7.クッキーの謎(1)
目の前に運ばれてきたのはふわっふわのパンケーキ。その上に、これでもかというくらいたっぷりの生クリームといちごやブルーベリーなどのフルーツが載っている。
「わああ」
思わず口から感嘆の声が漏れる。
フォークでカットして一口食べれば、生地の甘さとフルーツの甘酸っぱさが絶妙に混じり合い口の中で美味しさが弾けた。
「美味しい……」
(何これ、めちゃくちゃ美味しいんだけど!)
この世にこんなに美味しいスイーツがあるなんて。さすがは貴族御用達の高級レストラン、材料からして違うのだろうか。
「美味しいか?」
「甘酸っぱくて美味しいです」
「よかった」
目の前に座るクラウス師長が機嫌よさそうに微笑む。
今日はクラウス師長が、私が行ったことがないお店に連れてきてくれた。貴族御用達の高級レストランで、庶民はなかなか来られないところだ。予約を取るのも難しいと聞いていたけれど、クラウス師長が予約してくださった。
「師長」
「クラウスだ」
「え?」
「今は勤務外だ」
(あっ!)
確かに、勤務時間外に役職で呼ばれたら嫌かもしれない。
「それに、ショーンのことは名前で呼んでいるだろう。俺のことも普段からクラウスと」
なんだか拗ねたような様子が、幼児のときのクラウス師長を彷彿とさせ可愛らしく見える。
私は思わずぷっと吹き出す。名前の呼び方なんて、あんまり意識していなかったのだけど、もしかして気にしていたのだろうか。思い返せば、クラウス師長を『クラウス様』と名前で呼ぶことはなかった。
(それでは、遠慮なく──)
「美味しいですね、クラウス様」
前に座るクラウス師長改めクラウス様ににこりと笑いかける。すると、クラウス様は私の顔を凝視したままぴたりと動きを止めた。
(ん? どうしたんだろう?)
名前で呼べと言われたからそうしたのだけれど、気を害してしまった?
戸惑ってクラウス様のお顔を見つめていると、その肌がほんのりと赤くなっていることに気付いた。
「クラウス様、もしかして暑いのですか?」
「いや、大丈夫だ」
クラウス様はハッとしたように答える。そして、口元に手を当てた。
「思った以上に、いいな」
ぼそりと呟く声が聞こえた気がした。
「え、何か仰いました?」
「いや、なんでもない」
クラウス様は首を振る。一体なんだったんだろう。
気を取り直した私は、目の前のパンケーキをもう一口頬張る。
(本当に美味しい! ああ、幸せ……)
もうこのパンケーキのことは『幸せのパンケーキ』と名付けよう。
「ありがとうございます。こんな素敵なお店にご一緒させていただいて」
お礼を言うと、クラウス様はふわりと微笑んだ。
「俺がエルマを連れてきたかったんだ。絶対に喜ぶと思った」
クラウス様は普段クールに見える薄紫色の目を優しく細める。その瞬間、心臓がドキンとした。
(……なんか恥ずかしい)
甘い空気なんて言葉を聞くことがあるけれど、今のこれはそれな気がする。いや、経験値が低くて確証はないんだけどね。
◇ ◇ ◇
穏やかな陽気の昼下がり。
私は魔術研究所の周囲に広がる庭園にあるベンチに腰かけ、サエラと一緒にサンドイッチを頬張っていた。
「エルマ。それ、絶対におかしいでしょ。毎日一緒に食事して週末も一緒に出かけるって、完全にやっていることが恋人じゃない」
「えっ!」
サエラの鋭い指摘に、私は狼狽える。
自分でも薄々おかしいと感じていたところを的確に突っ込まれてしまった。
そう、おかしいのだ。
海鮮料理店に一緒に行ったあの日以降、私は毎日のように勤務終了後の時間をクラウス様と一緒に過ごしている。実を言うと、勤務終了後だけでなく週末に誘われることもある。
最初は私の紹介したお店をよっぽど気に入ってくれたんだろうなーくらいに軽く考えていた。けれど、こうも連日にわたるとさすがにおかしいのではないかと感じていた。
それに、クラウス様は私と歩くときに必ず手を握ってくるのだ。
それとなくおかしくないかと指摘してみたものの、「おかしくないと思う」と笑顔で返されてしまった。さらに、最近は「可愛い」とまるで挨拶をするかのように自然に言ってくる。
「でも……、あのクラウス様だよ? 世の女性憧れの大魔術師様だよ?」
「エルマも滅多にいない付加魔法師だから、レア度で言ったら同じようなもんじゃない? それに、エルマは十分可愛いから安心して」
「いや、でもさ」
からかわれているだけな気がしてならないのだけれど?
だって、クラウス様だよ?
そのとき、私は遠くから見覚えのある人が近付いてくるのに気付いた。
「あれはショーンさんかな」
「だね」
お昼をどこかに食べに行った帰りだろう。ショーンさんはひとりで魔術研究所の入り口へと繋がる通路を歩いていたが、私達に気付くとこちらに近付いてきた。
「ショーンさん、お昼は外に行ってきたんですか?」
「うん、まあね。ユーカリ亭に行ってきた」
「ああ、あそこ。美味しいですよね」
「じゃあ、今度一緒に行こうか」
「いいですね」
私が頷くと、ショーンさんはにこりと笑う。
「じゃあ、また後で」
「はーい」
ユーカリ亭はいわゆる庶民向けの定食屋だ。赤茶色の三角屋根がトレードマークの小さな定食屋さんを思い浮かべる。
(そういえば、ユーカリ亭にはまだクラウス様と行ったことないな)
ユーカリ亭はボリュームたっぷりで、とっても美味しいのだ。五十過ぎのご夫婦がふたりで切り盛りしている。きっと、クラウス様なら気に入ってくれると思う。
そんなことを考えていたら、隣に座るサエラがにやにやしながらこちらを見つめていた。
「サエラ、どうしたの?」
「いやー、面白くなってきたなって思って。これは、クラウス師長とショーンさんでエルマを巡って一勝負あるかもね」
「え、ないよ!」
「そうかなー?」
全力で否定する私に対し、サエラは意味ありげに笑ったのだった。




