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奴隷の少女は公爵に拾われる 95

「あんな分からず屋が父親だなんて不本意だけどね」

 タレンスは唇をとがらせながら顔をしかめている。

「まぁ、あんな堅物でも生物学上は父親なの。ツツィーリエちゃんはあいつとあったことある?」

 ツツィーリエは少し遠くを見るような目つきになって、すぐに思い出したように頷いた。

「外見は割と似てるでしょ?体の大きい所とか」

 開き直ったかのように厚い板を示して見せる。この国の国境警備に従事している2の侯爵とそっくりの外観をしている。高い身長、締まって盛り上がる筋肉、顔の少し骨ばったところからは遺伝子の強さがうかがえた。だが、ツツィーリエの記憶にあった2の侯爵のイメージと、タレンスから受ける印象があまりにも違う。

 ツツィーリエはタレンスに向かって手を動かそうとして、すぐにそれをやめると周りに目を向けて何かを探し始めた。

「あぁ、紙か。ちょっと待て、確かこの辺に」

「お嬢!!」

 突然応接室の扉が騒々しい音を立てて勢い良く開かれた。応接室にいた全員の注目を集めて部屋に飛び込んできたのは、タレンスよりもなお高い身長と尋常ではない体格をした女だった。錆びた血色の髪は短く刈り込まれ、その下に光る眼は金色に爛々と輝いている。胸の膨らみから女性とわかるが、もはや人間とは思えない巨躯だ。野山を駆ける巨大な熊と取っ組み合いをしても負ける姿が想像できない。

 一瞬で応接室の中を見回してツツィーリエの姿を確認すると、先程までの鬼気迫る表情が一変して安堵の表情でツツィーリエの方に近づいていった。

「お嬢、こちらにおいででしたか。寝室が空だったので心配しましたよ」

 ツツィーリエは近づいてくる女に手を動かして何かを伝えた。

「えぇ、もちろん。定期的にお嬢が寝ているかどうか確認していますよ」

『そんなことしなくていいのに』

「いいえ。お嬢の身に万が一のことがあったら取り返しがつきません。現にこうしてお嬢がいないことを迅速に発見できたわけですし」

 と、ある程度まで近づいたところでその女がタレンスの姿を認識した。

「ぅおっと。客か。これは失礼」

「別にいいわよ。いきなり扉が開いたからびっくりしちゃったけど。こちらはツツィーリエちゃんの護衛さん?」

 タレンスの喋り方に訝しげな表情を浮かべた。

「モヌワ、ちょうどいいから紹介しよう。こちらはタレンス。国守2の侯爵の二男だ。タレンス、この体の大きい女性はモヌワ。ツィルの護衛官をしてもらっている」

「どうも」「よろしくね~」

 モヌワの表情がいよいよゆがんできた。

「………何か悪いものでも食ったんなら薬を飲んだ方がいいぞ?」

「いたって健康よ?ずぶ濡れってこと以外」

 モヌワゆがんだ表情のまま瞬きをする。

「……そうか」

 少し体を引き気味にしていたモヌワの服を、下からちょんちょん引っ張る者がいた。

「あ、お嬢。なんですか?」

『紙持ってる?』

「えぇ。どうぞ」

 モヌワは腰に下げていた袋からメモ用紙ほどの大きさの紙と持ち運び式のペンを渡した。

ツツィーリエはそれを受け取ると、慣れた手付きで文字を書いて行く。タレンスは興味深そうにそれを眺めていた。

『初めまして、タレンスさん。ツツィーリエといいます』

「初めまして。ツツィーリエちゃん。ツツィーリエちゃんは恥ずかしがり屋さんなの?」

『いえ。筆談なのは喋る事が出来ないからです』

「閣下とおしゃべりする時も?」

『いいえ。父と話す時は手話です』

 タレンスはふーんと言いながら応接室の中を一通り見渡す。そしてゆっくり周囲を観察してから、モヌワの方に目を止める。

「モヌワさん。ちょっといい?」

「なんだ?」

「モヌワさん、今手話の本持ってない?」

「持ってるが…」

「ちょっと貸してくれる?」

 モヌワは大きなポケットの中に入っていた携帯できる手話の解説本を渡した。

「なんで私が持ってるって思ったんだ」

「女の勘は当たるのよ」

「あんた男だろ」

 タレンスはその言葉を黙殺すると、その小さな本を開きパラパラとページを流し開いて行った。小さな本はほんの数秒もしないうちに全てのページが開かれる。タレンスはその動作を3回繰り返した。

「何やってんだ、あんた」

「ウフフ。ちょっと待ってね」

 タレンスはゆっくり本を閉じると、その本をモヌワに返した。

「ありがとう。もういいわ」

「どうも。何がしたかったんだ?」

「ツツィーリエちゃんとお話がしたいな、って思って」

 タレンスはツツィーリエの方を向くと、滑らかな動きで指と手を動かした。

『こんな感じでいいかしら』

 モヌワがぎょっとした顔でタレンスを見た。公爵と3の侯爵は感嘆の表情を浮かべているが意外には感じていないようだ。

「相変わらず」

『誰でもできるわよ、これ位』

 軽く肩を竦めながら手話で意思を伝えて行った。

『昔ならった事があるの?』

 ツツィーリエは表情を変えはしないが手で疑問の意思を伝えた。

「いいえ?でもツツィーリエちゃんとお話したいからさっき覚えちゃった」

『さっき?』

「さっき」

 タレンスはツツィーリエを見ながら顔中に笑みを浮かべる。

「驚いた?」

 ツツィーリエはジッとタレンスを見つめてから近くに立つ公爵の顔の方に視線を向けた。

「ん?あぁ。タレンス君はそういうのが得意なんだ」

「そういうのって、具体的に何なんだよ」

 モヌワが未知の生物でも見るような眼でタレンスを見る。

「なんて言えばいいのか。文字とか、言葉とか、そういう事に対する理解が早いって言えばいいのかな」

「そうそう。閣下はちゃんと表現してくれるわね、さっすが~。他の人なんか物覚えがいいんですね、なんていうんだから」

「物覚えも実際良いじゃない」

「やーね、物覚えは普通よ」

「30以上の言語を流暢に使い分けられる人の事を世間では物覚えがいいっていうんだよ」

 ツツィーリエがタレンスの方に顔を向けた。

『30?凄いわ』

「もうちょっと増えましたよ。今は…どれくらいでしたっけ?」

 3の侯爵が平然と答える。

「40を超えた所だったかな。この前海外の書類をたくさん読んでもらったから、3つくらい新しく覚えたか」

「そうだったわね」

 別に大したことはないと顔の前で手を振って見せる。

「匿ってくれた3の侯爵の力になれるんでしたらお安いご用ですよ」

 公爵は頭を掻きながら3の侯爵の方を見た。

「匿った?」

 部屋中の視線が3の侯爵に集まった。

「えぇ。閣下。その件についてお話したい事がありましたので、今日はこうして夜遅くにお訪ねした次第です」

 3の侯爵は真剣な表情で公爵に向かった。

「本日は、こちらのタレンスにしかるべき立場をお与えいただくことをお願いしにまいりました」


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