6/18(TUE)‐6/20(THU)
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6/18(TUE) 20:31
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ああ、今日は焦った。
Mayさん、忙しいから平日は来ないだろうと思ってた。平日でも来てくれるとなると、
「やっぱり、リスクあるよなあ……」
ベッドの上に置いた、封も開けていない女性下着を見て呟く。
「今回は即実践しなくて良かった」
先輩に言われたその日から実行してたら、ブラをつけて会うことになってた。
なんだ、その羞恥プレイ。
Mayさんが来てくれるのは嬉しいけど、そうするとつけるタイミングがなくなってしまう。それはちょっと困る。
下着のパッケージの横にはMayさんからもらったイベント情報がある。
彼女が紫式部で参加するイベント。
Mayさんも日々活動している。近づくには立ち止まっていられない。
今日会って、男に興味がありそうだってわかった。職場関係の人に片思いしてるって話もある。先輩も驚いてたみたいに、もしかしたら思ったよりも思わせぶりで危ういところに立っている人なのかもしれない。
店長からはシフトを土曜日にズラす許可をもらった。
先輩も行くから、どうせなら写真を撮って店のブログにイベントレポートを上げろ、と言われた。
それと、一つ忠告も。
『あの子、君と付き合う気はないんじゃないかな』
Mayさんから聞いたわけじゃない、という前置きの上だったけど、その言葉はうわついていた俺の心に突き刺さった。
『ごめんね。でも、大人の女の言動を素直に信じすぎないこと』
あの人にその気がないんだとしたら、猶更、努力するしかない。
「……よし」
念のために部屋の鍵をかけてから、パジャマを脱ぐ。
今までだったら肌着とトランクスは残してたけど、今日は完全に裸になる。
下着を開封して、ごくりと喉を鳴らしつつ手に取った。
「これが、か」
男物と違う、という意味では下着が一番違うだろう。
フロントについた小さなリボン。身体を締め付けるブラのデザイン。こんなので大丈夫なのか、と言いたくなるようなショーツの小ささ。
滑らかで優しい肌触りも含めて、何もかも、素朴な男物とは違う。
買ったのは福袋的な三組セット。
白、ピンク、青の中から清楚なひとまず白を選んだ。
タグを外して、まずはショーツから。
形としてはシンプルな三角形の下着。
強いて言うならブリーフに似てるけど、あんなものと比べるのはおこがましい。もっと可愛くて、控えめで、品のある何かだ。
どうすればいいかは悩む必要がない。
穿くための準備はできてる。一昨日の夜、剃毛は「ばっちり全部」済ませている。剃った当初こそ落ち着かなかったものの、その後トイレに行ったりしたら、むしろ気楽で衛生的に感じた。体育の着替えでも下着までは脱がないから見られる心配はないし。
恐る恐る、緊張しながら足を通す。
するり、と両足が順に穴を通過。引き上げれば、柔らかな布地が俺の下腹部をぴったりと包んだ。
「っ」
ぶるっと身体が震えた。
着け心地は悪くない。頼りなく思えるのを除けば肌触りはいいし、動きの邪魔にもなりにくい。ただこれだけだと寒いので、ブラの前にタイツを履いた。
うん、あったかい。タイツは冬寝る時とかも重宝しそうだ。
「で、こっちか……」
なんの変哲もない(と思われる)バックホックのブラ。
初めての童貞はだいたい手間取ると評判な曲者。どうせ大袈裟に言ってるだけだろ? と思いながら予行演習してみると、評判通りに外しにくかった。
ジーンズなんかのホックとはモノが違う。
ごくごく小さなホック、というかフックが縦に二つあって、これを正確に引っかける。外す時は正しく力を入れないとうまく外れない。裏にあて布があるから肌を傷つける心配はないけど、ノーヒントでやったら何回もミスしただろう。
何度もつけて、外して、ある程度自信がついたところでいざ挑戦。
左右の肩紐の間に腕を通す。
先に肩紐の長さを調節するらしいんだけど……やりづらい。調整する器具がやっぱり小さくて頼りないからだ。不安だったのでいったん脱いで調整し、また腕を通して、という作業を何度か繰り返した。
