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奴隷の少女は公爵に拾われる  作者: 笑い顔
奴隷の少女は公爵に拾われる 第2章 黒、銀、茶、赤
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奴隷の少女は公爵に拾われる 36

 炭がぶすぶすと不満げな燃え方をしている音と、何かが緩慢に流れる不快な粘り気のある音が響く。炭の微かな明かりと木の塀が夜闇の色を不吉な茶色い色に染めている。地面は淀んだ水気をたたえた土で、その上を歩けば何かをつぶした様な不快な感触と音を響かせる。すぐ近くにどぶ川が流れているらしく腐った水の匂いがした。痩せた鼠が湿った何かを加えて焚いている炭の近くを走り去り、また闇の中へと消えていった。

 その闇の中で、鼠以外にうごめく動物の気配があった。あまり炭の近くにはいかないが、光の縁の部分で薄い布に包まってもぞもぞと動いている。一つではない。川沿いの塀に同じような影が数十体。地面の硬さや空気の悪さにも慣れきった住人達の中の、夜の闇を避けたがる者がその場で鬱々とした眠りを得ようとしている姿だ。ほとんどの人間が顔すら見せず布の中の世界に閉じこもり、闇に自分の顔を晒すのを恐れている。自分以外の周囲にほとんど興味を示さず、ひたすらドロドロとした生を享受していた。

「ここはいつ来ても胸が悪くなるな」

「おいおい、あまり声を出すな。周りに聞こえるぞ」

「聞こえても何にもしねぇだろうが、こいつらは」

「どうだか分からないぞ」

「今まで何回ここで取引してると思ってんだ。国守に言う気のあるやつがいればとっくの昔に俺たちは牢獄の中だって」

「まぁ、そうだけどよ」

 その不潔な闇の中、一応周囲と同じような薄汚れた布に体を包んでいるが、顔を出して会話をしている人間がいた。二人とも周囲を一応警戒はしているが、緊張感はなくすでに周りを見るのがただの作業に成り下がっているようだ。

「いつもの物、持ってきたか」

「あぁ。持ってきた」

 さすがに小声で喋るが、人の声が全く無いこの空間では例え微かな声であっても周囲に丸聞こえだ。

「渡せ」

「金が先だ」

 舌打ちをする音がやけに大きく響き、続いてのろのろと布を巻いたからだがもう一人のほうに近づいていく。そして周囲に見られないように布をくっつけると、その中で何かが手渡されたような布の動き方をする。

「…確かに」

 受け取ったほうは布の中を見てそれを確認すると、同じように布を付けてその中越しに何かを渡す。

「濃い結晶だ。そのまま口に入れたら天国から帰ってこれなくなるぜ」

「濃かろうか薄かろうが、自分でこれをやる気にはなれないね」

 受け取った方はその中身を確認すると、手早く自分の懐にしまう。

「じゃあ今日はこれで終わりだ。また品物がほしくなったらいつもの所に連絡する」

「毎度どうも」

 二人の人間が布に体をくるめたままその場を離れようとした。


 その二人の周囲をさっきまで無秩序に転がっていた覇気のない人間たちが囲んでいた。


 彼らの形相はまったく覇気がなく、まったく何かの使命感に駆られているわけでもないが、ただひたすら薄暗い意志だけが体中から漏れ出していた。


「な、なんだ!てめぇらぶっ殺されてぇか!」

 二人の人間のうちの一人が布をバッと取り払い腰に下げた剣を抜く。もう一人のほうはその様子を油断のない目で見ながら、周囲の人垣の中に穴がないかどうかを確認している。

「………っ……ろ……」

「あ?なんだ、ぼそぼそ言ってたって聞こえねぇよ、屑が!」

 周囲の異様な雰囲気に恐怖で飲まれないよう大声で威圧している。もう一人の方も人垣が異様な密度であることに冷や汗を隠せない。

「それ、薬だろ」

 人垣の中から泥のような低い声が聞こえてくる。

「貴様ら屑には関係ねぇよ!どうせこれを買う金もないんだろうが!」

 剣を声が聞こえた方向に向け、一歩でも近寄ってきたら殺しかねないほどの危うさで叫ぶ。だが、その危険さに気づいていないのか、全く意に介していないのか、また違う方向から不思議なくらいに通った声が聞こえてくる。

「なぜここで取引する」

「関係ないって言ってんだろうが、殺されてぇのか!」

「ここで取引するな」

「指図してんじゃねぇ!」

「ここで取引してたから」

「こんなところで取引したから」

「目を付けられたから」

「薬を持っているから」

「ここに持ってきたから」

「国守が来るじゃないか」

 地の底から呪詛の言葉でも浴びせるかのように深い泥の様な声色で二人の人間へ声がかけられる。剣を持った男が思わず後ずさると、その後頭部に思いっきり木の棒が叩きつけられる。星が散った視界で剣を振るおうと振り返ると、また後ろから木の棒で殴られる。それが数回繰り返され、剣を持った男は濡れた地面に倒れた。

