奴隷の少女は公爵に拾われる 91
広い会場一杯にいた人はすでに半分以下に減り、片づけや見回りに余念がない国富の公爵の部下たちの姿がよく目立つ。国富公爵主催の大規模なパーティーは開催者の宣言によって終了し、参加者は惜しみながらも続々と出口に向かってゆっくりと進んでいた。会場の至る所で別れの挨拶と再会の誓いをする一団が見られる。
その流れに逆行するように、会場の中心から少し外れた所にとどまる者たちが数人いた。
『帰らなくてもいいの?』
「最後に挨拶をしてから帰るよ。それにどうせ1の男爵君と一緒にならないと歩いて帰ることになる」
彼らは食事が用意してあるテーブルの近くに陣取っていた。ツツィーリエは落ち着かなげにテーブルの上に残った食事を見つめている。
「食べたらいいのに」
『もちろん食べるわ。でも、あたしひとりじゃ食べきれないから』
とても寂しそうにツツィーリエが目を伏せる。
「なるほど。確かにひとりじゃ食べきれないね」
人が少なくなった会場を見渡すと、見える範囲の中でもいくつかの食事用の机が用意されているのが見える。その全てにそれなりの量の食事が残っていた。ツツィーリエが1日中食べ続けてもなくなることはないだろう。
「まぁ、少しでも減らそうか」
公爵が机の方に近づいていく。それを呼び止める声があった。
「閣下!閣下!」
その声に公爵が振り向く。太鼓腹を揺らして駆け寄ってくる男が一人、手を大きく振りながら近づいてきた。
「1の侯爵君じゃないか。どうしたんだい?」
公爵はそのある意味堂々たる体格の男を確認して意外そうな声を上げた。1の侯爵はそれなりに走ったのだろう、少し息を切らしながら服の袖で汗を拭おうとしてそれをやめ、ポケットからハンカチを取り出して勢いよく顔を拭いた。
「いや、探しましたよ。お、これはツツィーリエお嬢様。先程のあいさつは見事でした。さすがは閣下の娘です」
ツツィーリエが軽く一礼して見せる。
「そんなに走ってどうしたんだい?」
「あ、はい。閣下に伝えることがありましてな。いや、私の身長がもう少し高ければ人の上からでも閣下を探せたのですが、何分この身長ですので。この腹は人をかき分けるのには向いてますが、走るのには邪魔になります」
1の侯爵は自身の太鼓腹を撫でながら言った。
「それは気付かなかった」
公爵は見事な太鼓腹を見もせずに返す。
「まぁ、冗談はさておき。閣下、1の男爵にここまでの送迎を頼んでいたとかで」
「うん。そうだよ」
「その件なのですが、馬車と御者は置いていきますので1の男爵をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「…?」
「いえ、せっかく1の男爵と会ったのでうちの邸宅に泊まっていってもらおうと思っていまして」
それを聞くと、公爵は合点がいったというように手を合わせ、顔に浮かぶ笑みを深めた。
「なるほどなるほど。そういうことなら大歓迎だ。何日でも泊めてやっておくれ」
「そうするつもりです」
1の侯爵はにやっと笑って見せる。
「あいつは良い奴なんですが、奥手なところと髭のセンスが玉にきずですな」
「そこもまた良い所だよ。君の娘は彼のことをどう思っているのかな」
「悪くは思ってはいないでしょうが、うちの娘もしっかりしたようで抜けていますから。男爵が何か言わんと気づかんでしょう。まぁ、言うのは男爵ですからな。私が言ってもしょうがない」
「違いない」
公爵が朗らかに笑って見せる。
「私に気を使ってわざわざ1の侯爵自ら用件を伝えに来たということなんだね。御苦労さま」
「まぁ、それが一番重要な要件です。あとこれから言うことはあまり気にしないでもいいんですが」
1の侯爵が言いにくそうにこめかみを掻いた。
