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奴隷の少女は公爵に拾われる  作者: 笑い顔
奴隷の少女は公爵に拾われる 第3章 お目見え
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奴隷の少女は公爵に拾われる 55

「主。ただ今戻りました」

「ご苦労」

 先程国守の公爵の元に使者として派遣されていた肌の色の濃い青年が、開けた水庭の池の縁で膝をついて報告していた。

 巨大な池が庭の8割近くを占める庭だ。その庭には多数の睡蓮が咲いており、色の濃い水と葉の緑の中で淡い桃色の魅力を最大限に引き出している。侍女がその睡蓮の花を集めて、その滴を透明なガラスでできた美しい水入れに落としている。一つの花からそう多くは取れないが、その水入れにはすでに十分に喉を潤すことができる量の液体がたまっている。

 その庭にシンプルな作りのボートを浮かべ、その上に男が乗って使者からの報告を受けている。だが、使者は顔を上げていないためその姿は見えない。

「どうだった?」

 船の上から明るい声が聞こえてきた。王族出身で人の上に立つことが血潮に流れている青年が思わず首を垂れるほど、圧倒的な”上に立つ者”の声だ。

「国守の公爵閣下はこの案件について、今ならすぐにおさめられると―――」

「違う」

「はい?」

 思わず青年は顔を上げそうになってあわてて下げた。

「そんなことは知ってる。この僕が報告したんだ。ボヤで納めるに決まってる。そんなことより、公爵にパーティーへの招待状、渡したんだろ?」

「はい。公爵の手に直接渡しました」

「彼はなんて言ってた?」

「気が向いたらいく、という風におっしゃっていました」

「んん~」

 青年の頭の上から声が聞こえる。船がかなり池のふちに近づいているようだ。

「そろそろ来ると思うんだけどな…」

「パーティー嫌いで有名な国守の公爵閣下がですか?」

「あぁ。彼が嫌っても状況が僕のパーティーに行くことを推奨するのさ」

「主のパーティーに行く理由ができるということですか?」

「あぁ。僕のパーティーは影響力がある。彼が何かを見せびらかすとしたら、僕のパーティーが一番都合が良い」

「見せびらかす……娘ですか」

「正解だ」

 首を垂れる青年の背中に人の足が乗る感覚があり、そのあと一人分の体重を青年が支える。すぐにその重みは地面の方向に移動して、両足で着地する音と共に青年の体は解放される。

「ですが、私が少し水を向けてみても娘と会わせてはもらえませんでしたが」

「大方娘が君に惚れるのが怖いんだろうさ」

「御冗談を」

 使者を務めた男が顔をあげると、そこには目の前に国富の公爵の顔があった。

 それは今まで見たどんなモノよりも美しい顔だった。

 地平線まで広がる草原を思わせる深い深い緑の瞳が青年を貫く。その凄味を感じさせる程透明な眼、キメの細かい肌に健康的な色の赤い唇、その端に首筋をしっかり覆う程長く伸ばされた金髪が無造作にかかっていた。その髪は純金の輝きを精製して鋼の強さと混ぜ合わせた様に芯の通った強い力を感じる。年齢は20代とも40代とも30代とも見えるし、そのどれにしても若すぎるし悟りすぎている。大理石に彫られた究極の美というよりは、生命力にあふれる強い生き物が神から美しさを簒奪したような、轟々と燃える炎の様なエネルギーを称えた美しさだった。

 絹のゆったりとしたシャツを羽織って池から流れる風に当たっている。形の良い耳には黒い錐の付いたピアスをして、風が吹く度に僅かに鈴の音をさせた。

「冗談なんぞ言わん。君は女性を魅了する雰囲気を持ってる」

「それは冗談ではなく厭味に聞こえますね」

「僕が女性を魅了しても、その女性が君に魅了されることだってある。女性の心を一所に留めておくのは難しい」

「主がその気になれば一生を捧げる女性などいくらでもいるでしょうに」

「だろうな」

 腰に手を当て広大な池庭を眺めるその姿は野心に溢れる若き覇王を思わせる。

 この国には二人の公爵がいる。どちらも甲乙つけ難い稀代の人物だが敢えて評するなら、どちらも公爵としての責務を十二分にこなしているにも拘らず、国守は静的に国富は動的に公爵らしくないと言ったのは誰だろうか。

「父親というのは娘を大事にするらしいから。彼も人間だ。若い愛娘を色男にさらわれるのはごめんなんだろ」

「あの公爵がそんなことを思うでしょうか」

「思うさ」

 風が吹いて金の麦畑の様に輝く国富の公爵の髪が広がる。その風に対してしっかりと眼を開けて、自信に満ちた笑いを浮かべる。

 その眼が睡蓮の滴を集めている使用人の女性に向く。

「今日はその程度でいい。こっちに持ってきてくれ」

 人が従いたくなる声だ。その女性は意味もなく顔を真っ赤にしながら睡蓮に溜まった最後の一滴をガラスの瓶に入れ、静々とその瓶を公爵のもとに持ってきた。

「ありがとう。やはり睡蓮の香りの移った清水は芳しい」

 公爵は瓶の口に端整な顔を近づけて香気を吸う。

「君、少し毒見をしてくれないか」

 公爵はそのガラスの瓶を使用人の女性の口に近づける。まだ若いその女性は更に顔を赤くして後ろに下がろうとする。

「毒見しないのかい?なら君が毒を入れたと疑ってしまうよ」

 公爵は使用人を池のふちにゆっくりと追いつめると、その瞳で使用人の眼を覗き込みながら水差しの口を女性の唇にあてる。

「ほら、ゆっくり」

 女性は恥じらいの余り涙目になりながら水差しと公爵の緑の眼を交互に見ると、胸の前で神に祈るように手を組み唾を飲み込んで水差しにゆっくり口をつける。公爵がそっと水差しを傾けると、池の冷気で冷やされた透明な水が使用人の口の中に入り喉を潤す。

 そしていくらか飲み込んだのを確認すると公爵が水差しを脇に投げ、僅かに上を向き眼を閉じていた女性の唇に口付けをした。咄嗟に体を引こうとして池に落ちかける女性を片手で支えると、公爵は女性の口の中に残る水を舐めるように舌を入れていく。女性は驚いたように眼を開くが、すぐにまた眼を閉じて公爵が支える手に身を任せなすがままにされていた。

 公爵が満足するまで水を飲み込むと、そっと口を離す。彼は、眼尻の辺りを赤くさせて恍惚とした表情の使用人の耳元に口を寄せると、自然な笑顔と共に耳元で何かを囁く。女性はその囁かれた言葉にまた顔を真っ赤にすると公爵の方を見て、その顔に見惚れて言おうとした言葉を奪われた。

 公爵は最後に女性の鼻先にキスをして、棒立ちになっている女性を尻目に歩きだす。

「ブィールル。下がっていいよ」

 流れるように声をかけ、自分は池庭を囲む端が見えない程に広大な屋敷の中でもひと際豪華な外観の中心部に向かって悠然と歩きだす。

「はい」

 その光景を慣れた様子で見た青年は立ち上がって一礼すると、邸宅の一角に向かった。


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