奴隷の少女は公爵に拾われる 47
眼が覚めると少し遠くに石の天井が厳と存在していた。体を動かそうとしても、何かに強く抱きしめられたかのように動かない。動く首だけを動かして横を見ると自分の部屋の大きな窓だった。朱果の大きな木が朝日に照らされて小さく揺れていた。朝日がその朱果の葉越しに部屋を照らしていく。その光の一筋がツツィーリエの眼を射し、思わず反対側を見る。
「ツィルお嬢様。起きました?」
線の細い茶色い髪の少女だが、ベッドの端を掴みながらこっちを見ていた。少し日焼けした少女の顔にはほんの少しだけそばかすが目立ち始めていた。その顔には心配そうな表情が浮かびツツィーリエを見つめていた。
その問いに対して一回頷くと、その少女が嬉しそうに笑う。
「良かった~。お嬢様が退屈するだろうから、ってお母さんに聞いて来てみたらツィルお嬢様、ベッドに縛られてるんですもん。何があったのかと思いましたよ」
そう言われて首を自分の体の方に向けると、布団越しにではあるが丈夫そうな紐でぐるぐる巻きにされているのが見えた。ツツィーリエの体が動かないのはそれが原因だろう。もぞもぞと体を動かして脱出を試みるが、かなりしっかり結ばれているらしくどうにも体が動かせない。
ツツィーリエは、傍らにいる少女の方を見つめる。
「どうしたんですか?」
紐の方に視線を送って、もう一度少女の方を見た。
「これ外して欲しいんですか?」
大きく頷く。
「だめですよ。公爵様から、しばらくこの部屋から出ないようにとしっかり言い付けられています。……そんな不満そうな顔しないでくださいよ」
ツツィーリエはじっと少女を見つめるだけで、何か反応を示したようには見えなかった。
「後、本読むのも禁止だそうです。文字を呼んじゃ駄目って言ってましたね」
その言葉にツツィーリエの眼が大きく見開かれる。
「何やったんですか?」
もぞもぞと体を動かしてみるが、何一つとして状況は変わらなかった。
「あ、そうだ。お母さん呼んできますね。ツィルお嬢様が起きた時のためにご飯作ってくれてますよ」
少女は弾けるように立ち上がると、軽い足音で部屋を走り去っていった。
部屋の中には驚くくらい簡単に静寂が訪れた。積まれていた本もいつの間にか用意されている本棚の中に納められ、脱ぎっぱなしにしてあった衣服の類も全部棚に戻されていた。石の壁は無言の問いに反応する訳もなく、普段ならこの部屋の主がいるときに聞こえる紙をめくる音も聞こえない。ただ鼻を空気が通過する音だけだ。妙に規則正しいその音を寡黙な石の天井を見つめながらずっと聞いていた。体を拘束されるのはいつ以来だろうかと意識が勝手に昔の自分に焦点を当てていく。
が、その思想が深みにはまる前に数人分の足音が聞こえてきた。一人の足音は非常に軽くてテンポが速く、その足音を掻き消すくらいの巨大な足音は巨人が走っているのではないかと思わせた。
「お嬢!!」
体当たりしたのではないかというくらいに木製のドアが軋み、勢い良く開いた。部屋が小さく見えるくらいの巨体がまず最初に目が付く特徴だ。錆びた血の色の髪を短く刈り込み、体中の筋肉は敵を砕くために鍛えられた事を強く窺わせる暴力的な膨らみを示していた。胸部の膨らみと顔の造作からその戦士が女性であることが辛うじて分かる。着る者を締め付けないようにゆったりとした作りになっている筈のシャツははち切れる寸前で辛うじて堪えているといった状態で、下のズボンも似たような状況だ。脛には革製の脛当てをつけ、足にはこちらも皮で出来た丈夫なブーツを履いていた。
その女性の顔は、眼を開いているツツィーリエを見た瞬間に安堵のため破顔した。
「良かった。眼が覚めないかと思いましたよ」
その巨躯が壊れ物でも扱うように慎重にツツィーリエの方に近づいてくる。
「モヌワさん大げさ」
その後ろからやっと追い付いてきたミーナが、一つお皿を持ってやってきた。
「お嬢が寝てからこれで2回目の朝だぞ」
「寝息はずっとしてたじゃん」
「意識が戻るかどうかわからんじゃないか」
モヌワは体を大きく動かして心配していた事を表現する。
「こんなに小さい体なんだぞ?どこかの部品がずれて動かなくなりそうで」
その動きを見てミーナは軽く溜息をつく。
「機械じゃないんだから。馬鹿なこと言ってないでツィルお嬢様の体を起してよ」
ミーナが持ってきた皿の中には白い、蜜で光る果物が乗っていた。
「お母さんがすぐに持って行くからこれ食べておいてって」
ツツィーリエが見た事のない果物だ。モヌワの指くらいの大きさで、どことなく癖のある甘い匂いがツツィーリエの鼻孔を震わせる。既に皮は剥かれているのか、朝日に照らされたその果物から果汁が溢れ出て部屋一面に甘い臭いが広がって行った。
「白甘露果って言うんですって。この国に流れて来るのは珍しいそうなんですけど、お母さんが偶然見つけて買ってきたみたい」
