奴隷の少女は公爵に拾われる 59
その日ツツィーリエはゆっくりと寝ていた。いつもなら朝食の時間になる前に目を覚ますのだが昨晩遅くまで本を読んでいたためその日だけは意識が夢の中から出て来なかった。夢を見ても嫌な思いをせず、夢の中で得た感情はとても優しいものだ。そんな心地よいまどろみの中に猛然と近づいてくる足音が土足で踏み込んでくる。ベッドの中で薄眼を開けて、まだ半分眠っているながらも意識を現実世界の周囲に向けた。
飾り気のない部屋だ。窓から見える朱果の木は小さなころに比べて少し近くなった気がする。一人で使うにはそこそこ大きな部屋には昔よりも大量の本が置かれており本棚の数も増えた。服が入っている棚は昔とほぼ変わらず、サイズが変わった時だけ服が更新される日々だ。その中にひときわ目立つのが白いワンピースだが、ツツィーリエはあまり着ようとしない。主なのは動きやすいシャツとスカート。色にも代わり映えはない。家具としてあるのはツツィーリエが寝るベッドと後は机と椅子程度だ。
いつも通りの部屋を見た所で騒々しい足音がツツィーリエの部屋の前でとまる。手をドアの方向にかざして開けようとする前に、ノックもなしで扉が開けられた。
「お嬢様、起きてください!」
全力疾走で顔を上気させたマーサが何が起こっているのか把握しきれていないツツィーリエの方にずんずんと近づいてくる。
ツツィーリエは眼を擦りながらベッドの上で身を起こし、ツツィーリエは手話で尋ねながら伸びをして音の無い小さな欠伸をする。それに応じて長い艶のある黒髪は肩から背中に流れ、髪の流れる音が服の衣擦れの音と合わさる。
『何かあったの?』
「お嬢様!今度の国富の公爵のパーティーに出るって話、聞いていますか?」
『えぇ、聞いてる。前にお父さんが私も連れて行くって』
「服とかは用意してないですよね?」
『あぁ、そうね。流石にいつものシャツじゃ駄目ね』
ツツィーリエは自分の今寝巻きとしているシャツの胸元を引っ張る。
『どこかで買えばいいんじゃないの?』
マーサが自身の髪の毛を掻きむしって激情を抑えているようだ。
『どうしたの?』
「お嬢様!パーティーの際に着る服っているのは!」
マーサのツツィーリエより数段ふくよかな顔がズイッと近付いてくる。ツツィーリエはそれに対して全く驚いたような反応は示さない。
「基本的に全部、その人の体の大きさや流行に合わせて一つ一つ手造りで作るものです」
その情報にツツィーリエの眼が見開かれる。
『なんでそんな面倒なことしてるの?』
「それが一番その人にあった服を作る方法だからです!その為の採寸から生地を取り寄せて作って、合わせて調整する工程がいるんです!」
『そうなるわね』
ベッドの上できょとんとしたまま手を動かす。
「次のパーティーまでの日数だとギリギリなんです!だからサッサと起きてすぐに仕立て屋に向かいますよ」
『ご飯食べてないわ』
「そんなのは後です!さぁ、すぐに行きますよ」
『こんなに朝早―――』
ツツィーリエが動かそうとしていた手を見もせずマーサが彼女の腕を掴むとベッドから引きずり出す様に引っ張って、そのまま猛然とツツィーリエの部屋から飛び出した。
マーサの騒ぎを聞きつけてやってきたモヌワの脇を、物凄い形相で走るマーサと引っ張られるように必死に足を動かすツツィーリエが抜けて行く。モヌワはすでに起きていたようで多少の身支度はしていて刈り込んだ髪も整えられ、簡素なシャツと皮の脛当ての付いたズボンを着用している。ツツィーリエがモヌワに気付いて片手を引っ張られながら片腕でおはようと挨拶をするのが鍛えられたモヌワの動体視力で辛うじて確認できた。
「ちょ、マーサさん!?お嬢を連れてどこに行くんですか?」
その疾風の様な二人を見て思わずモヌワの声が裏返っていた。
「仕立て屋よ!」
それだけ叫んで、ツツィーリエを引きずりながらマーサが階段を下りて行く。
「え……?」
モヌワは階段の方に消えたマーサとツツィーリエを見てしばらく呆然としていたが、はっと気付いて何も持たずに急いでマーサの後を追いかけて行った。
「マーサさん!お嬢を護衛なしで外に出すのは危険ですって!!」
モヌワの速度でも屋敷を出る前にマーサに追いつく事は出来なかった。恐ろしい早さに目を白黒させながらモヌワが追いかけていると、玄関ホール辺りでラトが並走し始めた。
「あ、ラトさん。マーサさんを止めて―――」
「モヌワ。あんまり遅いと置いていきますよ」
ラトはいつになく緊張感のある顔でモヌワの言葉を遮るように一言だけ喋ると、頭が白髪で覆われている年齢とは思えない走りでモヌワを追い抜いてマーサの方に近づいて行く。
「………あんたら年齢考えなよ」




