奴隷の少女は公爵に拾われる 40
侯爵分隊の隊列に守られるような形で公爵とツツィーリエ、モヌワが歩いていた。隊列の歩みは颯爽と堂々としているが真夜中であるがゆえにその足音は非常によく舗装された道と脇の家並みに響く。
『お父さん』
ツツィーリエは指を動かして公爵に話しかける。
『さっきの話の続きかい?』
ツツィーリエが頷く。
『彼らの態度の話だったね』
公爵のツツィーリエの視線が周囲の兵士達に向かう。彼らの表情には自信と誇りが満ちており、真夜中に無視できない程の騒音をたてて住民たちの怒りを買う事など全く意に介していない様子だ。
『治安維持といってもいろんな仕事がある』
例えば、と公爵の指が蠢く。
『市民を助ける治安維持と、市民を弾圧する治安維持とがある。どちらも治安を乱すものを排除するのが目的だけどね』
『市民が治安を乱す時があるの?』
『それはもちろん。むしろ政府が一番恐れているのは市民による現政権への蜂起だ』
ツツィーリエはゆっくりと頭の中で咀嚼するように数回ゆっくり頷いた。
『男爵たちは、主に前者。治安維持官だ。犯罪者の取り締まりが主業務で、侯爵は後者。正式には治安維持兵と呼ばれている。興奮した市民の鎮圧が主業務になるね。ここ数十年はそんなことないから、最低限の人手は残して国境警備のほうに回ってもらったりしてるけど』
『今いる人たちは、その残っている人たち?』
『そうだよ。彼らは訓練を通じて、自分たちこそ正義という思想を持つ。業務の性質上それはしょうがない。だから、自分たちの行動を制限しようとする者たちをすぐに排除しようとする。非常に厄介な思想だね。有事の際には役に立つから良いんだけど』
『男爵たちは?』
『市民の生活を守ることが正義、という考えだろうね。治安維持兵の方が訓練自体は厳しいからより凝り固まった思想を持つものが増えていく。治安維持官はそういう意味では柔軟な思考を持つね』
『それが、さっきの態度の違いに現れるの?』
『そういうこと』
「お嬢、公爵さんと何話してるんですか?」
モヌワが二人の会話に入り込む。モヌワは基本的な手話自体はわかるが、先程まで公爵とツツィーリエがやっていたような簡略暗号化されてより複雑になった手話はまだまったくわからない。
「勉強だよ」
「お嬢は本当に勉強好きですね。私なんかは部屋の中に閉じこもってるとすぐに頭が痛くなるんですが」
『この前も私が本読んでたら冷や汗出てたものね』
ツツィーリエが簡単な手話でモヌワに意思を伝える。
「日の出から日の入りまで本読んで、やっと立ち上がったかと思えばランプ付けに行ってまた本読んでるんですから。狂ってしまうかと思いましたよ」
『そんなにしんどい?』
「それはもう」
公爵は二人のやり取りをほほ笑みながら見ていたが、やがて口を開いた。
「確かにあまり閉じこもりすぎても良くない。体力がなくなると何かと不便だ。これからはなるべく外に出たりしようか」
モヌワのほうをちらっと見る。
「頼りになる護衛もいるわけだし」
「任せてください!」
『でも、まだモヌワは1の伯爵の傭兵としての契約を破棄していないでしょ?』
ツツィーリエは暗号化された方の手話を髪を掻き上げるようなしぐさに隠して公爵に伝える。
『まぁ、おいおいだね。今伯爵の所に行くわけもにもいかないし、伯爵の所から正式に何か動きがあったら私とモヌワが直接出向いて契約を破棄する書類にサインしてくるよ』
公爵もモヌワの視線から外れたところにさりげなく立って手話を返す。
「公爵閣下。もうそろそろで到着いたします」
「ありがとう。彼と交渉するにあたって良い場所とかあるかな」
「地下牢に用意を整えております」
「それは良い。私とツィルとモヌワとあと数人。屈強なのが入っても大丈夫かな?」
その言葉に分隊長が少しためらうような表情を見せる。
「広さは十分ですが……」
「なんだい?何か問題があるのかな」
「いえ、交渉する姿を女性に見せるのはいかがなものかと」
「モヌワとツィルのことかい?」
「はい。そっちのでかいのも一応女性ですし」
「でかいのとはなんだ、一応とはなんだコラ」
「公爵閣下の娘は、さらにまだ年端もいかない少女です。交渉はかなり荒っぽくなりますし、あまり女性が見て気持ちの良いものではないかと」
「それには私も同感だ」
モヌワが公爵の方を覗き込見ながら口を出す。
「お嬢に拷問するのを見せるのは反対だ」
「拷問とは決まってないだろ?一応交渉だ」
「でも拷問するんだろ」
「まぁね」
「なら反対だ」
公爵は息を吐いてから肩をすくめる。
「こういった事もいずれしなければいけないし、そのために慣れておく必要がある。それにツィルはそういう血なまぐさいものを見ても別に動じないよ」
「なんでそう言い切れる」
「血まみれの状態を見せた君が言うのかい?モヌワ」
うっ、とモヌワが唇をかむ。
「ツィル、いいだろ?」
ツツィーリエは別に路傍の石ころを蹴るような気軽さで頷く。
『そういうのには慣れてる』
手話を理解しない分隊長とモヌワは首をかしげて、公爵はツツィーリエの頭をなでる。
「まぁ、自分たちがそういう目に合う可能性もあるからね。心の準備もしておかないと」
侯爵分隊一行はそのまままっすぐ進み、市外から少し離れたところにある、大きな仰々しい建物の前にたどり着いた。




