第36話 バラバラのチーム
先生が発した言葉に対して俺は座ったまま固まってしまう。まさか、男の頃の俺の話題が出てくるなんて想像すらできなかった。文字通り不意打ちだ。
それに彼女はノア本人その物って……正体に気づいている? いや、まさか!? 俺の戸籍は完全に女の子のノアになっているはず――国ぐるみの改変に気づけるはずなんて……
「ど、どうしたのノアちゃん……?」
「え? う、ううん! なんでもないない! まさか、世界的歌手の方と比べられるなんて光栄だなぁ~って……!」
「世界的? あー、男の方のノアの方ねぇ~、そういえばあの人もドイツ人じゃなかった?」
レティーがそう口挟む。いちおうは日本人ってことになってるんだけど……って、今はそんなことはどうでもいいか。それよりも先生だ先生。俺の正体に気づいているんじゃあないだろうな?
ちらりと先生に視線を向けて顔を窺う。俺の目線に気づいたのかニヤリと笑顔を浮かべた。俺と先生の視線が交じり合う。
「私、あの人のファンだったのよ。辞めちゃうなんて本当にショックだったわ。何回もあの人の演奏聞いてたから癖とかが分かっちゃってねぇ……貴女の発表も聞いた時もすぐに分かった。ノアさんの歌い方にそっくりだって」
「そっくりなんてそんな……」
「ううん、本当に上手だったし似ていたわよ? 名前まで一緒だなんて本当に凄い偶然ねぇ」
「あはは、私も有名な方と名前が一緒だなんて嬉しいです……」
ふぅ……バレていないようだ。よかった……でも、この人には今後要注意だな。何を考えているのか分からない。失礼かもしれないけど危険だ。変に詮索されて正体がバレたりなんかしたら面倒なことになる。
ただ、俺のことを褒めてくれているのは分かる。そこは素直に喜んでおこう。彼女もアイドルの先生という立場の人。そういう人から褒められるのは嬉しい限りだ。
「世界的な音楽家――ノア。でも、なんで彼は引退してしまったのでしょうか?」
「なんでって、体調不良じゃなかった?」
エレナの独り言とも思えるつぶやきに対してレティーが答える。
体調不良で歌手生命の存続が困難になったため引退。世間的にはこう公表されていたはず、日本でもニュースになっていた。しかし、エレナは何だか納得していない様子だった。
「いや、体調不良にしても詳細は発表はされていませんし、最後の公演からいっさい姿すら現していませんわ……何かが変ですわ」
「アレだけのファンを抱えていて急に消えちゃうなんておかしいよね……」
「そうねぇ――……ノアちゃん、何か知ってたりしてない?」
「え?」
突然、俺に対して話を振ってくる先生。まさか、話を振られると思ったもいなかったので少し驚いてしまう。それにしてもなんだ、先生のこの薄気味悪くて全てを見透かしているかのようなこの顔は?
