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奴隷の少女は公爵に拾われる  作者: 笑い顔
奴隷の少女は公爵に拾われる 第2章 黒、銀、茶、赤
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奴隷の少女は公爵に拾われる 45

 医務室を一時的な執務室にしたため最初のほうは消毒薬の匂いがしたものだが、その匂いは今やインクの匂いにすっかり負けている。大量の書類はあるが、散乱しておらず決められた位置に行儀よく積まれている。ベッドは部屋の隅に寄せられそこに置かれた台の上に書類が積まれている。

公爵は書類仕事が一段落したのか、肩を解しながら椅子の上で伸びをしていた。脇に控えていたラトもさすがに疲れの色を隠せない。丸三日書類と情報の山と格闘していたのだ。普段は粛然と整えられた燕尾服は椅子の背にかけられ、白いシャツはまともに着替えられないまま癖がついている。

「ラト。先に寝ておいで」

「公爵様がお休みになっていないのに私が休むことはできません。何かありましたら私が起こします。公爵様が先に寝てください」

 口髭の蓄えられた口元をきりっと引き締めしっかりとした口調で拒否する。

「ラトのほうが年寄りなんだから」

「公爵様のほうが業務量が多かったように思います」

 頑なにラトは先に休むことを良しとしない。

「何かあるとしましたら今日、もしくは近日中にございます。その時に公爵様が疲れで倒れるなんてことがありましたら目も当てられません。私なら心配していただかなくても大丈夫ですので、先にお休みください」

 部屋の隅のベッドを軽く整えながら、ラトが椅子の上で休もうとする公爵のほうを見る。

「間違っても椅子の上で寝るなんてことはなさらないでください」

「分かったよ」

 公爵は少し皺の目立つ顔に苦笑を浮かべて、年寄りじみた掛け声とともに椅子から立ち上がる。

「年は取りたくないもんだね」

「年を取って見えるものもございます」

「眼は悪くなるけどね」

 冗談めかして目尻を押さえると、ラトが整えたベッドの上に横になる。

「軽く寝るだけにするから、適当に起こして」

「かしこまりました」

「その後はラトも休むんだ」

「…かしこまりました」

 ラトが軽く一礼すると、公爵は谷底に落ちるように一瞬で眠りに落ちる。それを確認してから、ラトは部屋にある書類を軽く見直す作業に移る。白い口髭を少し動かして、目を細めながら手に取った書類を写真を見るように淀みなく確認していく。

