8.王宮舞踏会(1)
ルーカス師長からクッキーを受け取った翌日のこと。
魔術研究所に出勤した私は、いつものように箒を持って研究所内の掃除をしていた。程なくしてクラウス様も出勤してくる。
「あ、クラウス様。おはようございます」
「おはようエルマ」
クラウス様は私の顔を見ると、蕩けるような甘い笑みを浮かべる。
ううっ、イケメンが爆発していて朝から眼福でございます。
挨拶をしただけなのに、この威力はなんなのだ。
つい数カ月前まで知っていたクラウス様の印象と違いすぎて、戸惑いが隠せない。
そのときだ。廊下の向こう、魔術研究所の玄関ホールから二階に繋がる階段のほうからカツカツと足音が聞こえてきた。
私が「誰か来る」と思ったのとほぼ同時に、クラウス様も私から少しだけ離れた。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
廊下の向こうから歩いてきたのは、ルーカス師長だった。黒い魔術師用ローブの胸元にはルーカス師長の瞳と同じ緑色の宝石が光っており、とても似合っている。
「ルーカス、ちょっと頼みがあるんだ」
「頼み?」
ルーカス師長は私達の前で立ち止まると、怪訝な表情を浮かべる。
「今度の王宮舞踏会の日だが、俺とルーカスが結界作りの役目だろう? あの日だが、俺は王宮舞踏会に参加したいから役目を代わってもらおうと思っている」
クラウス様の言葉に、私はおやっと思った。
(その日は動きがあるかもしれないから探ろうって言ってなかったっけ?)
昨日、確かにそう聞いた気がするのだけれど。
それなのに、肝心の今回は参加する?
私は戸惑ってクラウス様を見上げる。
一方のルーカス師長も、眉をぴくりと動かした。
「なんだと?」
ルーカス師長は不機嫌な様子でクラウス様を見据える。
前回、意図的ではなかったにしてもクラウス様は事前の連絡なしで結界作りの役目を放棄した。また押しつけられると思ったのだろう。
「またもや私に全てを押しつける気か? いくら私が有能だとはいえ、一晩中ひとりで結界を張り続けるのがどんなに大変だと思っている?」
「いや、ひとりにはさせない。俺の代わりはケイリーに頼むつもりだ」
「ケイリーに?」
「ああ。多少俺より結界作りに不慣れなところもあるが、お前と一緒だったら問題ないはずだ。お前の技術は確かだからな。頼む。お前にしか頼めない」
クラウス様の言葉に、ルーカス師長は大きく目を見開く。
(あ、これはルーカス師長のスイッチ入っちゃったかも)
ルーカス師長は口元に手を当てる。予想通り、その唇は弧を描いていた。
「なるほど、なるほど。はっはっは! お前、ようやく私の偉大さに気付いたようだな。そこまで頼み込まれては仕方があるまい。この私に任せろ」
上機嫌のルーカス師長は歯を見せて朗らかに微笑み、ぽんぽんっとクラウス様の肩を叩く。
うん、この単純な人が犯人ってことは絶対になさそうな気がする。
「クラウス様、その日は何か動きがあるかもしれないと仰っていたのに、王宮舞踏会に参加されるのですか?」
ルーカス師長が立ち去った後、私は小声でクラウス様に真意を問う。
「ああ、そのつもりだ。参加者としての立場のほうが、自由な行動が取れるから何かと便利だ」
「なるほど」
言われてみれば、そうかもしれない。
その日の晩、私はすっかりと日課となったクラウス様との食事に行った。
店を出ると、夏の訪れを思わせるような暖かな風が頬を撫でる。
大通りには魔法灯の明かりが点されているのが見えた。あれも、魔術研究所の研究成果だ。
「エルマ。よかったら、この後少しお店でも見ていかないか? 今度の王宮舞踏会に着ていく服を仕立てておきたい。一緒に見たほうがいいと思うんだ」
「服ですか? いいですよ」
クラウス様のお誘いに、私はすぐに頷く。
クラウス様は王宮舞踏会に滅多に参加しない。久しぶりの参加なので、衣装を仕立て直すのだろう。
「よかった」
クラウス様はほっとしたように息を吐く。そして、当たり前のように私の手を握ると歩きだした。
およそ十分後、私は目の前にある建物を見て興奮を抑えきれなかった。だって、そこは憧れのブランド──ロークタンの工房だったのだ!
立派な白亜の建物は石造りで、細かな彫刻が施されている。よく見ると、柱にも上下に飾りが付いていた。立派な両開きの扉の前には、きっちりと制服を着込んだドアマンが立っていた。
(ここ? すごい!)
さすがは侯爵家次男。私が一度でいいから行ってみたいと思っていた憧れのお店に、いともあっさりと入ってしまうなんて!
ドアが開くとすぐに、フロックコートをきっちりと着込んだ男性が近付いてきた。
「いらっしゃいませ。お手伝いさせていただきます」
「来月、王宮舞踏会がある。参加する際の服を準備したい」
「かしこまりました」
中年の男性は人当たりのよい笑みを浮かべ、深々と腰を折ってお辞儀をした。そのまま、私達はお客様用のVIPルームへと案内されたのだった。
我が家の安物の紅茶とは明らかに違う逸品を味わいながら、先ほどの男性がピックアップしてきたいくつかの衣装が目の前に並べられる。基本は全てフロックコートなのだが、細かな襟の形や刺繍の柄などが違うため印象はだいぶ違う。
クラウス様は今着ている魔術師用のケープを脱ぐと、そのうちの一着を羽織る。さすが美貌の魔術師、世の女性を虜にするだけのことはある。どれを着ても商品のモデルかと思うほど様になる。