本当は俺の正体を知ってて弄んでいるじゃないだろうな? でも、正体がバレているなんて絶対にありえない話だし、仮にバレていたりしていたらこんな話はしないはずだ。
「わ、私は特に何も知りません……」
「そっかぁ、たぶんよくノアさんのことを見て勉強しているかもって思って聞いたけど何も知らないのねぇ……」
残念そうな声色を出しながら言う先生。内心ビクビクしながら叱られた後の子供のように先生の様子を伺う。彼女の表情からはどんな感情を読み取ることはできないが、やはり俺の正体に気づいている様子ではなかった。良かった良かった。
「はい、じゃあ! そろそろ練習といきましょうか!!」
パンと手を叩いて切り替えの合図とともに先生が大きな声を出す。先生が立ってと言うので俺たち三人はゆっくりと立ち上がった。ずっと座っていたから体固くて少しだけ立ちくらみがする。大きく背伸びをしながら呼吸を整える。
「ですが、本当に三人で練習になるのですか?」
「大丈夫よ、心配しないで……青木さん、CDプレイヤーとマイク用意してくれるかしら?」
「あ、はい! いつも通りにここですね!?」
青木さんが指定されたところにそれらを設置すると「ありがとね」と彼女にそう言ったあと、俺たちの三人の顔を流れるようにして一人一人見つめていく。
「よし、じゃあ、三人とも一通り最初から最後まで歌ってみましょうか?」
「え、でも、エリザさんとサラさんのパートが抜けてますよ……?」
「そうねぇ、じゃあ、そこはノアちゃんに代わりに歌ってもらおうかしら? できるわよね?」
「できますよ」
昨日貰った曲なら一通り全容は掴めているから問題はない。あるとしたなら歌詞の歌い間違いだけだけど……大丈夫かな。俺の歌うところは完璧だけどエリザたちのところは少し不安だ……
「うん、よしっ! じゃあ、床にテープ貼ってあるから事前の打ち合わせ通りに位置について! 最初は歌とポジションの移動だけでやってみるよーっ!」
先生がそう言うとレティーとエレナは指定された位置に移動する。歌詞がちょっと心配だがやってみるしかないか。頭の中に歌詞の全容を思い浮かべながら足を動かす。
俺も自分の指定された場所――ピンク色のテープが床に貼られているところに移動する。全員が移動し終えたことを確認すると彼女はCDプレイヤーを慣れた手つきで操作する。すると、曲のイントロが流れ始めた。
「じゃあ、最初はとにかく楽しんでやってみて! 笑顔を大切にー!」
ポップのサウンドが響き渡る中で先生の指示が飛ぶ。
キラキラとした雰囲気を纏うイントロが終わりAメロへと突入していく。最初はリーダーであるエリザから歌い始めるところだが、本人がいないため俺が代わりに歌い始める。
「遠い空……蒼き空の彼方――」
ゆったりとしたメロディから始まる。歌詞は間違えてないよな? 少しだけ不安だが自分の記憶を頼りに全力で歌ってみる。
歌うときは常に感情を込めるということに集中しており、今はまったくなくなったが感情移入しすぎて歌いながら泣いたこともあったけな? まあ、それほど歌う時の感情というのは大事なモノなんだ。
「――……すごい」
「ふふ、ノアちゃん……ねぇ、青木さんは本当に宝石の原石ような子を連れてきてくれたわね」
流れている音楽と自分の声のせいで青木さんたちが何かを話しているかは分からなかったが、二人とも俺の話題を話しているということはなんとなく分かった。もしかしたら、先生……まだ俺のこと気にしてるのか? うぐぅ……なんか歌いにくいなぁ……
「大きな空の向こうへとー大きく羽ばたいて~!!」
先生の監視の目が光るなか曲の中盤に入る。Bメロに入る前に曲がサビ並みに一瞬だけ盛り上がるところがある。エレナが担当するところなのだがなんだか歌い辛そうにしている。
おそらく、曲の高さが彼女に合っていないのかもしれない。昨日時点でも結構怪しかったところだが昨日よりも上手になっていることから彼女も練習はしていたのであろう。しかし、ここは根本的にエレナが歌うべきところではないと感じた。
「心の中に輝いてー♪」
Bメロに入って一転して暗くなる場面がある。そこはレティーが凄く楽しそうに歌っており、彼女も昨日の練習の後にしっかりと練習していたのか物凄く上手だ。だが、ここもレティーに合ってはいないと感じられた。これはどちらかというと声質の問題だろう。