「お、お、お前ら!金をやる!金をやるから!見逃してくれ!」

 予想だにしていなかった抵抗と、周囲の雰囲気に飲みこまれてしまった男は懐から大きな袋を取り出して金をつかんで周囲に見せた。

 だが、周りの人垣はまったくそれに興味を示さず、倒れた男を踏みながら最後の人間を囲んでいく。

 その人と思えないほど希望を移さない汚れた目を見た人間は恐怖から思わず叫び声を上げた。

「誰か、誰か、助けてくれ!」

「はい、そこまで」

 その人垣の動きが止まる。

「国守の者です」

 人垣の向こう側から、脂っ気のない声が聞こえてきた。その言葉に、人垣の視線が一転に集中する。

「そこにいる二人を、私たちに引き渡してくれないか」

 人垣が一気におびえた表情の男を向く。その一糸乱れぬ動きに中の男はもう一度叫び声を上げる。

 そのまま、人垣は動くことなくただ見つめていた。

「君たちの生活を荒らすつもりはないよ」

 湿った不潔な空間に向けられたその言葉を受け取った瞬間に、おびえている男の腕や脚、体が布から伸びる細い腕に力いっぱいつかまれる。とっさに振り払おうとするが、数十本の腕は瞬く間に男の自由を奪い泥の生活を脅かすものを外に排斥する。それを追って意識を失った男も荷物のように投げ出される。

 地面に投げ指された男が見たのは、どこから湧いたのかと思うほど地面が見えないほどの蠢きが淀んだ光で自分の方を見ている光景だった。

 三度目の恐怖の叫びをあげようとしたところで、その口に布が噛まされた。

「ぁがっ!?」

「はい、捕縛完了」

 次の瞬間には後ろ手に縄で縛られた感覚があり、戸惑いのうちに足も縛られた。意識を失っている取引相手も同じような目に合っていた。

「お騒がせしたね。約束通り私はここにしばらくかかわらないから」

 その声を聴いたかどうかわからないが、薄暗い蠢きは先程の事件などなかったかのように散っていき、不十分な睡眠を享受する作業に移っていった。

「さて」

 二人を捕縛した男は後ろを向いて声を発する。

「男爵君。二人捕まえたよ。片方担いでおくれ」

「閣下。流石に単独での行動はいかがなものかと思います」

 物陰に隠れていたのは、赤い帽子に赤いマント。きらきらした目が、見る者に好感を持たせる青年だった。腰には実用的でありながらも装飾の美しい剣を差し、蠢く人影と捕えられた二人の方に警戒を怠らない。

「君ではここの人間が警戒しすぎるからね。それに久々に外の任務なんだから私にも働かせておくれ」

「御令嬢の教育が終わるまでは外の任務を控えるのではなかったのですか?」

「そうも言ってられない。正直人手が足りてないだろ?」

「そうなんですが…」

「周辺の治安維持官を動員する手続きを取ってるからもう少し待っておくれ」

 喋っている壮年の男は、闇の中で割と目立つ銀髪に白髪が交じっている。どちらかというと先程闇の中にいた人間達に近い覇気の無さがあるが、それよりも遥かに人生を達観した、仙人のような印象を与える。

「1の侯爵の部隊も動員しても人手が足りないとは…普段の鍛錬不足を謗られても文句は言えません」

「まァ、無理でしょ。1の侯爵の部隊は基本的に荒事向きの訓練してるから、こういう細かい作業には向かないさ。彼らもそのうち慣れるし、そうなればもっと楽になるさ」

「とは言いましても」

「それに今の所は全体的に先手が取れてる状態だし」

「それもいつまでもつでしょうか。正直不安です」

「今考えてもしょうがないだろ。薬の出回ってる経路の解析は進んでいるかい?」

「はい。公爵の睨んだ通り、現在は2つの薬が主に出回っているようです。そのうちの一つは従来通り途中まで足取りを探ると途端に分かりづらくなっていますが、もう一つは3の侯爵に繋がっています」

「うん。もっと詳しく調査してみてくれ」

「かしこまりました」

「……本当に3の侯爵が薬を撒いてる可能性も否定できないしね」

「閣下、何かおっしゃられましたか?」

「一人ごとだよ。あと、その事に関して確かな確証が得られたと私が判断するまでは他言無用だからね」

「もちろんです。麻薬の売買といった不名誉な案件に関して間違っても冤罪などあってはなりません」

「そうだね」

 人を担いで歩いて行くうちに大きな通りに出る。その通りには既に数人の兵士が待機して、二人の姿を確認した途端に礼儀正しい敬礼をする。

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