OK。
腕を動かしても肩紐がほとんどズレなくなったので、いよいよ本番。
腕を背中に回して、どうなってるか見えない状態で小さなホックを引っかけにかかる。って、言葉にしただけで難しいのがわかる。
後ろ前に装着してホックを引っかけてから前後入れ替える、なんて技もあるらしいけど、なんかそれをやると負けな気がした。数分間、悪戦苦闘した末になんとか成功する。
「ま、まあ、慣れれば簡単になるだろ」
ホックがかけられたことでブラは機能する状態になった。
平たい布に胴を締め付けられる感覚は未知のもの。
柔らかめのワイヤーを採用、って書いてあるのを選んだからか、苦しいとまではいかないまでもむずがゆいような感じがする。
でも、見下ろしてみると、下着しかつけてないのに『女の子』を感じた。
……Aカップ相当のブラの中身はAAもない平坦な胸だけど。
っと、それで思い出した。箪笥から適当に靴下を引っ張りだして、丸めてブラに詰める。するとほら不思議、まるで胸があるように見える。触ってみてもふにふに、と、まあ、そこそこそれっぽい感触がする。
俺が本物を知らないからじゃありませんように。
と、そこからは上にワンピースを身に着けてベッドに座った。もちろん女の子座りだ。
何度か繰り返したせいか、女装をしてるとその方が自然に思える。
「あー……」
下着まで女物にしてベッドにぺたん。
癖になりそうな感覚はこれまでとは比べものにならなかった。
ここまできたらクッションとか欲しい。可愛いやつ。抱きしめたままスマホ弄りたい。
どんどん湧き上がってくる欲求を、俺は抑えることができなかった。
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6/19(WEN) 18:24
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二人の人魚姫が海を渡り、薬の材料を求めて争奪戦を繰り広げる。
人間になりたい人魚姫がどれだけいるのか、同じ国の姫なのか他国の姫同士なのか気になりつつも、姫に扮する俺と札木先生もまた白熱していた。
「二人だとフィールドが広いけど……」
「効率よく回ろうとすると結構迷うよね」
真剣に盤面を見つめつつも、先生は笑顔。
既にゲームは終盤戦。
宝物(薬の材料)は五種類あり、全種類を集められないと大幅に減点される。俺は序盤に妨害を狙った結果、まだ一種類を集められていない。勝利を確信しての笑みなのか、それとも。
「いや、まだまだ負けませんよ」
「私だって、負けないよっ」
ラストスパート。
互いに海流に乗り、辿り着いた先に待っていた運命は――。
「やった、私の勝ち!」
「く、届かなかったか……」
宝物チップに裏向きがあるのがポイントだよな。もともと宝の数にはバラつきがあるけど、確率論で行くと思わぬ偏りに痛い目を見ることがある。狙ってないSSRほどガチャで出やすいのと同じようなものだ。
「ふふっ、最近調子がいいかも」
にこにこしながら片付けを始める先生。
そういえば、ここのところ機嫌もよかったかもしれない。
「仕事、うまくいってるんですか?」
「ん……お仕事じゃなくて、プライベートかな?」
「へえ」
先生がプライベートの話をするなんて珍しい。
「何があったのか、聞いてもいいですか?」
「うーん、どうしようかなー」
手を動かしながら、ちらちらこっちを見ては考える素振りをする。
目が生き生きしてるせいか、いつもより綺麗に見える。
先生、素材は絶対いいからなあ。こんな風に笑顔なら人気も上がると思う。
と、そんなことを考えていると、
「やっぱり内緒」
「え、それはずるくないですか」
「だって、恥ずかしいもん」
「恥ずかしいようなことを言おうとしてたんですか」
「う、うん」
頬を染めて俯く先生。
え、あの、そこでそう来られると困るんですが……。
「羽丘くんこそ、最近楽しそうだよ? いいこと、あったんじゃない?」
「いいこと……そうですね、確かに」
憧れのMayさんからイベントに誘われた。
一緒に行くわけじゃないけど、現地で話くらいできるかもしれない。もしかしたら写真撮らせてもらったりとかも。さすがに望みすぎか?
