5.ちょっぴり寂しいです(2)
◇ ◇ ◇
仕事に集中していた俺は、ふと激しい空腹感を覚えて時計を見る。いつの間にか、昼休みの時間になっていた。
『師長。根詰めてやりすぎると体を壊しますよ。お昼にしましょう!』
つい先日まではエルマが笑顔で注意してくれたのだが、また以前のような生活に逆戻りしてしまった。
(あいつ、どうしているかな?)
そんなことがふと、脳裏をよぎる。
もう一度時計を見て、今なら一緒に昼ご飯にいけるかもしれないと思い、執務室を出る。ちょうど階段を下りているときに、魔術研究所の正面玄関から入ってくるエルマの姿が目に入った。
「エル──」
声をかけようとしたところで、エルマを呼ぶ別の声がした。エルマはそちらを向くと、笑顔を見せる。
そして俺のほうを振り向くと、何か用があったのかと不思議そうな顔をして見つめてきた。
「いや、なんでもない」
「そうですか? では、失礼します」
ぺこりと頭を下げたエルマは、そそくさと研究室仲間のほうに走り寄ってゆく。立ち去ってゆく彼らの楽しげな話し声が聞こえた。
なぜか、胸がざわざわするような感覚を覚えた。
コーヒーカップがソーサーにぶつかり、カツンと音が鳴る。
「一カ月も急にいなくなったと思ったら、今度は恋煩い?」
一緒に食事をしている同僚──ケイリー=ラリエットは、じとっとした視線を浴びせてきた。
「なんのことだ?」
「はああ? 『なんのことだ?』じゃないわよ。一カ月もあんたが不在にしたせいで、こっちがどれだけ仕事の手間を被ったか。それなのに、ぼんやりして心あらずじゃない!」
「書類業務はこなしていた」
「会議を全部欠席したでしょ!」
ケイリーはぴしゃりと言い放つと、大仰な動作で両腕を広げて手のひらを上に向ける。
「これには諸事情がある」
「諸事情ねぇ。私にはただの恋煩いにしか見えないけど」
ケイリーはふんっと鼻で笑った。
ケイリーは幼少期からの俺の友人だ。実家同士の仲がよかったため、物心ついた頃には既に知り合いだった。ラリエット侯爵家の長女であり、高位の貴族令嬢かつ妖艶な美貌の持ち主。つまり、世の男達からの熱い視線を集める女性でもある。
だが、「私は自由に暮らしたいのよ」と言って魔術研究所の研究員をしている変わり者だ。そして、表面上は穏やかで貴族令嬢然としているが、俺の前では取り繕わないため、かなりさばさばとしている。
「さっき、エルマちゃんがいたじゃない。だから、あそこで食べようって言ったのに。隣の席に座れば自然に話せたわよ」
「目を逸らされた」
「この、ヘタレ魔術師め」
ケイリーはあからさまに嫌そうに、顔を顰める。
「聞き捨てならないな。ヘタレではない」
「本当に、あんたってすごくモテるけど、世の女性はこんなうじうじした男のどこがいいのかしら? いいところ、顔くらいよ?」
「おい」
「あ、ごめんごめん。お金を持っていて魔法も使えるわね。失礼」
ケイリーは口元に手を当てると、けらけらと笑う。
(こいつ、わざと俺を煽っているな?)
俺ははあっとため息をつく。
「恋煩いではない」
「世間ではそういうのを〝恋煩い〟って言うのよ。バカじゃないの」
ケイリーはそう言うと、運ばれてきた大量のサンドイッチを頬張り始める。
「話は戻るが、薬入りのクッキーを持ってきた犯人がわからない。状況的にはルーカスが怪しいんだが──」
「ルーカスは違うんじゃないかしら? あの人、確かにクラウスにライバル心メラメラだけど、そういう小賢しいことはしない気がするわ。頭が単細胞だから」
「単細胞……」
相変わらず、ケイリーは言うことが辛辣だ。
「犯人がわからない」
「誰か女の子があんたに惚れて、逆恨みしたその子のことを好きな男性魔術師が持ってきたとか」
「…………」
自惚れるわけではないが、俺はとてもモテるらしい。その可能性も否定はできない。
「ところで次回の舞踏会だけど、私、結界作りの役目を是非やりたいの。だから、もしクラウスが指名されたら代わってちょうだい」
ケイリーは話は終わったとばかりに、話題を変える。
「なぜ?」
「なぜって、それはもちろん──」
ケイリーは急に頬を赤らめると、もじもじとしだす。
「リプリシア将軍とお近付きになれるチャンスじゃない?」
そう言った途端、ケイリーは「きゃあ」っと小さな悲鳴を上げて両頬を手で覆い隠す。
リプリシア将軍とは、ここリスギア国の国防軍の将軍だ。舞踏会のときは警備の責任者となるため、事前打ち合わせ等で接触する機会が度々ある。
二メートル近い体躯の偉丈夫で、確か年齢は三十代半ばだったと記憶している。
鬼神のごときオーラを纏い女性を寄せ付けない雰囲気を放っているが、ケイリーはどうやら彼にご執心らしい。本人によると、まだ完全に片思いらしいが。
「素敵な人には積極的にアプローチしなきゃだめなのよ。あんなに素敵なのよ? 自分以外にも素敵に見えることまちがいないんだから」
リプリシア将軍は、どちらかというと女性に怖がられている。多分心配しなくても平気なのでは? と思ったものの、余計なことかと思い口に出すのはやめる。
「ということで、よろしくね」
ケイリーは人差し指を立てると、パチンとウインクをした。
「クラウスもちゃんとアプローチしないと、エルマちゃんを誰かにかっ攫われちゃうわよ。彼女、いい子だから。笑顔がとっても可愛いし」
エルマがいい子であることも、笑顔がとっても可愛いことも言われなくても知っている。俺がむすっとすると、ケイリーは楽しげに笑う。
「まあ、せいぜい頑張りなさいよ。色男さん」
こいつ、やっぱり俺を煽って遊んでいる。