ミーナが皿をツツィーリエの方に近づける。モヌワはツツィーリエの紐の束縛を緩めると、大事な人形を扱うように慎重にツツィーリエの体を起してやる。
ツツィーリエは解放感から肩を回しながら深呼吸をする。そして、布団の中から手を出す。
「あ、お嬢。その手袋は公爵が付けたもんだ」
その小さな手には、絹の光沢を持った手袋が誂えたかのようにぴったりと張り付いていた。どことなく灰色がかっている所が、見る者に公爵の手がかかっているということを匂わせる。
「お嬢。あんまり手を使うな。しばらく魔法も使ったらだめだ」
モヌワがツツィーリエの腕を掴んで布団の中に押し戻す。手袋を見つめていたツツィーリエの視線がモヌワの金色の目を射抜く。
「そんな眼で見ても駄目だ。お嬢が壊れたら私は泣くぞ?」
モヌワはミーナから器を受け取ると、一つ果物を取って主の口の所に持って行く。
「はい、お嬢」
口元に持って来られると、頭がくらくらしそうなほどの甘い臭いが更にきつくなる。勝手にツツィーリエの口から唾液が分泌されていく。迷わずツツィーリエは寄せられた果物を銜えこむ。それを一口で自分の口の中に入れるとゆっくりと咀嚼する。全く抵抗なく噛み切られた甘露果は中から喉を潤す程の果汁を噴きだし、ツィルの喉を鳴らしていった。
「お嬢、美味しいか?白甘露果は体力増強に良いんだがこのにおいがきついって嫌うやつもいるんだ」
少し心配そうにのぞきこむモヌワの大きな顔を見ると、小鳥のように口を開ける。
「気にいったんなら良かった」
モヌワは嬉しそうにしながらもう一つツツィーリエの口の中に果実を入れる。
「モヌワさんばっかりずるい。私もツィルお嬢様に食べさせたい!」
ミーナがベッドの上に体を乗せて、モヌワが持つ器から果実を一つ取る。
「はい、ツィル様。あーん」
間髪いれずにツツィーリエは指ごと果実を銜える。
「やーん、ツィルお嬢様可愛い!」
「お嬢に向かって何という口のきき方だ!」
「可愛くないっていうの?」
「そんなわけないだろうが!」
モヌワが怒鳴るようにしながらツィルの口にせっせと果物を入れていく。ミーナも面白そうにツツィーリエに果実を出していく。
「あ、もう無くなっちゃった」
器の上に半分ほどあった白甘露果はあっという間になくなった。ツツィーリエは口の中に残った果実をゆっくりと噛み締めながら余韻を楽しんでいる。
「お母さん、まだかな」
ミーナが服の裾で指を拭く。
「ん?足音がするからそろそろだろ」
「足音する?」
「する」
モヌワが自信たっぷりに胸を張る。
「良かったですね。ツィルお嬢様が寝ていらした分も食べていただくって、お母さん張り切っていたからたくさん来ますよ」
ツツィーリエが何回も頷く。そのうち、モヌワの言うとおり石の廊下に響く足音が聞こえてきた。
「ミーナ。手伝ってちょうだい!」
その足音の主からきびきびとした声が発せられるのを聞いた。
「はーい」
ミーナがツツィーリエのベッドの上から降りると、部屋の外に駆けていく。
「お嬢。たくさん食べてゆっくり寝るんだ」
ツツィーリエは布団の中から手を出して手話でモヌワに尋ねる。
『お父さんは?』
「やることがあるって言ってたぞ。しばらく戻って来ない。でも、お嬢が見つけた情報のおかげでやることが決まったみたいだ」
更に尋ねようとするツツィーリエの腕をゆっくり押さえると、またもや布団の中に戻した。
「あんまり頭使わせないようにと、公爵から言われている。しっかり食べる事に集中してくれ、お嬢」
モヌワがしっかりとツィルの眼を見て言った。
「はーい、お待たせしましたよ!」
大きなお盆に乗せられるだけ乗せた様な大量の食糧が、マーサによって運ばれてきた。
「お嬢様がちゃんと目を覚ましたんで、作ったものが無駄にならずに済みそうです。一杯作ったからモヌワさんも食べてちょうだい。足りなかったらもっと作るから」
恰幅の良い体格に白いエプロンをつけたマーサは手近の台にそのお盆を載せると、忙しそうに部屋の出口に戻る。
「まだまだあるからね。とりあえず、もう一つ持ってきますよ」
少し遅れてミーナも幾つかお椀を持ってやってきた。
「ミーナ、手伝ってちょうだい」
ミーナはハーイと返事をしながらツツィーリエの近くにお椀を置く。小さくちぎられた魚介がたくさん浮かんで湯気と共にその匂いを浮かび上がらせる粥だった。果物の臭いを掻き消す程の食事の匂いが小さな部屋を飲み込んで行った。
「ツィルお嬢様、お母さんと一緒にまた持ってくるから先に食べてね」
大きな匙をその粥の中に入れると、母親に付いて部屋を出る。
「はい。お嬢様。何から食べますか」
モヌワは大量の食事を手で紹介するようにしながら、頭をからっぽにして食事を見つめているツツィーリエに尋ねた。