「ん?なんだい?」
「……2の侯爵の次男のことです」
「あぁ、彼のことか。それがどうしたんだい?」
「閣下。彼が今どこにいるか、知りませんか?」
公爵が目をぱちぱちとさせる。
「いや、知らないね。どうしたんだい?いきなり」
「えぇ、2の侯爵と私は長い付き合いです。2の侯爵はああ言っていましたが、絶対心配していると思いまして。それで私も自分なりに調べたり調べさせたりしているのですが、まったく情報が引っかからんのですわ」
公爵の眉が少し上がる。
「少しも?」
「えぇ。少しも。私の情報網は国内に限定されていますが、それでもまったく引っかかってこないのも珍しい。閣下が何か知っているのではないかと思いまして」
公爵は首をひねりながら顎を掻いた。
「いや、私は知らないけど。そうか。ならいくつか心当たりをあたってみるよ。でも彼は賢いからね。本気で隠れようと思ったらいくらでもその方法を見つけるだろうさ」
「確かに。それこそ、彼も欠点があるだけで好感のもてる若者ですから」
「欠点と言い切ることはできないよ」
「それはそうですが…」
「とにかく私も少し調べてみよう」
「お願いします」
「早く帰って、男爵君の背中を押してやっておくれ」
1の侯爵は悩んでいる表情を一変させ、まるで子供のように若々しい表情でにやりと笑って見せる。
「そうさせていただきます」
1の侯爵が1礼して、先程と同じように小走りで会場の出口の方に向かっていった。
「…膝が痛いって言ってなかったかな」
公爵はひとり呟く。
『どうしたの?』
「いや、なんでもないよ」
公爵はツツィーリエに小さく笑いかけると、台の上にある食事をかなり控えめに皿の上へ盛り付けた。
『そういえばエレアーナは?』
それとは対照的に、モヌワが持っている大皿に盛れるだけ盛ったツツィーリエが手を動かして聞いた。
「あぁ。酔いを覚めたから帰ったよ。ツィルによろしくって」
『そう。お父さんに絡んでたから大丈夫かなって思ったんだけど』
「まぁ、そういうこともあるさ。いろいろ気疲れする仕事だから」
公爵は小さく切った野菜の煮物を口の中に入れて何回も咀嚼した。
「まぁ、国富の公爵のパーティーも終わったし。こっちはしばらく今まで通りでいられると思うよ」
『そうね』
と手を動かしながら、ツツィーリエは驚く位大量に皿の上のものを口の中に入れていく。それを見ながら公爵はまだ野菜の煮物を口の中で噛んでいた。
ふと、公爵が娘を見ていた顔を上げて会場の中心部に目を向ける。
「まだこちらにいらしてくれてよかった、国守の公爵閣下」
先程まで壇上であいさつをしていた国富の公爵が自身の金の髪の毛を触りながらこちらに歩く姿が見られた。その足元には少し緊張したように父親を見つめるファフナールの姿もある。
「挨拶をしようと思ったらいろんな人に捕まりまして」
魅力的な顔に苦笑いを浮かべながら国富の公爵が話しかけてきた。
「それはそうでしょう。あなたと近くで話すことができるなら全財産上げたって良いという人がいるくらいですから」
「それはうれしい。ぜひそういう人と話してみたいものです」
国富の公爵は軽く笑ってから少し表情を引き締める。
「本日はわざわざ僕の招待に応じていただいてありがとうございます。楽しんでいただけたでしょうか」
「いえいえ、こちらこそありがとうございます。おかげで娘にとって最高の場になりました」
「ぜひまたお越しください」
国富の公爵が顔を近づけながらそういうのに対して、皺の浮いた顔に困ったような笑みを浮かべた。
「また、時間がありましたら参加させていただきます」
「そちらの都合に合わせますよ」
銀髪の公爵はさらに困ったように頬を掻くが、よどみなく言葉を紡いでいく。
