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第32話 若さへの執着


「う、ううう……も、もう死ぬ……」


 浴室前にあるベンチで長距離マラソンを走り切った選手のように背もたれにぐったりと倒れる。


 無論、ここは会社の中にあるベンチでありいろいろな人が通る。そんなところで倒れ込むのは恥ずかしい限りだけどこうでもしてないとやってられない……


 あのあとも加奈さんに触られまくったし髪の毛を洗う時も「ノアちゃんは下手だからやってあげる!」とか言われて触られまくった。


 そのあと、もう一度湯船につかった時もずっとジロジロとジロジロと見られまくった。疲れるし暑いし……ぐったりですよ。


 ああ、もう……気が休まることも知らない終始ずっと疲れた入浴だった……幸いエレナとレティーは俺の心情を察したのか二人は加奈さんと一緒に先輩アイドルの挨拶に行くと言って、俺には「休んでて」と狂気的な加奈さんを引き離す意図もあってか一人にしてくれた。


 まあ、あの子らも俺のことをくすったりと好き放題してたけど……ああ、なんでこんな俺がそんなに魅力的に見えるのだろうか。別に俺なんて今はただの女の子に過ぎないのにどうしてそんな同性の体のことなんか……


 ついさっき販売機でかったスポーツドリンクを口にする。


「はぁ……疲れた」


 もしかしたら、音楽家現役時代の忙しい日並みに疲れたかも――違う意味でだけど。それしてもエレナたち遅いな……挨拶が終わったら一緒に今日は帰ろうって約束してたんだけどな。


 ペットボトルのキャップを閉めるとキョロキョロと周りを見渡す。


 ――……縦長のベンチとすぐそばには自動販売機。


 ここは廊下の一角にあるちょっと広いスペースで建物内の突き当り。俺の座っているベンチの左手には廊下へと続く道があり、右手の方には先ほどの浴室につながる男女分かれた扉が一つずつある。正面にはアイスや飲み物がある自販機がある。


 俺は廊下の方へと目を向けて誰が来ないか見張っていたけど誰もいない。もうしばらく掛かるのかな? そう思っていたところ女性のモノと思われる人影が姿を現した。


 エレナ? レティー? ううん、違う……あれは……!


「やっほー! ノアちゃん!」

「……げ」


 隠していた赤点のテストが見つかった学生のような反応をしてしまう。俺をここまで疲れさせた本人――そう、大海加奈さんがなんと二人よりも先に現れてしまった。


「なぁに飲んでるのー?」


 すぐそばまで来ると隣に腰かける彼女。俺の持っていたペットボトルを指さしてカクっと首を傾げる。俺は彼女から逃げるようにして気持ち一つ分彼女から離れた。


「す、スポーツドリンクです……」

「ふうん、一口分けてくれる?」


「え? ひ、一口?」

「そう、別に良いじゃん! 一口ぐらい……!」


「え? ちょ! ちょっと!!」


 無理やりな形でペットボトルが取り上げられて持っていかれてしまった。加奈さんは鼻歌を歌いながらキャップを外すと冷たいそれを口内へと流し込んでいく。


 まるで、水の一滴一滴を味わうかのように舌でその味を詳細に綿密に確かめるかのような――その一口を砂漠で遭難した放浪者が久しぶりに恵んでもらった水を命よりも大切に飲むみたいな――……そんな風なねっとりとした飲み方をしたあとニッコリと笑みを浮かべると――


「ふう……ふふっ、ノアちゃんと間接キスしちゃった♪」

「…………」


 なんだこいつ!? 音楽界隈でもいろんな変人と会ってきたけどここまでぶっ飛んでるのは初めて見た。アイドルの裏側ってこんなもんなのかッ!? 男だけどこの人に対してはとてつもなく身の危険を感じた。え? めっちゃ怖いんですけど!?


 石化したかのようにこのとんでもない一部始終を気持ち悪いを通り越して真顔で見つめていた。怖いし気持ち悪いし……痴漢とかを見ている女性の心境ってこんな感じの気持ちだったのか。生理的にこの人は無理だ。ヤバすぎる……