メンバーも揃っていないし、曲も完ぺきとはまだまだ程遠いな……なんかしっくりこないままサビへと突入していく。ここからは基本は全員で歌うのだが三人しかいない上にソロパートを歌うエリザが不在であるため満足いくチーム練習にならなかった――というのが素直な感想だ。
曲が終わって静寂が部屋に戻る。エレナがこちらを向いて苦笑いを浮かべる、横に居たレティーも「あはは」と乾いた笑顔を向けてきた。
「三人じゃあやっぱり厳しいかぁ……」
「ですわね、ノアさんに対する負担も大きいですしサビのところも私だけじゃあ出力不足ですわ……私も間違えてしまいましたし」
「やっぱり五人が揃わないと綺麗な形で練習できないよねぇ……代わりのノアちゃんとじゃなくて本当の合いの手のサラさんと合わせないと私もどうしたらいいのか分からないし……」
二人とも俺と同じで満足いかなかったみたいでそれぞれ感想を漏らす。エレナは自分が満足いくパフォーマンスがいかなかったところ。レティーはサラさんがいないことを悔やんでいる様子だった。
俺もまだまだ全然力を出し切れなかった。女の子の体にまだ若干慣れていないこともあるけれど歌い方は改善の余地がたくさんありそうだ。ポジションの移動も少しだけずれてしまってる。
床を見ると最後に場所に指定されている赤い色のテープから外れてしまっている。歩いて動くだけなのにこのざまだ……これにダンスとかも入るとなると――気が遠くなりそう。
これからどうやって練習していくか? 深く考えていると足音がこちらに近づいてきていることに気づく。ちらりと目を向けるとエレナとレティーが熱心な表情を浮かべて俺のことを囲んでいた。
「どうしたの二人とも?」
「ノアさん、私の歌に何か問題なところでもありました?」
「同じく! 私も変なところとかなかった!?」
「えっ? 変なところ……?」
「はい、音楽に関してはノアさんに感想を聞くのが良いと思って!!」
はきはきとした態度でエレナがクリアで澄んだ声を出す。アドバイスか……二人とも俺の音楽能力にここまで信頼を置いてくれるのはなんだか照れるなぁ。でも、マイ先生もいるから三人のパフォーマンス的には先生に聞いた方が――
「私も自分の意見とは別にノアちゃんの意見を聴きたいわぁ……オペラ歌手みたいな綺麗な声の貴女の意見をねぇ」
CDプレイヤーの前に立っている先生の方に視線を向ける。彼女は何かを期待しているかのようなニタニタとした笑みを浮かべている。やっぱり、この人俺の正体に気づいているんじゃあ? う~ん、あんまり饒舌に喋ると墓穴を掘っちゃいそうだから要点だけを話そう。
「は、はい、分かりました……えっと、まずはエレナさんのBパートに入る前のところはあんまり彼女に合っていないと思いました」
「私の失敗したあそこですか? やっぱり練習不足――……」
「ううん、違うよ、練習はしっかりしてたけどエレナの声があのパートに合っていないんだ」
「私の声が……?」
「うん、エレナは落ち着いた上品さを感じられる声だから――レティーの歌ってるところと交換した方が歌いやすいし、曲の雰囲気がエレナとマッチしてるから――……」
「でも、ノアちゃん、この曲はみんなの声を出せる音域に合わせて作ってあるのよ? エレナちゃんは低い声が出しにくいからあそこを歌わせるのは酷じゃないかしら?」
エレナと俺の会話に突然口を挟んでくる先生。彼女の顔には何か思惑があるのか「ふふふ」と不気味な空気を漂わせていた。
確かにそうかもしれないけど絶対にこちらが曲に合わせる必要はないんだ。例えば――
「はい、先生の言う通りですが……」
「じゃあ、どうしたいの? 何か考えがあるんでしょ?」
期待した眼差しを向けてくる。この人、俺が代案を持っていることを知っててさっき音域のことを言ってきた……よな? まるで、俺の実力を確かめるみたいに。絶対にこの人は警戒が必要だ。
「ノアちゃんどうするの?」
「ノアさんの意見、ぜひ聞きたいです……!」
「……二人とも……でも、これは五人が揃わないとできません。五人が揃って初めて解決できる方法なんです」
「五人ですか……」
エレナ重々しい口調でそう呟く。俺は彼女に対して強く頷いた。
「うん、チームのためにも一人一人のためにも……絶対にエリザさんとサラさんが必要。だから絶対に仲直り――チームを一つにしないと……」
今回もご愛読ありがとうございます。ブクマや評価など本当に感謝しています。特に誤字脱字報告は本当に助かってます! これからも頑張りますのどうかよろしくです!