「先のことはわかりませんから。また招待状をくだされば出来る限り予定を開ける努力はしますよ」
国富の公爵が目付きは変えずに、顔だけ残念そうな表情に変わった。
「そんなこと言っていつも来て下さらないんですから。言って下されば数日予定を変えるくらいのことはしますよ」
金の公爵が獲物を捕えようと周囲にとぐろを巻く蛇のように見える。それと対峙する銀髪の公爵は決して捕えられないように相手の動きを読んで冷静に行動する老獪さを見せていた。
「そんなことをしたら他の人に迷惑をかけてしまいます。これ以上人から恨みを買うのはごめんですよ。ただでさえ地獄の一等地が私のために用意されているという噂ですから」
その言葉を聞くと、端正な顔を振り上げて大きく笑い声をあげた。
「そんなことを気に掛ける性格ではないでしょうに」
「いやいや、私はとても傷つきやすいですよ?」
「あなたが傷つきやすい?なかなか難解な冗談を仰られますね」
「これは手厳しい。小鳥のように繊細ですよ、私は」
「僕が知らない間に小鳥が獅子よりも強くなったようですね。今回のパーティーで御令嬢の美貌に心を奪われた人も多いでしょうから、いろんな場にお嬢様を連れてこないとそれこそ恨みを買ってしまいますよ」
「そういう恨みなら喜んで引き受けますよ。父親ですから」
国富の公爵は少し意外そうな表情を浮かべる。
「あなたがそういう風に言うとは思わなかった。子煩悩ですね」
「閣下ほどではないですよ」
国富の公爵は自嘲気味に肩をすくめた。
「いえいえ。甘やかしてしまうばかりで。そのせいで今回はお嬢様にご迷惑をかけてしまいました」
「あなたが何の考えもなしに甘やかすような人だとは思っていませんよ。長い付き合いですから」
「買いかぶりすぎです。僕だって父親になるのはこれが最初ですから」
皺の浮いた灰色の目で国富の公爵の端正な顔を見つめる。見つめられている方はまったく表情を変えない。しばらく見つめられた後、国富の公爵の方から話を逸らそうと、ツツィーリエの方を向いた。
「そういえば、ツツィーリエ公爵令嬢は……」
と、公爵の流れるように動いていた舌が鈍った。山盛りに乗った皿の上の食糧を体の中に飢えた牛でも買っているかと思うほど大量に食べていたからだ。最低限のマナーは守ってはいるが、それでもその食べる量は尋常ではない。
「……よくお食べになりますね」
ツツィーリエは口の中に入っている物を上品に飲みこむと、紙に文字を記した。
『よく言われます』
「このパーティーの料理はお口に合いましたか?」
ツツィーリエは大きく頷くと、少し顔を伏せながら紙に文字を書く。
『でも、たくさん残っているのを見るととても悲しくなります』
公爵は緑の目を周囲に走らせて、視界に入る料理を確認した。
「確かにもったいないですね」
顎に手を当てて考えるように目を細める。一瞬考え込むように無言になったが、すぐにツツィーリエの方に笑顔を向けた。
「失礼しました。これらを全部捨てた時の金額がどのようになるのか計算してしまいました。嫌な癖がついたのです」
『どうしても多めに用意しないとだめなんですよね』
「えぇ。今日はこれでも少ない方です。食糧庫の方に未加工の食材を多めに用意してその場で調理する形をとりましたので、ロスが少なくなるはずです」
『余ったものは皆で食べたりはしないのですか?』
「ある程度は食べますよ。でも、やはり量が多すぎる」
国富の公爵の目が改めて金額を計算する眼に変わる。ツツィーリエは小さく溜息をついた。
それをファフナールがじっと見つめていたが、クッと表情を引き締めて前に立つ父親に喋りかけた。
「父上」
国富の公爵はかけられた声に反応して振り向いた。他の人に向ける目より幾分温度の低い目だ。
「なんだ?」
その視線に思わず口を閉じかけるが、再度顔を引き締めて言葉を紡ぎ続ける。
