奴隷の少女は公爵に拾われる 69
馬車の中はさすがに要人の警護に使われるだけあって舗装されていない道を走ってもそれほど揺れることはなかった。
「なんでこんなによさそうな戦馬車がこんなところに出張ってるんだ?こんなに丈夫ででかい馬車なら、普通に戦闘用にでも使えそうだけど」
モヌワが見事な内装というよりむしろ通常の馬車よりも格段に大きな空間を見ながら言った。
「今この国が関わってる戦闘は国境付近の2の侯爵担当地区と辺境伯担当地区の二つなんだけどどっちも山なんだ。こんな重い馬車さすがに使えない。あと、ぬかるんだ地面に車輪がはまるとどうしようもなくなるから私の前の代からこれはほとんど使われてないよ。主に舗装された市街地区で要人を警護する必要がある場合のみだね。私はそれにもあまり使いたくないんだけど」
「なんで?」
「もし馬車の中にいる要人を襲撃するとして、多くの場合通り道に大量のがれきを置いて動きを止めてから周囲を囲む手法をとる」
「へぇ」
「その手法に対してこの戦馬車が有効ならいいんだけど、同じ方法でこの戦馬車を襲撃することが可能だからそこまで有能とは思えないんだよね」
「丈夫だし人が来るまでなら立て籠もれるんじゃないか?」
「火責めされたら終わるじゃん。私ならがれきの外から火矢を大量に射ってこの馬車を燃やすか軍馬を恐慌状態にするね」
「”勇ましき凱歌”号は多少の火には動じません!」
男爵が言う。
「軍馬なら確かにそこらへんの訓練受けてるからそこは評価できるかな。でもそれなら軍馬に少し丈夫な普通の馬車をひかせれば十分だし、そっちの方が扱いやすい」
「公爵よ。あんたこの馬車嫌いか?」
モヌワが少し呆れたように公爵に尋ねる。
「目立つからね」
公爵は自分の服の喉元を触ろうとしては途中で止めるという作業を繰り返している。
「まぁ、今回の参加目的を考えるとこれくらい目立った方が良いのかな」
「目的?何か特別な目的でもあるんですか?」
男爵が意外そうに尋ねる。
「じゃなかったら私がパーティーに参加するわけないだろ?」
腕を組みながら自嘲気味に返答する。
「このパーティーでツィルを私の娘として貴族全体に紹介しようと思ってる」
ツツィーリエはその言葉を特に気にした様子もなく窓から外を眺めている。
「別に隠してるわけじゃないから知ってる人もいるけど、私たちはあまり外に出ないからね。一回大々的に宣言しておいた方が動きやすい」
「それでお嬢様もきれいな格好をされてるんですね」
「だろ?お嬢、きれいだろ?」
モヌワが男爵のほうに身を乗り出すのを、ツツィーリエが鼻を摘まんで止める。
「ンガッ」
『もう、恥ずかしいでしょ。そんなに騒がないの』
鼻を摘まんでツィルのほうを向かせると、手話で意思を伝える。
「だって…」
『だって、じゃないの』
モヌワが肩をすぼめて小さくなる。
と、馬車の速度が緩む気配がした。
「さすがに馬車だと速い。男爵君、この馬車はいったん邸宅の中に入れておくれ。日暮れごろにあっちにつく位の時間に出るからしばらく待って欲しい」
「それだと少し遅くなりますが」
「いいんだよ。そんなに最初からいたってしょうがない」
「情報収集は重要ではないですか」
「私は君が爵位を継ぐ前からパーティーに参加してないんだよ?今更数時間参加しないことで得られない情報くらいどうってことはない。それにパーティーで出た情報を知るすべは何もパーティー出席するだけじゃない」
「な、なるほど」
誇っていいのか悪いのかわからない威張り方をする公爵に、男爵が思わず相槌を打つ。
「男爵君は先に行ってくれてもいいよ」
「いえ。公爵閣下に同行すると半端な気持ちで宣言したわけではありません。公爵閣下が出る時間を決められておいでなら、私もそれに従います」
「そう?それならいいんだけど。とりあえずマーサに頼んでお茶出してもらうよ」
「ありがとうございます」
そのうち馬車が”勇ましき凱歌”号の鼻息と共に動きを停止した。
公爵が扉を開けて馬車の外に出ると、公爵邸の門を開けようとラトが手をかけているところだった。
