
「私、ダンス踊れませんけど?」
「今夜から練習しようか。いくらでも付き合う」
クラウス様は私を見つめると、優しく微笑む。
いや、こんなところでそんな甘い微笑みいらないから。
「ちょっとここのドレスは、私には予算オーバーかもしれません」
「俺が払うに決まっているだろう」
クラウス様は一転して眉根を寄せると、壁際に掛かっているたくさんのドレスに視線を投げる。




