7.クッキーの謎(3)
「あの日は悪かった。差し入れされたクッキーの詰め合わせを食べたら、ついそのまま居過ごしてしまった」
(え? そんなに正直に言っちゃっていいの⁉)
私は驚いた。目の前のこの人が犯人かもしれないのに、これはカマをかけているのだろうか。私はゴクリと唾を呑み、ルーカス師長の反応を見守る。
ぴくりと片眉を動かしたルーカス師長は、無言でクラウス様を見つめる。
「前々から言おうと思っていたがな──」
ルーカス師長は執務机の周囲をぐるりと回ってこちらに歩み寄る。そして、まっすぐにクラウス様を見据えた。
「クラウス=バルト! お前だけが女性から人気だと思うな! 私にも熱烈なファンがいる。これを見ろ!」
ルーカス師長はばっと片手を壁のほうに向けると、壁に掛かっていたカーテンが触らずに引かれる。私はそこにあるものを見て、目が点になった。
(え? これって……)
クラウス様も驚きのあまり、目が釘付けになっている。
なぜなら、壁には飾り棚が設えられており、そこにはドーンとあの日クラウス様がもらって食べたというクッキーの詰め合わせと全く同じ菓子箱が置かれていたのだ!
「ふははははっ! 驚きのあまり声も出ないか」
勝ち誇ったようにルーカス師長は、得意げに髪の毛を掻き上げる。
(えっと、これは──)
私は今の状況を、努めて冷静に分析する。
そして至った結論は──。
(ルーカス師長ってもしかして、ものすごーく残念な人?)
どこから突っ込んでいいのかよくわからない。クラウス様は唖然としてしまい、言葉も出てこないようだ。
「ルーカス師長。これ、どうしたんですか?」
私は恐る恐る、ルーカス師長に尋ねる。
「これは、私の熱烈なファンが『是非食べてほしい』という手紙と共に差し入れてきた菓子だ」
「いつ?」
「クラウスが勤務怠慢を働いた日だ」
やっぱり! と心の中で叫ぶ。
「ちなみに、食べました?」
「まだ食べていない」
そりゃそうだろうな、と思う。こんなふうに飾り棚に飾って後生大事にしているくらいだ。よっぽど嬉しかったのだろう。
「ルーカス師長、すごいです!」
思わず絶賛せずにはいられない。ルーカス師長のこのクッキーを分析すれば、どんな薬が使われたかなどの糸口が掴めるかもしれないのだ。
私の褒め言葉に、ルーカス師長は気をよくしたようにふんっと鼻を鳴らす。
「まあ、私ほどの大魔術師ともなれば熱烈なファンがひとりやふたり、いるものだ」
そして、ぽんっと私の肩に手を置く。
「お前は確か、クラウスの秘書だったな? なるほど、お前はなかなかわかっているな。本日よりクラウスの秘書は辞めて、私の部下にしてやろう」
その途端、クラウス様によってぐいっと腰を引き寄せられた。
「おい、俺のエルマに気安く触るな。エルマは俺の永久専属だ」
「お前のエルマ? クラウスの専属なのか?」
「そうだ。そうなることは決定している」
怪訝な表情を見せたルーカス師長に、クラウス様は自信満々にそう言い切る。
(いやいや、いつ私があなたの永久専属になることに決定したんでしょうか?)
色々と突っ込みどころの多すぎる会話をしているふたりを尻目に、私ははあっと息を吐く。そもそも私は秘書ではなく、普通の研究員だ。
「そんなことよりルーカス師長。このクッキー、中身はどんななんですか? 見てみたいです!」
その場の空気を変えようと脳天気を装って明るく問いかけると、ルーカス師長は少し迷うような表情を見せる。けれど、すぐに「いいだろう」と言ってくれた。
「わあ……」
クッキーの詰め合わせは、思った以上の力作だった。シンプルなプレーン味から、紅茶の茶葉を混ぜ込んだものや、ナッツが添えられたものなど数種類のクッキーが詰め合わせてある。ルーカス師長の言う通り、一枚も食べた形跡はない。
(あれ?)
「これ、魔法がかかっていますね?」
触れようとしたときに、ふわりとルーカス師長の魔力を感じた。恐らく、カビなどを防いで傷みを遅くするための魔法だ。
「せっかく差し入れてくれたのに、傷んでだめにしては申し訳ないだろう?」
だったらさっさと食べればいいだけなのに。どんだけ嬉しかったのよ!
「ルーカス師長。これ、一枚だけ分けてはいただけないですか?」
「ああ、いいぞ。なんなら、全部持っていっていい」
「えっ、全部? いいんですか?」
こんなに大事にしているのだから容易に分けてはくれないと思っていた私は、ルーカス師長の返事に拍子抜けする。
「ああ、構わない」
ルーカス師長はいともあっさりと私にクッキーを渡してくれた。
意外に思ってルーカス師長を見上げると、ばつが悪そうに目を逸らす。
「実は、甘いものが苦手だ。だがせっかくの大ファンが贈ってくれたものを捨てるわけにもいかない。よかったら食べてくれ」
ぶっきらぼうな言い方だけれど、ようは「もらって嬉しかった。けど、開けたら苦手なものだった。捨てるのも申し訳ないから魔法をかけて保存しておいた」ということのようだ。
(ルーカス師長、いい人!)
だいぶ変わった人であることは疑いようがないが、こんなことをしちゃうあたり、悪人には到底思えない。
「ありがとうございます。いただきます!」
私はクッキーの詰め合わせの箱を胸に抱え、満面に笑みを浮かべてお礼を言った。
部屋を出ると、すぐに持っていた菓子箱をひょいっとクラウス様に取り上げられる。
「あっ。何するんですか」
「これは俺が預かる」
「クラウス様、それは食べちゃだめですよ」
「食べない」
クラウス様はムッとしたような表情をする。
「前回、ひとりで全部食べちゃったじゃないですか」
「今回は大丈夫だ。ひとまずこれを分析したい。どんな薬が混ぜ込まれたのか、調査するためだ」
「そうですね。クラウス様がやるんですか?」
「そのつもりだ。誰がやったかわからない以上、安易に研究所の人間には頼めないからな」
クラウス様は険しい表情のまま、持っていた菓子箱に視線を落とした。




