5.ちょっぴり寂しいです(1)
その日、私は魔術研究所の脇にあるテント内の専用庭園で、自分の研究のために育てている小麦の生育状況を確認していた。いくつかの区画に区切られた畑のうち一カ所が、明らかに成長が早い。
「うん、いい感じ」
私はそれを見て表情を綻ばせる。
この畑のたくさんの区画には、何もしない自然のままの小麦を始めとして、いくつかのパターンで魔法をかけた小麦が植えられている。魔法の効き具合を確認するために、敢えて色々な魔法のかけ方をしているのだ。
(クラウス師長に相談してよかった)
家で研究ノートを眺めていたらクラウス師長が見てやると言ってくれたときは、正直驚いた。たくさんもらったアドバイスを元に育て始めた小麦からは、ようやく期待通りの結果が得られそうだ。
「あ、いけない。そろそろお昼だ」
小麦の育ち具合をメモしていた私ははっとする。
いつの間にか、太陽は真上にあった。
(クラウス師長、お腹空かせているかも──)
と思いかけて、はたと立ち止まる。
「そっか。急がなくてもいいんだった」
クラウス師長が子供の姿──ジルド君として過ごしていたときは、お昼ご飯をいつも一緒に食べていた。けれど、今のクラウス師長は私がいなくてもひとりで食事に行ける。
(なんか……寂しい)
たった一カ月くらいなのだけれど、クラウス師長との生活はすっかりと私の日常になじんでいたようだ。
クラウス師長が大人の姿に戻ってもう一週間も経つというのに、ついクラウス師長が子供の姿でいるような感覚で行動しようとしてしまうことがある。突然その生活が終わり、ぽっかりと心に穴が空いたかのような寂しさを感じる。
約束したお菓子は作っているけれど、毎朝出所したときに渡すだけで仕事以外の接点はほぼなくなっていた。
気を取り直した私は、研究室に戻ろうと魔術研究所の建物の正面玄関へと向かう。すると、ちょうどクラウス師長が階段を下りてくるのが見えた。
「あ」
私の小さな声に、クラウス師長はすぐに気付いたようだ。はっとした顔をして、こちらに近付いてくる。
「エル──」
「エルマ!」
クラウス師長が口を開きかけたそのとき、明るい呼び声が聞こえた。声のする西廊下のほうを見ると、笑顔のサエラが手を振っていた。
ショーンさんやほかの研究所メンバーも一緒だ。
「どこに行ったのかと思っていたよ。お昼ご飯一緒に行こうよ」
「あ、うん。外のテントにいたんだ。すぐ行くね」
私は大きな声で返事すると、クラウス師長のほうを向いた。
「師長、何かご用でしたか?」
「……いや、何でもない」
「そうですか? では、失礼します」
さっき、名前を呼ばれかけた気がしたのだけれど気のせいだろうか。
少し不思議に思ったものの、私はぺこりとお辞儀するとサエラ達の元へと走り寄っていったのだった。
◇ ◇ ◇
「それにしても師長、今回の出張は長かったよねー」
お昼ご飯を食べながら、向かいの席に座るサエラが言う。
「一カ月くらい不在にしていたよね? どこに行っていたんだろ?」
「さあ?」
私は無難に首を傾げてみせる。サエラの隣に座っていたショーンさんがこちらを見る。
「エルマは行き先、聞いていないの?」
「え? 聞いていないですよ。ただ、出張に行くって聞いて師長の持っていた指標針に手紙転送していただけだもの」
指標針とは、遠くにいる人に物を転送する際に目印とする魔導具のことだ。この魔導具も最近魔術研究所で改良品が開発され、誤転送が一気に減った。
「そうなんだ?」
ショーンさんは少し意外そうな顔をした。けれど、まさか「師長は子供になって私の家にいました」なんて言えるわけがないので私はしらを切る。
「そういえば、ショーンさんが師長に相談したかったことは、相談できたんですか?」
私は、クラウス師長が子供になっていた期間にショーンさんがクラウス師長を訪ねてきたことを思い出して、そう尋ねた。
「ああ、あれはもういいんだ」
「そうなんですか?」
確かに、相談したいと言っていたときから既に一カ月以上経っている。相談する前に解決してしまったのかもしれない。
「あ、噂をすれば師長だよ」
パスタを頬張っていたサエラが、食事を止めて少し首を伸ばす。
私はサエラの目線の先、カフェテリアの外を見る。
クラウス師長は女性とふたりで通りを歩いていた。魔術研究所の筆頭魔術師のひとり、ケイリー様だ。
「……っ」
ケイリー様は艶やかな黒髪をなびかせ、楽しげに笑っている。一方のクラウス師長も、口元に笑みを浮かべていた。
ふとケイリー様が視線をこちらに向ける。食事をしている私達に気付いたようで、クラウス師長に何かを話しかけると師長もこちらに目を向けた。
クラウス師長と目が合った気がして、ドキンと胸が跳ねる。
私はなんとなく居心地が悪く、咄嗟に視線を外した。
「やっぱり、クラウス師長とケイリー様って付き合っているのかな?」
「え?」
サエラの言葉に、私はぱっと顔を向ける。
「だって、あのふたりって昔から知り合いだったって聞いたことあるよ。幼なじみとかなんとか? ですよね、ショーンさん」
サエラは隣に座るショーンさんに話を振る。
「昔から知り合いなのは間違いないね。師長の実家のバルト侯爵家とケイリーさんの実家のラリエット侯爵家は元々仲がいいし。婚約間近だって噂も聞くけど、実際どうなんだろうね」
「家格も年齢も釣り合っているしねー」
サエラはショーンさんの答えに相槌を打つ。
(……婚約? そうなんだ……)
全然知らなかった事実に、胸がちくんと痛んだ。




