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奴隷の少女は公爵に拾われる  作者: 笑い顔
奴隷の少女は公爵に拾われる 第3章 お目見え
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奴隷の少女は公爵に拾われる 58

 その日、国守の公爵は朝起きると大きく呼吸してからゆっくりとベッドを降りる。髪を手櫛で整えて服を着替えると、眠そうに体を伸ばした。体中の骨がパキパキと鳴って体の組織が目覚める音がする。部屋の外の窓には小鳥が小首をかしげて公爵のほうを見ていた。公爵はぼーっとした目でその鳥と見つめあっていたが、執務机の上にある招待状が視界に入るとその招待状を手に取り、穴が開く位その招待状を見る。

 そしてため息をついて服のポケットに入れ、ゆっくり音をたてないように扉を開ける。かすかに軋む音と共にその扉が開くと、廊下の冷たい石の廊下が出迎えた。太陽が昇り切った時間は熱いがさすがにまだこの時間は日陰になっている廊下に暑気は訪れてはいないようだ。その廊下を静かに歩いて階段を下りると、まっすぐに食堂に向かって歩き出した。

 食堂の質素な扉を開くと、そこにはすでにパンが焼ける香ばしい匂いと木の実の甘酸っぱい匂いが混じる目がばっちり覚めるほど食欲をそそる匂いに満ちていた。

「あら、珍しい、公爵様がこんな時間に起きておられる」 

 食堂と台所をつなぐ扉から、ふくよかな女性がエプロンで手をぬぐいながら出てきた。最近白髪が増えたとぼやく髪を上にひっつめてスカーフで覆い、ふくよかな体を包む農民風のチュニックにズボンを履いていた。エプロンで手をふく動作から、彼女の体がふくよかな割に機敏に動くことが強く察せられる。

「朝食、もう少しで準備できますよ。ミルクでも出しましょうか」

「お願いするよ」

 公爵は食堂の椅子を引きずって疲れたようにその上に腰を掛ける。

「お疲れですか?たまには休まないと、体壊しますよ」

「マーサに言われたくないな。マーサもたまには休めばいいのに」

「そうなったらこの屋敷にいる人が飢えるじゃないですか。そんなの私の目が黒いうちは許しませんよ」

「一日くらい食べなくても大丈夫さ」

「確か、ツィルお嬢様もそんなことおっしゃってましたね。そんなところ似なくてもいいのにね。だめですよ。毎日ちゃんと食べないと」

「ツィルもそんなこと言ってるのかい?あの子が一番たくさん食べるのに」

「本読んでたら一日食べなくても大丈夫なんですって。あと、なんて言ってたかしら。そうそう。ゆっくり呼吸すると、食事の量が少なかったり食事がなくっても水だけで何とか数日生きていられるらしいですよ」

「おかしいものだね。私なんかは食事の量が減ろうがいつもあんまり食べないから同じようなものだけど」

「ほんと。あと、お嬢様にはちゃんと食べさせてるはずなのにまったく太らないんですよ。病気ですかね?」

「体質じゃないかな。ミーナが羨ましがってたよ」

「あの子ったら、女の子は縦に伸びる時期と横に伸びる時期が交互に来るもんなんだって、何度言っても聞きゃしない。毎日ちゃんと食事だけはさせてますけど、この時期に食べないのは後々の体に悪いっていうのに」

「多少食べなくても」「男の人は黙ってなさい」「はいはい」「はいは一回」「はい」

 公爵は肩をすくめると胸元から公爵のパーティーへの招待状を取り出す。

「はい、公爵さま。ミルクです。―――それなんですか?」

「ん?あぁ。国富の公爵が主催するパーティーの招待状」

「へぇ、珍しい。公爵さまがパーティーに興味を示すなんて。行かれるんですか」

「その予定なんだけど、問題があってね」

「なんですか」

「しばらく忘れてて、何にも準備してないんだ」

 お手上げといった様子で、手を上げると用意されたミルクを飲む。

「いいじゃないですか。公爵さまなら正装をしていけば問題ないですし、どうせダンスするような時間になったら壁の花を決め込むわけでしょ」

「いや、それがね、ツィルも一緒に行こうかと思ってるだけど」

 へぇ、とマーサは景気よく返事をして、すぐに時間が止まったみたいに体の動きを止めた。

「……ツィルお嬢様もいかれるんですか?」

「あ、うん。それで――」

 マーサが軋んだカラクリのような動きで首だけを公爵に向ける。首の角度が少しおかしい。

「そのパーティーはいつですか?」

「これ、見る?」

 公爵が差し出す招待状をひったくるように奪うと、小麦粉がついたままの手でその招待状を読む。一回通しで読んで、確認するかのようにもう一回読んで、日付の所に焦点を当ててじっと見つめる。

