奴隷の少女は公爵に拾われる 78
「ん?お嬢、何を拾ったんですか?」
ツツィーリエが屈んで手を伸ばしたのを見てモヌワが聞いた。ツツィーリエは髪留めをモヌワの方に見せる。
「髪留め?誰のでしょう」
『たぶんさっきの女の人だと思うけど』
「そうですか?それにしては、この髪留めについている玉、安物っぽいですよ。いや、きれいではあるんですけど」
モヌワが髪留めの珠の部分を太い指でつつきながら言う。
確かにその髪留めは小さく纏まった形ではあるが、先端についている玉は宝石ではなく色のついた石といった程度のものだった。頑張ればツツィーリエでも買うことができるだろう。
「それにさっき女の髪を見ましたけど、そんな髪留めついてませんでしたよ?」
モヌワがそういうのを聞きながら、ツツィーリエがその髪留めを自身の掌の上に乗せた。
微かに湿った布から出る水のように少しずつ掌から燐光が浮かび上がり、髪留めの周囲を覆っていく。髪留めを覆った燐光はしばらく髪留めを撫でるように流動していたが、やがてその燐光は髪留めと共に帯を引きながらツツィーリエの目の高さまで上昇し、人の波を抜けてゆっくりと進んでいった。
ツツィーリエは空気にわずかな光の残滓を残しながら進む髪留めを追い歩く。
「お嬢、何したんですか?」
『持ち主のところに連れて行ってもらうの』
「別に置いとけばいいのに」
『このパーティーはとても大きなものなんでしょ?それにわざわざこの髪留めを付けてくるってことは、何かとても大事なものだからってことだと思うの。なくしたら可哀そうよ』
「お嬢は優しいですね」
『そう?普通よ』
ゆっくりと匂いを嗅ぐように進む髪留めは、しばらく進むと食事を提供している台の方向に進路を変えていった。周囲の人はゆっくりと進む髪留めのことを認識していないようだ。髪留めが自分の意思を持っているように動き、ツツィーリエたちはそれを追う。
「なんで周りの奴は髪留めが浮いてるのに気付いてないんです?」
『私は何にもしてないわよ。この髪留めがあまり人に見られたくないって思ってるんじゃない?』
「なんですか、それ」
『さぁ?でも、そういうものだもの』
モヌワが少し困惑したように髪留めを見つめる。
髪留めはツツィーリエが最初に肉をもらった場所に来るとその場でくるくると回転し、方向を変えて進み始めた。ツツィーリエはその髪留めを横目で見ながら肉を焼いている男の前に行き、肉のほうを指さす。小太りの男はツツィーリエを覚えていたようで、わずかに口の端を上げてツツィーリエに先程と同じくらいの肉を持って渡してくれた。ツツィーリエは会釈してからそれを受け取ると、早速肉を頬張って髪留めの追跡を再開した。
「よそ見をしながら食べるのはあまり行儀よくないですよ、お嬢」
ツツィーリエはモヌワに皿を渡してから手を動かす。
『立食形式だし平気よ』
と伝えて、皿の上の肉をフォークで突き刺しながらモヌワにもフォークを渡した。モヌワもそれ以上名何も言わず、主が食べやすいように皿を下げながら自分もその肉を口に入れていく。
髪留めは食事を提供するテーブルの周りを半周ほど進むと、その場でぴたりと止まり、先程とは打って変わったものすごい速度で一つの方向に進んでいった。
「ん?どうしたんですか?」
モヌワが肉を飲みこみながら言った。
『見つけたんでしょ』
「何を?」
『持ち主を』
「どこに?」
『そこにいるじゃない』
「ん?…………なんか見えづらいです」
『人ごみに紛れてるからかしら。すぐそこであそこの数人でお酒を飲んでる男の人たちの向こう側』
ツツィーリエはそう言いながら髪留めが飛んで行った方向に進んでいった。
その髪留めの持ち主らしき人は柱に少し背をもたせ掛けて手には何も持たず、特に何の意識もしていないように自分の髪の先を弄って人混みを見ていた。相変わらずその赤い髪の毛は見事な艶を持ち、魔法のように火の粉のような燐光を放っている。その表情は少し沈んでいるように見え、人混みを見つめる目にも憂いをたたえていた。
