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奴隷の少女は公爵に拾われる 99

「お嬢……やっぱやめましょ?今からでも遅くないですよぉ…」

 数日続いた雨がウソのように太陽が輝き冬の空気を通して部屋を照らしている。その部屋には服を入れる棚と大きな本棚、小さな机とベッドしかないような飾り気のない部屋だった。その部屋に立って見える一番色鮮やかな光景は灰色の石の壁に囲まれた窓枠を額縁にした大きな朱果の樹、その樹に残るわずかな紅葉だ。そんな部屋の中には大きめの鞄に衣服をたたんで入れる少女と、その横で膝を抱えるようにして少女と視線を合わせようとする大女の姿があった。

 少女は長く背中まで伸ばした艶やかな黒髪を後ろで乱暴に一つにまとめている。初成人前の僅かに幼さが残る面立ちを飾るのは若さによる健康的な赤さを持つ唇と、無機質な輝きを持つ赤い瞳、そして処女雪のような白さの肌だ。全く感情がうかがえない表情で荷造りをしているその少女は、初雪のように触ったら壊れてしまいそうなくらい脆く見える。

「ほら、公爵があっちに行って、ラトさんがこっちの仕事を何とかこなしてお嬢がこっちでそれを手伝えばいいんですよ」

 儚げな少女とは対照的にその横にいる女は大岩のように強靭な肉体を持っていた。少女の腰ほどもある腕の筋肉にそれに輪をかけて太い脚、屈んでいるため分かり辛いが少女二人分はあろうかという身の丈と、少女と比較するのが馬鹿馬鹿しくなるほどの肩幅だ。錆びた血の色をした髪を短く刈り上げ、細かい傷が点在する顔には金色の瞳がはめ込まれていた。そのいつもは太陽のように光る瞳は少女を心配そうに見つめ、こらえきれないように揉み手をしながら少女にしきりに声をかけていた。

「ねぇお嬢…」

『お父さんが春までこの町を留守にできるなら苦労しないわよ』

 少女は屈んでもなお自分より大きい女に対して声を発するわけでもなく、ただ規則性を持った手の動きで意思を伝えた。

「だからってわざわざお嬢が戦闘区域に近づく必要はないですよ。ほかの方法がありますって」

『あるかもしれないわね』

「でしょ!」

『でも、お父さんがそう決めたんだから他の方法を探す必要を感じないわ』

「公爵の言いなりになるってことですか?」

『お父さんにはお父さんの考えがあるわ。今回の選択の意図も教えてくれたし、私はそれに納得したわ』

「私は納得してません!」

 激昂するように叫ぶ大女の腕に少女の細く白い手がかかった。少女は少し顔を伏せながら心持ち潤んだ赤い瞳で興奮する大女の方を見つめる。僅かに体重をかけるように少女の体が傾いだ。

『モヌワは私と一緒に来てくれないの?』

 動かない表情の中に一滴の寂しさのようなものがよぎる。

「地獄までお供します!!」

『じゃあ行きましょう。きっと北の山は地獄よりはましよ』

 少女はそれを聞くと一瞬前と変わらない挙動で荷造りを再開していく。モヌワは頭を掻きむしりながら勢いよく立ち上がった。

「だぁぁぁ!!もう、一昨日からずっとこれです!お嬢がそんな風に言うんならこっちにも考えがありますからね」

『どうするの?』

 手だけを動かして、顔は鞄に入れる荷物の方に向いている。

「お嬢と一緒に行きません。あんな危険地帯、私が一緒に行かないとお嬢が危ないです。お嬢、自分の身が危ないですよ。どうします?」

 少女は自棄になった表情のモヌワの方に顔を向けると、ゆっくり体全体をモヌワの方に向ける。少女はそのまましばらく黙って脂汗を流すモヌワの方を見つめてから、すっと手を上げた。

『じゃあ先に行ってるわ。私がモヌワと再開するのはモヌワが死んだ後ね。残念だわ』

「そんなこと言わないでくださいよぉ!!」

 モヌワは目から涙を迸らせて少女に飛びかかるように抱き付いた。余りの勢いに少女の体が大きく浮き上がる。

「私がそんなことするわけないじゃないですか!お嬢が危ないことするの止めたいと思って嘘をついたんです!ごめんなさい!置いてかないでください!!」

 そのままモヌワは少女の服に縋って泣き声を上げ続けた。少女の方はモヌワが飛びかかってきた衝撃で頭をくらくらさせている。

 その部屋にノックの音が響いた。

「ツツィーリエちゃん、いる?」

 そんな声と共にゆっくりと扉が開く。扉の隙間から顔をのぞかせたのは、頭を短く刈り上げたどこかの戦僧の様な顔立ちの男だ。モヌワほどではないが骨太の体格で、相応の迫力が顔にも表れている。

