奴隷の少女は公爵に拾われる 68
デックの家の方に、大きな車輪の音が近づいてきた。普通の馬車にしてはうるさすぎる。デックの家が土台から揺れるような、そんな震動が中にいる人間の歯の根っこを揺らした。ツツィーリエは不思議そうに首をかしげるが、公爵は何の音がすぐにわかったらしく眼を細めて呆れたような表情を作る。
「なんだい、まったく。仰々しいね」
その轟音はどんどんデックの家に近づき、それは砂の上を車輪と蹄が滑る音と共に動きを停止したようだ。モヌワが公爵が扉を開けようとするのを制止して慎重に扉を開ける。
外には揺らめく土煙を背負った状態の馬車が止まっていた。普通の馬車と違うのは馬車に繋がれている馬が明らかに軍馬、それも農業に使われるような馬の軽く数倍はあろうかという大きさと盛り上がる筋肉を持ち馬車自体もそれに負けず劣らず巨大であるという事だ。黒い外装に静かに蹲る虎の紋を掲げ、御者もしっかりと鎧をつけた軍人仕様だ。
馬車の扉が開き中から赤いマントを閃かせ出てきたのは、輝く眼を持った1の男爵だ。派手な赤い帽子とその帽子に負けないくらいはっきりとした目鼻立ち、良い意味で少年の様に輝く目と全体に覇気の溢れる雰囲気を醸している。若い非常に好感のもてる青年だが、なぜか断固として剃ろうとしない口髭がまったく似合っておらずそこだけが唯一外観を損ねる要因になっている。
腰には普段は少しでも隠す様にしている剣を、今日は儀礼用の細工の豪華なものに換装して目立つようにマントの位置を調整していた。
1の男爵はいつになく丁寧な物腰で馬車からひらりと飛び降りると、流れるようにその場に膝をつき恭しく礼をする。
「公爵閣下。僭越ながらこの1の男爵、道中御一緒させていただきます」
「御苦労。貴殿の気づかいに感謝する――――――って言ったら満足かな。普通の馬車で来ればいいのに、なんでわざわざ戦馬車出してくるの」
この馬車、外装はしっかりとニスが塗られた木製だが、密度の高い鎧樹の二層構造の間に甲冑に使われる黒鋼を挟んだ戦争時に要人警護に使われる類の馬車だ。その大きさと装備は他の馬車を圧倒しているが、重量がありすぎて力の強い軍馬、それも一等に力の強い軍馬で無いとまともに引く事どころか動かす事も出来ない代物だ。
「それも公爵紋ついてる馬車わざわざ出してくるし」
「国富の貴族たちに国守の貴族をなめられないようにするためです。我らの国守の貴族頂点に立つ公爵閣下の威光を存分に引き出す役、この質実剛健足る“勇ましき凱歌”号以外に務まる馬無しと考えます」
1の男爵はいつも以上に目を輝かせて、まるで好きなものにまっすぐに飛びかかるのを堪えているようなきらきらした輝きを以て威厳のある格好をした公爵を見つめている。主人の熱意に反応するかのように馬車に繋がれた灰色の軍馬は荒々しい鼻息を鳴らして今か今かと御者の合図を待っていた。
「それはそれは……なんでこんな事になってるんだろうね」
鼻息の荒い“勇ましき凱歌”号を見ながら、疲れた様につぶやく。
「公爵が久々に会議以外の公式の場に出ると言う事で巷では大きな騒ぎになっていますよ。その期待にこたえなくては。流石デックさん。その期待に十分に答える威厳のある服装です」
「あぁ、そう」
公爵は自分が思っている以上に加速する状況に戸惑いを隠せないようだ。
「こういう風に仰々しくなるからあんまりこういう催し物に参加したくないんだけどね」
「なんだいなんだい。こんなでかい馬車なんかだしてきて。うちのぼろ屋を壊すつもりか?」
デックとムクラが家の中から出てきて巨大な馬車を見ながら叫ぶ。
「お久しぶりです、デックさ――」
「お前は口髭似合ってないから剃れって言ってんだろ」
男爵のあいさつを食うようにデックが男爵の口髭を一蹴する。
「帽子も派手すぎだよ」
と、ムクラも男爵の格好を見てお気に入りの帽子をけなす。
「ほ、ほっといてください!」
男爵がいきなりの言葉に軽く涙目になっている。
「まぁ、いいか。たいてい帽子なんか会場入ったら回収するんだし」
「だな。あの口髭もなれれば我慢できる」
男爵が傷ついたような眼で公爵を見る。
「………いったん、家まで送ってくれる?パーティーが始まる前に私が不在の間に何があったのかとか、私がパーティーに出席している間の打ち合わせしたいし」
「かしこまりました」
男爵は自分を奮い立たせるように丁寧なお辞儀をすると、馬車の扉を開け公爵とツツィーリエ、モヌワを招く。
「お嬢。無理に上って服が破けたら大変ですよ」
ツツィーリエは自身の膝上にある最初の段差に上ろうとしているところだった。男爵がそれを支えるよりも先にモヌワがツツィーリエの背中側に回ると、軽いガラスでも持ち上げるようにツツィーリエの体を抱え上げ馬車の中にそっと入れる。
「へぇ、中も広いね」
モヌワが馬車の中を見て言った。馬車の中は公爵とツツィーリエ、男爵、モヌワが全員入ってもまだゆとりがあるくらいの大きさだった。内装は全体がビロード張りで、長椅子が向い合せになるように設えられ、同じように据え付けられた小さな棚の中にはいくつかの飲み物まであるようだ。
「公爵閣下もお乗りください」
「そうだね。モヌワ、私のことは抱えなくていいからね」
「お嬢以外抱え上げるつもりはない」
「そりゃよかった」
公爵は意外に身軽な動作で高い段差を上ると、馬車の中に手早く入る。続いて男爵とモヌワが目を合わせると、モヌワが周囲を一瞬警戒してから馬車の中に乗り込む。最後に男爵が御者に軽く指示を出してから、ひらりと慣れた様子で馬車に乗り込んだ。
「デック、ムクラ。ありがとね。またこういうの作る機会があったらお願いするよ」
公爵とツツィーリエが馬車の中から顔だけ出して、こちらを見るデックとムクラのほうに声をかけた。
「そん時はもっと時間に余裕を持たせろ。こんな強行軍できるほどお互い若くねぇんだからよ!」
「そうだよ、うちのおやじと同じくあんたもじじいなんだから無理は良くない」
「なんだ、このすっとこどっこい。親に向かってなんて口のきき方だ」
「だまんな、老いぼれ。口のきき方はあんた譲りだ」
と言い争いをしている二人に向かって、ツツィーリエが大きく手を振る。
「ほら、おちびちゃんが手振ってるよ。見えるかい?」
「年寄り扱いすんじゃねぇ!」
言い争いはさらにエスカレートしながら、それでもその合間に公爵とツツィーリエに向けて手を上げて挨拶をする。
「では、出発します」
男爵が馬車の中から御者の合図をすると、鎧姿の御者が手綱を操って馬に合図を送った。“勇ましき凱歌”号は待ってましたとばかりに鼻を鳴らすと、筋肉を盛りあがらせて重さが増えた馬車の幌を引き、あっという間に舗装されていない道を悠然と走り出した。




