5.ちょっぴり寂しいです(3)
その日の夜のこと。
「今日やるべきことは終わったな」
作業を終えた俺は、トントンと書類を揃えてそれを机の端に置く。時計を見ると、夜の七時を指していた。
「帰るか」
元々俺は、仕事が終わってもいつまででも執務室に残り、新たな研究にのめり込むタイプだった。こんなに早く帰ることなど、まずない。
エルマと過ごしていた頃は夕方になると強制的に『帰りますよ!』とエルマに仕事を終わらされていたので、その影響かもしれない。
執務室を出ると、聞き覚えのある声が微かに聞こえた。エルマの声だ。
階下を窺うと、ショーンと並んで帰宅の途につくエルマの後ろ姿が見えた。
急激に、もやもやとしたものが胸の内に広がるのを感じる。
『世間ではそういうのを〝恋煩い〟って言うのよ。バカじゃないの』
今日の昼間にケイリーに言われた言葉を思い出す。
(恋煩い? 俺が?)
ただ、振り返れば確かに思い当たる節もあった。
エルマと過ごす時間は心地よかったし、彼女が笑うと心が和んだ。
元の姿に戻って以降、エルマと過ごす時間は一気に減った。
『おはようございます、師長。エルマです』
毎朝決まった時刻、ドアを開けるとエルマがずいっと紙袋を差し出してくる。
『いつも悪いな』
『いえ、約束ですから。それでは、失礼します』
エルマは紙袋を俺に押しつけるように渡すと、くるりと身を翻してそそくさと去って行く。渡された紙袋の中には、いつも違う菓子が入っていた。どれも、俺がエルマと一緒に過ごしているときに好んで食べたものだ。
毎朝、早く起きてこれを作るのは大変だろう。けれど、「もうやらなくていい」と伝えれば彼女との繋がりが本当に上司と部下になってしまう気がして言えない。
それくらい、彼女と過ごした時間は俺にとって心地よかったのだ。
そして、ふと気付く。
(そうか、だから……。あれはエルマの魔法ではなく、俺の魔法か)
あの事件の日、エルマは俺に補助魔法をかけようとしていた。
【きらきらりん。魔法よ、弾けろ!】
エルマがおかしな自作の呪文を唱えたとき、俺は自分でも気付かないうちにきっと心の奥底で願ったのだ。働きづめの挙げ句におかしな薬を盛られるような生活ではなく、おだやかな生活がしたいと。
結果、幼児化した俺を引き取ると言ったエルマとの生活は平穏そのものだった。
俺の予想が正しければエルマは貴重な付加魔法師で、その補助力は強力だ。
あのときの俺は魔力の放出量が少なく、あの魔法を解けるような状態ではなかったにもかかわらず、あんなにもしっかりと効き目を発揮させるほどに。
エルマのことは元に戻ってからすぐにプリスト所長にも相談済みで、所長も『やはりきみもそう思いますか?』と楽しげだった。きっと、所長はエルマが魔術研究所に採用される前から薄々気付いていたのだろう。
先ほどの、楽しげにショーンと帰るエルマの後ろ姿が脳裏に甦る。以前、ショーンがエルマに食事に行かないかと誘っていたことを思い出し、もしかしてふたりで食事に行ったのだろうかと思うと苛立ちが募った。
『素敵な人には積極的にアプローチしなきゃだめなのよ。あんなに素敵なのよ? 自分以外にも素敵に見えることまちがいないんだから』
『クラウスもちゃんとアプローチしないと、エルマちゃんを誰かにかっ攫われちゃうわよ。彼女、いい子だから。笑顔がとっても可愛いし』
今日の昼間にケイリーに言われた言葉が甦る。
「確かに、その通りだな」
昼間に聞いたときは適当に聞き流していたが、よくよく考えると一理ある。
ならば俺がやるべきことはひとつしかない。
エルマを他の男に取られる前に、口説き落とすまでだ。