「の、ノアちゃん? そ、そんなにドン引きしなくても……」

「し、しますよ! お風呂の時からずっと私のことにすっごく粘着してたじゃないですかっ!」


「ご、ごめん……あれはつい……」

「ノリでやったのしては過激すぎます。今も私の飲み物を変質者みたいに飲んでたじゃあありませんか!?」


 疲れとか気持ち悪さとかが溜まってついきつく彼女に言ってしまう。俺の怒声を聞いた加奈さんは初めてげんなりとした表情を見せると大きくため息をつく。


「……ごめんなさい、私って……その、若いことが好きで……その」

「好きって……私みたいな子供のことですか?」


「ううん、そうだけどちょっと違うの……若いのが好きなの」


 理解されないと分かり切っているのか申し訳なさそうにそう答えてくる彼女。どういうことだ? 彼女の言っている意味がよく分からない。見えない話に困惑していると彼女は再び口を開く。


「私ってさ、結構大人になったけどアイドルでいるじゃん。若々しくて元気で……みんなの希望の憧れで――でもさ、老いには勝てないの。どんなに健康で元気でいようと思ってもダメなの……年々劣化していくだけ――ずっと若くいたい……元気でいたい……」

「それと私の体と何の関係が……?」


「羨ましいの。私だって大人だけど子供で少女の時もあった。今よりも元気で若い時があった……ノアちゃんみたいな……そんな頃があったけどもう戻れない。だから、目の前にある貴女の若さが尊い……愛でたいのよ……髪も体も全て! 若さから溢れる全て!」


 遠いあの頃の景色を遠くから眺めるようなそんな目をする彼女。今の言葉だけで全部が分かったわけではないけど、どうやら彼女はずっと若くありたいと思っているみたいだ。いや、もう若さを信仰している……そんな風にも見えたし聞こえた。


「それで私のことをあんなに固着してたんですか?」

「うん、ごめんなさいね……やっぱり、私っておかしいわよね」


「おかしいですね……でも、その気持ちは分かる気もします」

「――え?」


 腑抜けた声を出す彼女。さっき言っていた発言はどれも気持ち悪くてスルーだけど若さという点、老いるという点では一部同意できるところがあったので口にすることにした。加奈さんはくぎ付けになって俺のことを見つめていた。


「老いるのって嫌ってこと。私――いえ、知り合いから聞いたんですけど若いころはできていたことができなくなっていくって、その人は歌を歌ってたんですけど若い頃は出ていた高い声が出にくくなった――それで苦労した。そんな話を聞いて……」


 あまり刺激しないように落ち着いて話す。もちろんこれは俺のことだ……実際に経験したし本当に役回り苦労することもあった。だが、話には続きがある。


「でも、その人は言ってたんです。若い王子様の役ができなくなったなら威厳のある王様の役をすればいい……老いは嫌なことかもしれませんがその時、その年齢に合った役がある……執着するよりも今できることをやる――そう言ってました」

「……そう」


 彼女は暗闇に満ちて落ちた暗い声を放つ。どうだろうか? やっぱり若さに執着するのは良くない。これが分かってくれればいいんだけど……彼女はそのあとに続けてこう言った――


「やっぱり、子供のノアちゃんには分からないことだったわね……無理よそんなの……簡単なことじゃあないのよ。若さは尊ぶべきものなの……ノアちゃんの知り合いの人は諦めただけなのよ……」

「か、加奈さん……」


「私は諦めないわ、絶対に……若さは絶対に永遠のモノにしてみせる――」


 彼女はそう言うと立ち上がり俺の見下ろして見下すかのような目をする。その熱意と決意が入った目はとても真剣さを帯びていたが、同時に執着や固着などといった負の側面を含んだ目つきにも見えた。自動販売機の光が彼女を薄暗く照らす。そして、こう告げた。


「今日はありがとうね――また、会いましょ? ノアちゃん……♪」


 先ほどの態度とは打って変わり彼女はいつも通りの雰囲気に戻った。本当に何を考えている読めない。いい人なのか悪い人なのか? 彼女自身も自分がおかしいと気づいていたが断ち切れないのか? 自分自身の執着心に。


 廊下へと消えていく彼女の背中。それはどこか悲しげで小さく見えるし決意や熱心に溢れて大きくも見えた。彼女とはまた会う気がする――……この予想は見事に的中することになる。


 それは――あの事件の日となった。

 こんばんは、筆の調子が良いので久しぶりに一日二話投稿&夜投稿です。

 今日は大雪で大変な地域もあったと思います。自分も雪国なのでそうだったりしますが……明日は土曜日なので疲れを癒せたら良いなと思って床につく予定でございます。

 これからも寒くなるようなのでお体には気をつけてください。今回もありがとうございました。ぜひ、次回もどうかよろしくお願いいたします。


※追記

 誤字脱字報告ありがとうございます。とても助かっています。評価とブクマ本当にありがとうございます!

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