「ツツィーリエ公爵令嬢が悲しんでいます。我々はその原因を取り除く事に注力すべきではないでしょうか」
周囲の視線が一気に、父親の脇に立つ少年に集中する。ファフナールはその視線の数よりもむしろ父親の視線に緊張しながら喋り続けた。
「ツツィーリエ公爵令嬢が望んでいる事があるなら、難易度にかかわらず僕たちはそれをかなえるべきです。それが彼女への非礼に詫びる方法であるなら…」
少し尻すぼみになりながらファフナールは父親の方を見上げる。見上げられる父親は息子を見下ろしながらしばらく動かなかった。
「……」
が、しばらくして小さく何回か頷き始めた。
「ふむ。確かに」
しばらく考えるように頷きが大きくなると、伺うようにツツィーリエを見ながら尋ねた。
「ツツィーリエ公爵令嬢殿は、どのようにお考えですか?」
『もし、ここにあるものとか厨房にあるものが捨てられずに誰かの胃の中に入るなら非常に嬉しいです。もし可能なら』
それを聞くと国富の公爵はシッカリと笑い、自身の胸に手を当てて指輪を見せるようにしながら。
「かしこまりました。では、この国富の公爵、わが一族が掲げる紋にかけましても、このパーティーに集められた食材の一切を無駄にすることなく活用して見せましょう」
かなりの自信を以て宣言する国富の公爵を見て、ツツィーリエの筆が走る。
『でも、それをするのが難しいから今までそれをしなかったんですよね』
「えぇ。あと、成果がコストに見合わないので。ですが非礼に詫びる機会を与えてくれたわけですから。妥協せずに行わせていただきます。ご安心ください」
そう言った国富の公爵は、視界に入った使用人を一人手招きで呼び寄せる。
「館にいる全員に通達して欲しい。仕事が終わったら、この会場に集まるように」
「館にいる者全員ですか?この会場にいる者だけでなく」
「そうだ。全員だ。寝ている者は起こさなくて良い。朝になったら僕が直接伝える」
「かしこまりました」
使用人はさっと一礼すると、近くにいた同僚に自分の持ち場を任せて、小走りに会場の外に出た。
「全員に食べて貰うんですか?」
国守の公爵は興味深そうに尋ねた。
「えぇ。足の早いものを先に食べて、腐る前に全部食べようかと。食糧庫にある食材も含めて全部リストにおこしてスケジュールを組んで、計画的に消費する予定です。本来ならその予定を立てる時間とそれにかかる人件費がもったいないので捨ててしまうんですが」
そういう国富の公爵を見ながら国守の公爵が言う。
「楽しそうですね」
「えぇもちろん。たまに採算の取れないことを本気でするのはとても楽しい」
神から奪った美貌にやけに人間臭い嬉しそうな笑みを浮かべる。
「ですから安心してください、ツツィーリエ公爵令嬢」
そう言った公爵は集まってきた使用人の姿を確認した。
「では、また後日うちの者に報告させに行きます。今日はお越しいただいてありがとうございました」
とびっきり優雅なお辞儀をすると、国守の公爵に目を向ける。
「ぜひまたお越しください。他のどんな人が来るよりも、あなたが来てくれるのが一番楽しい」
「あなたにそう言われるととても行きたくなくなります」
「それはひどい」
フフフ、と笑うと改めて軽くお辞儀をして、ファフナールを従えて近寄ってくる使用人の方に歩み寄っていた。ファフナールはツツィーリエに向かって頭を下げてから急いで父親を追いかける。
その様子を一行はしばらく無言で眺めていたが、年配の公爵が静かに口を開いた。
「楽しかった?」
ツツィーリエは一度頷くと、手を動かす。
『でも疲れた』
「私もだよ」
公爵は大きく息をついた。
「……………帰ろうか」
ツツィーリエは父親を見上げると、もう一度ゆっくりと頷いた。