「あら、取り込み中だった?」

 しかしその口調はまるで妙齢の女性のそれで、聞くものにかなりの違和感を与えた。

「ずっと取り込み中だ、タレンス。失せろ」

 モヌワが充血した目で吐き捨てる。

「ツツィーリエちゃんを独り占めする気?そんなこと許さないんだから」

 タレンスと呼ばれた男は部屋の中に入ると、躊躇いなく少女の方に近づく。モヌワは犬のように歯を向いて威嚇するが一向に意に介さない。

「ツツィーリエちゃん。北の情勢についての基本情報と国境警備業務にあたっての重要事項をまとめたの、持ってきたわよ」

 タレンスが脇に抱えていたのは大量の書類の入った袋だ。布で作られた袋は可愛い動物の刺繍が施されているが、その書類の量はまったくもって可愛くない。

『ありがとう』

「本当はこれを頭に入れてから出発した方がいいんだけど、その間に辺境伯が暴走したら困るから道中読んで頂戴。これに加えて関連文献とか読んでほしいんだけど、それも持っていけないわ」

「持って行ったらいいじゃないか。どうせ馬車だろ」

 とモヌワが言うのをタレンスが一笑に付した。

「あんた、今から何しに行くかわかってる?辺境伯の暴走を止めるために国守の公爵の名代としていくのよ?その名代は確かな知識を予め頭に入れているって姿勢でいかないと話すら聞いてもらえないわ」

「だったら余計に持って行った方がいいじゃないか」

「馬車の中に国境警備の基本知識が書いてある教本が詰まってたらツツィーリエちゃんが素人だってばれちゃうじゃない。はったりきかせる余地が無くなっちゃうわ」

 モヌワの鼻先に太い指を突き付ける。

「読み終わった紙は道の途中で燃やして灰にするわ。持って行ってもいいのはせいぜい2.3冊。それもかなり高度なことが書いてあるものだけよ。ツツィーリエちゃんがわからない専門的な所は私が何とかするから」

「そんな不完全な知識のお嬢を行かせて大丈夫なのか?」

「必要な知識を伴う議論をしなければならないなら正直絶望的よ。でも今回必要なのは辺境伯の暴走を抑えることのできる権威と理屈。ツツィーリエちゃんには必ずしも大量の知識は必要なくて、むしろ知恵とか交渉術とか言ったほうが重要なの。だから多少なりともはったりが聞く状況を作らないと」

 モヌワとタレンスが喋っている間、ツツィーリエは黙々とぶ厚い辞書の様になっている書類の束に目を通して行く。パラパラと書類をめくるのを終えると、ツツィーリエがタレンスに尋ねた。

『ここから目的地までどれくらいかかるの?』

「そうね。だいたい4日くらいかしら。天候次第だけど、3の侯爵が馬車を出してくれるってことだから6日以上かかるってことはないと思うわ」

ツツィーリエはそれを聞くと、小さく数回うなづいた。そして鞄の中に大量の書類を入れるとその口を留めた。

「あら、ツツィーリエちゃん。荷物それだけでいいの?」

『数日分の服だけだから』

「結構長旅になるわよ?それだけで足りるの?」

『どこかで洗濯できるでしょ?』

「まぁ、そうなんだけどね。もっとお化粧の道具とか持って行かないの?」

『そんなもの持ってないわ』

「じゃあ貸してあげる」

「なんであんたが持ってんだ」

「淑女たる者の嗜みよ」

「自分の体を見てから出直してこい」

「そんなこと言うんだったらあなたの方が男みたいじゃない」

「あぁん!?」

 モヌワが般若のような形相でタレンスを見下ろした。

「私のどこが男だってんだ。この胸が見えねぇのか」

「胸なんか綿でも詰めてれば大きく見えるわよ」

 タレンスが自身の顔の前に来る高さにある胸の脂肪を指で突く。

「あんたこそ私の口調と細部にまで気を利かせる細やかさを見てどうして男だっていうのかしら」

「残念でした~。喋ってる言葉は聞こえるけどみえないんです~。だからお前の口調なんか見えるわけないんです~。ばーかばーか」

 モヌワがからかう様に手をひらひらさせる。

「むかつく女ね!熊女!」

「私が熊ならお前は大黒猿だ!」

「そんなに毛深くないわよ。あんたじゃないんだから」

「私のどこが毛深いってんだ、こら!」

「見るからに毛深そうじゃない、獣みたいだし」

「人の事言えた外見か!」

「あんたよりましよ」

「んっだと、コラ!」

 ツツィーリエは延々と続くそのやり取りを、乾いた視線でじっと見つめている。

 窓の外では小さな風がゆっくりと吹き始めていた。

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