周囲は美女が寂しそうにしているにも関わらず、声をかけるどころか目もくれず自分たちの仲間と談笑していたり手持無沙汰にぶらぶらしていた。
「あれって……」
『魔法かしらね。さっきもぶつかるまでわからなかったし』
ツツィーリエはその女性の背中近くでふわふわと漂っている髪留めに手招きをする。その招きに応じて髪留めがツツィーリエのほうに寄ってきて、掌の上にふわりと着地する。髪留めの周りの燐光がツツィーリエの中に吸い込まれていくのを確認すると、その髪留めを持って柱の近くに立つ女性の所に歩いていった。
その女性は寄ってくるツツィーリエを見て少し驚いたような表情を浮かべる。
「あなた、さっきの…」
ツツィーリエがその女性と対峙するような距離まで歩いていくと、静かに髪留めを差し出す。
「あら!」
女性は自分の豊かな髪を触って何かを探すと、差し出された髪留めを見つめなおす。
「ありがとう!見つけてくれたの?」
ツツィーリエは紙にさらさらと文字を書いていく。
『さっき私とぶつかった時に落ちたみたいです』
その文字を見て女性が口を開く。
「もしかして、声が出せなかったりするのかしら」
ツツィーリエは黙って頷く。
「それでさっきも無言だったのね。やだわ、さっきぶつかった時怒らせてしまったのかと思って少し心配していたの」
わずかに頬を赤らめながらその頬を隠すように手を当てる。
「でもよかった。この髪留め、とっても大事なものなの。なんで落としたりしたのかしら」
ツツィーリエから髪留めを受け取ると、後ろ髪の内側に見えないように髪留めを付けた。
『見せないの?』
女性は手を髪に埋めて髪留めを付けながら少し困ったように笑う。
「えぇ。これは他人に見せるものではないの。個人的につけておきたいだけ」
手慣れた様子で髪の毛を少し整える。
「本当にありがとう。お嬢さん、お名前をお伺いしてもよろしいかしら」
ツツィーリエはよどみない流れで自分の名前を記した。
「ツツィーリエ、っていうのね。この国の歌の女神様だったかしら。だとしたらあなたの名付け親は割と皮肉屋さんなのかしら」
と言って少し笑いながら続ける。
「とても良い名前」
『私が引き取られたときに父親がつけてくれた名前なんです』
「そう。ちゃんと考えて名前を付けてくれたのね」
女性は自分の胸に手を当てる。
「私のことはエレアーナって呼んで頂戴。書類に書く名前は事務的で退屈だから」
ツツィーリエはペンを走らせてその名前を紙に映していく。
「綺麗な字ね」
ツツィーリエは肩を少しすくめて見せる。エレアーナがふとモヌワが持っている肉の乗った皿のほうを見た。
「食事中だったのかしら。気にせずに食べてもいいのに」
ツツィーリエは振り向いておいしそうに焼けて湯気の立つ肉を見ながらペンを動かす。
『食べると文字が書きづらくなるから』
ツツィーリエはペンを持ちながら逆の手でフォークを持って、くるくると回して見せる。それを見たエレアーナは少し思案気にツツィーリエを見つめると、少し顔を寄せてくる。
「ツツィーリエちゃん。口は動かせるかしら」
と言いながらツツィーリエの唇に触れる。咄嗟にモヌワが警戒心を剥き出しにするが、ツツィーリエが落ち着くように視線だけで窘める。
「あら、ごめんなさいね」
モヌワはぐっと堪えて無言で会釈してみせる。
ツツィーリエは自分の唇に触れている指を飲みこむかのように口を大きく開ける。
「じゃあその口で、喋りたい言葉を喋る時みたいに口だけ動かすことってできる?」
戸惑ったように数回瞬きをするが、少し考えて声の出ないままゆっくりと唇だけを動かしていく。
『こう?』
「そうそう。私は唇の動きが分かれば何言ってるかわかるから。それなら、片手がフォークで埋まっててもちゃんと会話できるでしょ」
エレアーナが嬉しそうに笑って見せる。整えられた美しさを持つ女性とは思えないくらい親しみのもてる笑顔だった。
ツツィーリエは少しだけ眉根を寄せてゆっくりと唇を動かす。
『口を動かして喋るのってなんか変な感じ』