 その紙をめくる音だけのする静かな部屋を、ドアを勢い良く開く騒々しい音が切り裂いた。

「モヌワさん。公爵様がお休み中です。静かにしてください」

 ラトは少しだけ怒りの声色を含ませた声で静かに叱責する。

「申し訳ない。公爵さまは…寝てんのか。じゃあ、ラトさんでいいや。すぐに来てくれ」

 モヌワが困り果てたような表情でドアから顔を出していた。見ると、その顔にはいくつかの紙片がへばりついて、汗がにじんでいる。

「どうしたんですか?」

 ラトはその様子を見て、手の書類をもとの場所に移す。

「お嬢が執務室で、こう………」

 モヌワは大きく手を広げて何かを表現しようとしている。が、なかなか伝えきれていない。それをモヌワ自身も承知しているのだろう。もどかしい表情で地団太を踏む。

「執務室ですね。わかりました。行きます」

 ラトが椅子に掛けられた燕尾服を取ると、疲れて少し淀んでいた眼をきりっとさせて颯爽と医務室の扉の方に向かう。

「すまない。私ではどうにもしようがなくて」

「お嬢様の身に何かあったのですか?」

 モヌワの大きい歩幅に合わせた速足で執務室に向かいながら、ラトがモヌワに質問をする。

「たぶんずっと続けたら頭パンクすると思う。でも近づことしたらこっちを睨むから私じゃあ近づけなくて…」

 モヌワがラトよりもはるかに大きい体をしゅんとしぼませる。

「何をやってるんですかね」

 ラトの目が思案気に細まりながら、足音の大きく響く静かな廊下を抜ける。そして、執務室が近づくにつれ何かバサバサと大きな翼がはばたく音がしてきた。かなり大きな音だ。

「この音はお嬢様ですか?」

「そうなんだ」

 モヌワの顔に困ったような表情が蘇ってくる。ラトの歩みが速くなる。ほとんど走りながらモヌワに尋ねる。

「これは扉を開けて大丈夫ですか?」

「大丈夫だと思う。私は出て来れた」

 モヌワがラトを追い越して公爵の執務室の大きな扉に滑り寄ると、両手で思いっきり大きく扉を開いた。

 執務室が白い竜巻で埋め尽くされていた。翼の羽ばたく音は数えきれないほどの書類が竜巻のように回転しながら物凄い勢いで部屋中を飛び回っている音だった。よく見ると書類の文字は部屋の中央に常に向いて、その表面を鋭い赤い線のような光が滑るようにその書類をなぞっていた。そして書類の上の文字が時折赤い光に反応して浮かび上がって部屋の中央に吸い込まれて行っているのが確認できる。

 竜巻の中心にいたのは、宝玉のように爛々と輝く赤い目を見開いて竜巻の風に長い黒髪を巻き上げらる少女だった。少女の小さな手の平からは彼女の目の色と同じ鮮やかな赤い色の燐光がひっきりなしに湧き出して、少女の手の動きに合わせて滑り出し文字のあたりで踊っていた。その光が刈り取ってきた文字は少女の掌に吸い込まれると、すぐに少しだけ薄くなって吐き出され、元の書類のほうに戻っていった。

「なんですか、これ」

 呆然と天井まで舞い上がる竜巻を見上げながら呟く。

「最初はこっちの部屋に持ってきた書類を読んでるだけだったんだ。でも、量が多くて読み切れない、って伝えてきて……」

「いつからやってるんですか」

「昨日の太陽が沈んでからずっと…」

「この親子は睡眠をなんだと思ってるんですかね、まったく」

 ラトは竜巻のほうに近づいてく。

「お嬢様。何をなさっているのですか」

 少しだけ厳しい声でラトが少女に話しかける。少女はその方向をちらっと見ると、表情一つ変えず燐光を踊り子は広袖を流すように靡かせて腕を振った。竜巻の中から、数枚の書類がラトのほうに滑り飛んできた。

 ラトはその書類を瞬時に確認する。

 数回それを確認すると、ラトの声と表情が硬くなる。

「お嬢様。これの関連文章が6枚あったはずです。見せてもらえますか」

 すぐに応じたとおりの書類が飛んできた。ラトはそれに関してもあっという間に確認し終えると即座に次の書類を要求し、その作業が数回繰り返される。

「これは………まずいですね」

 ラトの呟く声と少女の舞が終わるのはほぼ同時だった。書類が滑るように元々いた執務室の床の上に戻っていき、赤い光は霧散して跡形もなく消えた。中心の少女はゆっくりと腕を落とし、髪が巻き上げられた状態から下ろした状態にふわりと落ち着く。

 少女の目は依然開いているが、先程までの恐ろしいまでの爛々とした輝きはなくなり、少し焦点がずれているように見える。

「お嬢様?」

 ラトは書類を手に少女のほうに声をかける。少女はその声に応じて頭を振ると、ラトのほうに近寄って、手話でラトに伝える。

「えぇ。わかっています。すぐに公爵様に伝えます」

 ラトは踵を返して執務室の扉の方に向かう。

「ツィル」

 その扉の前に、少し眠たげに灰色の眼を細めた公爵が立っていた。

「公爵様」

 ラトがその公爵の方に書類を差し出す。公爵が無言で書類のほうに指を向けくるっと回転させると、十枚を超える書類がラトの手を離れ壁のように公爵の視界のもとで静止する。

 その書類を確認すると、その書類は公爵の手元に飛んでくる。

「あぁ、まずいね」

 頭を掻いて顔をしかめる。

「なにがどうしたんだ?」

 モヌワが公爵とラトのほうに詰め寄る。

「伯爵のやろうとしていることがわかったんですよ」

「3の侯爵に薬を盛るんだろ?」

 ラトが困ったように口を曲げる。

「おそらく伯爵は、3の侯爵自身ではなく3の侯爵の直営店の責任者の半分近くを麻薬中毒者に仕立てるつもりのようです」

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