「おかえりなさいませ、公爵様」
「留守の間御苦労さま。パーティーの間も頼むよ」
「心得てございます」
ラトはいつも通りの完璧な執事然と、パリッとした燕尾服を着用し白い頭髪と口髭はしっかりと整えられていた。
「しばらくこの馬車、邸宅内に入れておくから」
「かしこまりました。すぐに用意させていただきます」
「私とツィルとモヌワは国富の公爵邸に日暮れ時辺りにつくように出発する。マーサに言って男爵君にお茶出してあげて。あと、私の留守中にどんなことがあったか頭に入れておきたい」
「かしこまりました」
威厳ある衣装をした公爵相手に興が乗ったのかいつも以上に美しい完璧な礼をして命令を受けると、門を全開にして、いったん馬車の御者に近づく。
「それでは、馬車を先導いたしますのでついてきてください」
ラトは門の中に馬車を誘導すると、門から玄関に至る庭を途中で曲がり普段はあまり屋敷の人間も近づかない場所のほうに誘導する。するとそこには小さい厩舎があり、水と飼葉が用意されていた。
「暑くなってまいりましたので、馬の様子には気を付けてあげてください」
御者に軽く挨拶をしてから、厩舎から何かを取り出し馬車のほうに近づく。御者が合図を出したのか、馬車の扉が内側から開き、赤いマントの男爵が顔を出した。
「ラトさん、しばらくうちの馬と御者がお世話になります」
「とんでもない。公爵さまを送ってくださるということで感謝しているところです。公爵さまは歩いて会場に行きかねませんから」
「着けばいいんだよ、無事につけば」
ラトと一緒に歩いてきた公爵が言う。
「またそういうことをおっしゃる。まぁ、別に今回は男爵様が同行していただけるようですのでいいですが」
さらに馬車の中からモヌワが出てきて一息に飛び降りると、すぐに馬車のほうへ振り向く。
「お嬢、下ろしますよ」
「モヌワ。あなた、まさかお嬢様を抱えて馬車から降ろすつもりですか」
「え?あぁ、だってこんなに段差が高い。お嬢がこけちゃいますよ」
ラトは持っていた台のような物をモヌワに手渡す。
「そういうのはあまり優雅ではない。この馬車用の踏み台がありますから、それを使ってください」
その踏み台は馬車の色とお揃いの黒で、若干年代を感じさせるが、見栄えもいいし足元の悪い女性でも楽に降りられるように作られている。
「この馬車用?」
「えぇ。もともとこの馬車は国守の公爵所有のものですから。男爵様に渡し忘れていたみたいです」
「へぇ」
モヌワは、少し残念そうにその踏み台を受け取ると、丁寧に設置する。
「お嬢、もう降りてきても大丈夫ですよ」
モヌワがそう声をかけると、黒い髪のツツィーリエがひょこっと顔を出す。そして周囲を見渡すと、幌から体を出して用意された踏み台に足をかけた。
ツツィーリエの目を中心に作られた衣装を見たラトは口髭の奥で顔を綻ばせる。
ラトは慣れないスカートのすそを踏まないよう慎重な足運びで降りるツツィーリエに手を貸して、台から降りるのを支えた。無事に地面に到着すると、ツツィーリエが手を動かしてラトにお礼を言う。
「よくお似合いですよ、お嬢様」
綻んだ顔のままラトがツツィーリエの服のずれを少し直す。
「とてもよくお似合いです」
ツツィーリエは視線をまっすぐラトに向けて、少しいつもより大きめに腕を動かす。
『ありがとう』
「その場で回ってもらってもよろしいですか?背中の方も見たいのですが」
ツツィーリエは素直にその場でくるりと一回転してみせる。黒いスカートの裾後ろに流した髪がふわりと浮かんで地面の草を風で靡かせる。
「いやはや、いやはや。この年まで生きてみるものですね。公爵様のお嬢様の晴れ姿が見れるんですから。ねぇ、公爵さま」
ラトが嬉しそうに顔の皺をさらに深くしながら、横に立つ公爵に喋りかける。
「そうだねぇ。その公爵自身にはなにかないのかい?」
「似合ってます似合ってます。それよりお嬢様、もう一度回ってもらってよろしいですか?」
「………」
公爵は眉を少し上に上げてラトのほうを見るが、何も言わず自分の娘に視線を戻した。