でも、札木先生には教えられない。
そうすると俺も秘密にするしかないのか。なるほど、いいことだからって言えるとは限らないんだな。
でも、先生は「どんなこと?」とは聞いてこなかった。
「やっぱり。なんだか顔が生き生きしてるもん」
それはひょっとするとスキンケアのせいかもしれませんが。
「ちょっとはイケメンに見えますか?」
「うん。元から格好いいけど、清潔感があって格好良くなった……かも」
「褒められ過ぎて逆に嘘っぽいんですけど……」
女装って身体にいいんだな。
ほっこりしながら照れ隠しを口にしたら、「どうしてそういうこと言うの?」と先生にしこたま怒られ、むくれられて、その日はそれから帰る直前まで口をきいてくれなかった。
解せぬ。
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6/20(THU) 17:16
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「……ブラの着け心地はどうかなー?」
「ひうっ!?」
会計が終わって、出て行くお客さんを見送った直後。
耳元で囁かれた俺は変な声を上げてしまった。
振り返れば、ニヤニヤした先輩の顔がすぐ近くにあった。
「なんで当たり前のように見抜いてくるんですか……」
「だって、いつもより着替えの時間が長かったし」
なんでそんなもの計ってるのか。
でも、着替えに手間取ったのは確かだ。今朝、鞄に下着を入れてきた俺だけど、学校で着ける勇気はなかったので、バイト先の更衣室で着替えた。下着を着けるには当然、下着を脱がないといけないので、時間がかかる。
いつもはワイシャツ&ズボンの上からエプロン着けるだけだから、下手すると一分で済んでた。
「後ろから見ないとブラ線は見えないから安心しなさい」
「な、なぞらないでくださいっ!?」
「ふふふ」
背中をつーっと指でいじられて俺はたまらず悲鳴を上げた。
先輩もさすがにそれ以上は刺激してこず、近くで作業を始める。
「いいねー、後輩君、どんどんステップアップしてるじゃない」
「Mayさんには負けてられませんからね」
「ああ、イベントの件ね。後輩君の方は目的の女装コスプレまではまだ道のり長いもんねー」
「声が大きいですよ……」
この店内とはいえ恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。
誰かに聞かれた結果、Mayさんに伝わったりしてもアレだし。
Mayさんといえば、もし今日も来てくれるようならブラ&ショーツの存在をなんとしてでも隠し通さないと。
背中側を見せると危ないらしいので、徹底的に正面を見せる方向でいこう。
「で、着け心地は?」
「一種の催眠効果がある気がします」
「あ、わかるー。可愛いもの身に着けてると自分も可愛くなってくよね?」
「はい。恥ずかしいんですけど、その、楽しいっていうか」
「あーあ。後輩君、もう戻れないね」
このまま突き進みたくなってるあたり本当に手遅れだと思う。
「――そうすると、次は外出かしら?」
「わっ。て、店長!?」
「なんでそんなの驚くの。私の店なんだけど」
店長が背後でジト目をしていた。
いや、急に後ろから現れたらそりゃびっくりするでしょう。
なんとなくその場から離れようとしたら、肩に手を置いて逃亡を封じられる。振り払うことは簡単だけど、女性かつ雇い主にそれをするのは結構怖い。
ふぅっ、と、耳に息が吹きかけられて、
「不特定多数の人に見てもらうと、もっと気持ちよくなるわよ?」
「なんか言い方がいかがわしいんですが」
「視線っていうのは気持ちいいものなのよ。じゃなかったら、アイドルなんて職業があんなに人気あるわけないでしょ?」
「確かに」
見る方じゃなくてする方の話。
売れれば有名人だけど、多くは夢で終わっていく世界。金のためだけなら、アイドル志望はあんなに多くないだろう。
可愛い格好をして、色んな人に見られて、賞賛を向けられる。それ自体がある種の報酬になっているからこそ憧れるのだ。
それは多分、コスプレイヤーだって同じこと。
アイドル志望の子が「今、売れているアイドル」を目標にするように、コスプレイヤーは「今、売れているコスプレイヤー」や「ゲームやアニメのキャラクター」を目標にする、ただそれだけのことだ。
「学園祭でメイド喫茶が流行った時期は、それで女装して目覚めちゃう男の子が全国に急増したらしいですよね」
「っていうか今でもいるわよ。あれ以来、定番の一つにしてる学校が割とあるし」
「マジですか」
合法的に女装させてもらえるとか、
「逆にご褒美なのでは? とか考えてるなら、君はもうどっぷりこっち側ね」
「だからなんでそんなに筒抜けなんですかっ!?」
「男の子がわかりやすいだけじゃない?」
店長は不敵に笑って、俺と先輩を交互に見て、
「っていうか、どうせ二人ともイベントに行くんだし、イベントで女装外出初体験しちゃえばいいじゃない」
「え」
「は?」
俺と先輩は硬直し、顔を見合わせた。
いやいや、そんな簡単に行くわけないじゃないですか。そりゃスキンケアは続けてますけど、化粧も何も未経験なんですし、
「それいい!」
キラキラと目を輝かせた先輩がいた。




