奴隷の少女は公爵に拾われる 33
使者の周りで虎が悠然と歩いている。
「伯爵は君に何を伝えるように言ったのかな?君の様に優秀な人間をわざわざよこしたのには理由があるだろ?」
あからさまな褒め言葉に使者の頬がだらしなく緩む。焦点のあっていない瞳をしたままその質問に答える。
「伯爵は俺に、公爵にモヌワが保護されているか、意識があって公爵にモヌワが知ったことを喋っているかどうかを探れと言ってきた」
「もし喋っていそうだと判断したらどうするんだい?」
「伯爵の計画を少し変更して、より複雑になるだろうと言っていた」
「その計画は――」
と、公爵がより深い所を聞こうとした途端虎の体が砂絵に吹いた風のように輪郭が薄れ始め、使者の周りの宵闇も揺らぎが発生する。
「―――聞くつもりはないよ。私は、君へ伯爵が言ったことを知りたいだけだ。文章では無くて君の様な優秀な密偵に伝言を託したのはなぜか、君に伯爵は言ったかい?」
虎の姿が揺らいだ瞬間使者の眼に光が戻りかけるが、また眼の光が意識の奥に沈んで行く。虎の姿も鮮明さを取り戻す。
「状況に応じて伝える伝言を変えるように言っていた。最初に言った言葉に対して怒りを示すようなら麻薬事業拡大をちらつかせて脅し、何も反応しなければその話を早々に切り上げてモヌワが公爵邸にいるかどうかを探るようにと」
「脅す?そう……」
公爵は少し考えるように視線を下げる。
「それ以外のこと、例えばモヌワに対して何かをするつもりだとかいうことについて何か言っていたかい?」
「何も言っていなかった」
「そうかい」
公爵は再度使者に指を向ける。
「君は使者としての当然の業務を果たしただけだ。君は何一つその業務から外れたことをしていない。そうだね」
「はい」
「君が何をしゃべったか覚えているかい?」
「伯爵の麻薬に関連する業務に対して公爵の反応を見た、ということ。あとは喋る内容は状況に応じて変えるつもりだったということ」
「おやおや、後半は本来言ってはいけないのではないかい?言ってはいけないことを君が言うとは思えない」
「そうだ。これは公爵に言ってはいけないことだ」
「なら君が言うはずがない。そうだろ?」
「そうだ。言っていない」
「君はつつがなく使者としての役割を終わらせ、問題なく終了したことを伯爵に伝えられる」
「そうだ」
「少し疲れているかもしれないが、公爵に会ったんだからそれは当然だ」
「そうだ」
使者の方を見ながらゆっくりと歩いていた虎が使者に興味を失ったように公爵のほうに歩み寄ってくる。そして目を閉じて自らの額を伸ばされた公爵の指に押し当てた。当たっている場所を中心に虎を構成していた粒子が拘束力を失って粉の中に風が吹いたように散らされると、公爵の指先に集まってゆっくりと公爵のもとに帰っていく。虎は自分の体がほぐれていくことを全く意に介さないように、公爵の指で自らの体を掻く素振りすら見せた。公爵の周辺に漂っている粒子は一つの大きな流れに乗って規則正しく公爵の指の中に吸い込まれていった。
使者の周りの薄闇もそれに応じて徐々に薄れて、医務室の中に通常の光が戻ってきた。
公爵は何かを確認するように医務室全体に指を向けると、自分の椅子に腰かける。
「では、私が言ったことを伯爵君に伝えておくれ」
と、今までのことがなかったように公爵が黒いマントの使者に声をかける。その言葉を契機にパッと目を覚ましたように使者の目に光が戻る。
「必ずやお伝えします」
使者のほうはまったく先程のことを覚えていないように隙のない動きで立ち上がると、恭しく一礼して医務室から出て行った。
使者がゆっくりと扉を閉める音がして、医務室の中にいる人間は三人になった。
「………もうしゃべってもいいよ」
「今のは何をしたんだ」
モヌワは公爵と、公爵の虎の紋を交互に見ながら詰問するかのように尋ねる。
「普通より深いことを聞いただけだよ」
公爵は紋章を自分の胸元に戻しながら答える。
「そんなことできるのか?」
「喋っても良いことの延長線上にあって、でもしゃべろうとはしない、というようなことは聞き出せる。でも相手が本当に隠したいと思っていることは聞き出せない。それを証拠に伯爵の計画について聞こうとした途端に相手の心が閉ざされそうになった」
『聞きたい情報はあれだけでよかったの?』
ツツィーリエが公爵に尋ねる。
「あれだけでいいよ」
『具体的なところを何も聞いてないよ?』
「あれ以上具体的な情報をあの方法では聞き出せないし、詳細な情報を使者が持っているとは思えない。それに欲しい情報は十分だ」
『どんなこと?』
「どんなことだと思う?」
ツツィーリエが目を細め、何を言っていたのかを思い出すように考え込んだ。公爵はそれを見ながら、医務室の扉の方に向かう。ちょうどそのタイミングで医務室の外から扉が開く。
「公爵様。何かご用ですか?」
「ラト、ちょうどよかった。1の男爵を呼んできてくれ」
「かしこまりました」
「もしかしたら1の侯爵君も使うかも」
「大きな事件ですか?」
「まぁね」
「かしこまりました」
ラトが一礼してすぐに玄関に向かって歩き出す。
公爵も医務室の外に手だけを出して、自室の方に向かって指を鳴らす。
「魔法も万能じゃないからね。頼りすぎると豚のお尻を拝むことになりかねない」
公爵の執務室から飛んで来た書類が束になって飼い主を迎える愛犬の様に公爵に飛びかかってきた。 公爵は面倒臭そうにそれを医務室の机の上に置く。
「具体的なことの、その一端を知ってる人がいるんだから無理して聞く必要はない」
公爵の目がモヌワのほうにしっかりと向く。
「さぁ、モヌワ。知ってること、私に話してもらえるかな」




