奴隷の少女は公爵に拾われる 63
「どんな感じ?」
扉の影から薄暗い部屋の中を覗くのは国守の公爵だ。逆光になって銀と白の混じった髪、日焼けしていない肌が目立って見える。部屋の中を全体的に見渡すと、何か袋を持ってデックの家の中に入って扉を閉めた。
「公爵さま!遅かったですね」
「あのね、公爵邸を簡単に空にはできないでしょ。1の男爵が通りかかるのを待ってたんだ」
マーサに言葉に苦笑しながら返答する。髪に少し洗剤の泡と小麦粉がついている。よく見ると、だいぶ年季の入ったシャツにも同じように小麦粉や洗剤など、台所の気配がする汚れが目立っていた。
「洗い物してくれました?」
「やったよ。まったくどこの世界に主に洗い物させる使用人がいるのやら」
「ここにいるんです。大体お嬢様のパーティー用の衣装をこんな急ぎで用意しないといけない状況作った公爵さまが悪いんですよ」
「ごめんごめん。すぐに用意できるもんだと思ってたんだ。だって」
「既製品買えばいいって言ったらこれから先公爵さまの朝食には麦ワラしか出てこないと思ってください」
公爵はその言葉を聞いて、しっかりと口を閉ざした。
「………おなか減ってない?デックが食事出すなんて気のきいたことするわけないと思って台所で焼けてたパン持ってきたんだけど」
「あら、公爵さま気が利きますね」
「そうかい?気づかなかったよ」
公爵は慣れた様子で床を埋めている紙や布を蹴っ飛ばして手頃なスペースを作った。
「確かこの辺に………」
公爵はデックの部屋の隅で一層高く積まれたごみの奥の方に目を凝らす。
「あぁ…あったあった」
そのゴミの山に公爵が指を向けると、その山の中に埋もれた大きな机が海の中から出てくる海神のように姿を現す。そのままふわふわと浮きながらごみの山の上を通って公爵が開けたスペースの所に漂ってきて、ゆっくりと着地した。
「パンしか場所がわからなかったんだけど、これで足りるかな」
公爵が机の上に袋を置きながらツツィーリエに尋ねる。ツツィーリエは袋の大きさをじっと見つめて、しばらくじっと見つめてから、ゆっくりとうなづいた。
「まぁ、足りなかったらいったん公爵邸に帰ればいいんだけど」
「帰れますか?たぶんしばらくここに詰めないといけないと思うんですが」
「それくらいの時間あると思うんだけど」
「普通ならもちろんありますがパーティー用の衣装を合わせないといけないでしょうし、こちらの希望もある程度聞いてくるでしょう。パーティーのある日までここに詰めておくことも覚悟しておいた方が」
「そうなの?ん~、大変だね」
「公爵さまも他人ごとではありませんよ」
「なんで?」
「公爵さまの衣装も頼んであるからです」
「いつもの礼服でいいでしょ」
「良くありません。あの礼服は公爵さまが一人で着る分にはいいでしょうけど、お嬢様と一緒であるなら話は別です。あの服は周りを威圧しますし、それにお嬢様の服を合わせるのは困難です」
「親子とはいえ別の人間だよ?合わせなくても」
「合わせるものなんです。国富の公爵のパーティーにお嬢様と参加されるということは、ほぼお嬢様の公式なお披露目になります。本来なら数週間前からありとあらゆる事態を想定して計画を組むもんです」
「私のお披露目の時、先代はそんなこと考えてなかったけどね」
それを聞いた瞬間、ラトとマーサが思い出したくないものを思い出すかのように体を震わせた。
「あなたが初めて公式の会合に参加して周りに紹介された時の話をしているのでしたら、あれは参考にされてはいけません」
「そうですよ。あんなひどい経験、私は今までしたことありません。先代の奥さまのお付きで私も参加しましたけど、恥を通り越して身内としては恐怖すら感じましたよ」
「そこまで言わなくてもいいんじゃない?普通だったよ」
そののんきな言葉に、マーサとラトが激昂一歩手前の叫び声をあげる。
「何が普通なものですか!普通の町民が着るようなシャツに農作業用のズボンで公爵さまが先代に連れられて壇上に上がった時は私は心臓が止まるかと思いましたよ」
「しかもあれは確か、先代の国王主催の祝賀パーティーでした。先代様も先代の奥さまも笑っておられましたけど、ラトさんも私も卒倒するところです」
「庭の掃除した後だったからね。しょうがない」
袋からパンを取り出して一つ小さくかじりながら言ってのける。
「だから」「ですから」
マーサとラトの目にやる気の炎が燃え盛っていた。
「お嬢様のお披露目の時には、そんな失態なんてもってのほかです」
「そうです。私たちのお嬢様のお披露目なんですよ。パーティーに参加されているすべての人にお嬢様の魅力を知ってもらわないと」
腕と声にぐっと力の入る二人を、当事者の二人はぼーっとした目で見つめながらパンをほおばっていた。
「だから時間の許す限り妥協しませんから、そのつもりで」
「仕事あるんだけど」
「こちらが最優先事項です。仕事なんか待たせてください。良いですね!」
ラトが、普段の礼儀正しいふるまいをすべて投げ捨てて公爵に詰め寄る。そのあまりの剣幕に公爵は顔を引きつらせて笑いながらうなづく。
「お嬢様もしばらくここにいてください」
ツツィーリエはパンを噛みながら何かを思い出すように視線を天井に向けると、言い訳を思いついたようにマーサのほうを向いて手を動かそうとした。
「読みかけの本があるって言ったらお嬢様のこれからの夕飯は毎食砂糖水ですからね」
ツツィーリエは目を逸らして、動かそうとした手でそのままパンをつかみ何事もなかったように食べ始めた。