「公爵さま?」

「なに?」

「なんの用意もしてないって言ってましたよね?」

「あぁ。それで―――」

「あと数日しかないじゃないですか!!」

 マーサは電光のようにエプロンを外して台所に駆け込み、ものすごい勢いで片づけを始める。

「マーサ。それで、ツィルの服をどうしたらいいのか相談したいんだけど」

 台所の扉から顔だけ出して公爵が声をかける。

「服装に関して公爵さまの意見なんか聞いてられません!すぐに店の方に行って準備してもらわないと」

「既製品でいいんじゃないかな?」

「正気ですか?」

 マーサは包丁を持って公爵のほうを向く。 

「国富の公爵のパーティーでしかもツィルお嬢様の社交界デビューですよ?既製品なんてもってのほかです!何より入念な準備がいるでしょうが!」

「そ、そうだね。悪かったよ」

 マーサの凄い剣幕に思わず体を引く。

「公爵さま、パンは焼けてるんでおなか減ってたら食べてください」

 先程までしていた食事の作業をほぼすべて放棄して最低限片づけると、今まで見たことがないような速度でマーサが公爵の横を駆け抜ける。

 小鳥のように目を見開いている公爵の後ろから、何か用事を思い出し様に戻ってきたマーサが声をかける。

「悪いですけど洗い物しておいてください」

 マーサはそれだけ言うと、ツツィーリエのことを大声で呼びながら風のように食堂を飛び出していった。

「…………洗い物ね」

 公爵は尾を引くように聞こえるマーサの声に瞬きをしながら、おとなしく台所に入って炊事場にある小麦粉だらけのまな板や鍋を見つめる。

「ん……ま、マーサがあれだけ急いでるんだし大丈夫でしょ」

 公爵はスポンジをとってゆっくりとではあるが確かな手つきで洗い物をこなしていく。そこに、騒音を聞きつけたラトが入ってきた。

「お、ラトか。おはよう」

 公爵はスポンジ片手にラトに話しかける。

「おはようございます。何をしておいでですか?」

「マーサに頼まれて洗い物をしてるところ」

「……」

 誰が使用人に言われて朝から洗い物をする公爵を想像しただろうか。

「なんでまた。先程マーサが物凄い形相で私の所に来て金庫から200ほど持っていったんですが、何かありましたか?」

「200!?そんなにかかるかな…」

「何があったんですか?」

「いやね、マーサに今度の国富の公爵主催のパーティーに参加する予定なんだけど、何の準備もしてないって言ったら」

「いつものことじゃないですか。公爵さまなら正装をしただけでそこそこ映えますし」

「いや、ツィルも連れて行こうかと思ってるんだ」

 ラトの見事な口髭が凍りついた。固まった体を何とか動かしてラトが口を開く。

「………そのパーティーは確か私の記憶が正しければあと数日で開催される筈なのですが」

「うん。そうだね」

 ラトが体を硬直させたままめまぐるしく頭を回転させていた。

「なるほど。先程のはツィルお嬢様の服を用意するための費用ですか」

「だと思うよ。さっきそういってたし」

「じゃあ、あと300ほど持ってマーサの後を追います」

「そんなに!?500もかかるの?」

「普通は600かかってもおかしくないんです。おそらくマーサが行くとしたらいつものデザイナーの店でしょう。すぐに追わなくては」

「………」

「公爵さま。しばらく私とマーサはお嬢様にかかりっきりになると思いますので、そのつもりで」

 公爵は目を瞬かせて何も言わない。そうしてると、マーサが何かを引きずって走る音と、それを追って走るモヌワの大きな足音が響いてきた。

「まだ出発していなかったのですか」

 ラトが半ば怒ったように音のほうを向くと、年齢を感じさせない走りで台所を飛び出した。と、ラトはすぐに戻ってきて公爵に早口で言葉をかける。

「公爵さまも用事が終わったらいつものデザイナーの所に来てください。なるべく早くですよ。公爵様の服も新しくしつらえないといけませんから」

「私のもかい?私のはいつものでいいよ」

「そうはいきません。いいから、あとで来てくださいよ」

 最後通牒のように指を突き立てると、すぐに台所から飛んで行った。

 残された公爵は泡の付いたスポンジを持ったまま展開についていけず、ただただ呆然としていた。


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