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奴隷の少女は公爵に拾われる  作者: 笑い顔
奴隷の少女は公爵に拾われる 第2章 黒、銀、茶、赤
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奴隷の少女は公爵に拾われる 28

「丁度良かった」

 モヌワは神に祈りをささげるように膝をついた態勢でツツィーリエを見る。

「聞いて欲しいことがある。聞いてくれるか」

 モヌワの眼には先日までの伏せった影が無かった。ぐっと強い眼で見つめるモヌワを見返すツツィーリエは一回頷くとドアの近くにあった椅子を持つ。それをモヌワの近くに引き摺って行くとそこに座って再度頷いた。目線は座ったツツィーリエよりモヌワの方が高くなる。モヌワは座ったツツィーリエの方を少し視線を下げて見る。

『なに?』

 モヌワはぐっと奥歯をかみしめると、拳を強く握って口を開き始めた。

「私は何も恨んでいない」

 紡がれていく言葉をツツィーリエはじっと聞く。

「この状況に関して何も恨みを持っていない。勘違いをして欲しくない。私が切られて死にかけたのは私のミスだ。私を切った奴の事も恨んでいない。あいつらはそういう風に命じられたからそうしただけだ。あの医者も、神に対しても恨んでなんかいない。この家の者にも感謝こそすれ恨みなどしていない。ましてや――」

 モヌワの眼が一瞬ツツィーリエの腕に移る。

「――死にかけている私をここにまで連れてきて血を分けてくれたお嬢に対して恨みの感情は持っていない」

『お嬢?』

 首を傾げて紙に文字を書くが書き終わる前にモヌワが次を喋りだす。

「私が考えていたのは、私が、“なぜ”死にかけたか、ってことだ」

 なぜ、の部分を強調する。

「私は、私が死ぬ時は神に召される時だと考えていた。今まで傭兵をやっていて何度も死線を乗り越えて来れたのは神の加護があったからだと思っていた。常に己を鍛え、いつ神に召されても恥じぬ強い戦士であろうとしてきた。だから私は今回も生きていたのは神の加護があったからだと、そう思っていた」

 モヌワはツツィーリエから眼を離さずに続ける。

「私の体は神が与えたものだ。その体を他人の血で汚すことを神は望まない。私の血は私のために神が作ったものだ。神が私の血肉を作り、その血肉に命が宿って私がいる。そう教わってきた。だが、今私が生き延びたのは私の中にお嬢の血が流れているからだ」

『お嬢って、私の事?』

 モヌワはツツィーリエの差し出す紙の方を見ず、ツツィーリエの顔を見て話す。

「そこが私にはわからなかった。私が死んでいたら神が私を召したのだろうと考えられる。私が生きているという事は神の加護があったのだと考えられる。だが、私が生きているのは神の教えに反したやり方だ。つまり神の加護では無かったんだと。なら神は私を殺し損ねたのか。しかし神は全能だ。殺し損ねるなんて考えづらい。そこがずっと引っかかっていた。ずっと考えて考えて考えて、私はようやく一つの結論に達した」

 モヌワの眼の光が強まる。

「神とは、私に血肉を与えた存在だ。だから私は今まで神に仕えてきた。だが、今私の中に流れているのはお嬢の血だ。私が仕えていた神は私の中から神の血を抜いて、代わりにお嬢が血を入れた。つまり、今私の神はお嬢という事だ」

 ツツィーリエの瞬きの回数が多くなる。

「なら、お嬢は私が仕えていた神のように全能なのか、いいや違う。お嬢はまだ小さい女の子だ。では神では無いのか。と、ここで閃いたんだ」

 モヌワが自身の太い腕を世界に晒す。

「神が私を生んだのは神を守るためではなく他のものを守るためだ、と。その者は弱く、神の様に人を作る事は出来ない。だから神はその者のために私を作り、私を強く育て、そして最後に私を神のもとから旅立たせ、新たに仕える者の所にやったんだと。私が生きている意味は、その新しい神に仕えるためなんだと気付いたんだ」

 ツツィーリエは困惑したように数回瞬きをして、文字を綴る。

『つまり、モヌワさんは血を入れられた人に自動的に仕えるってこと?』

「そうじゃない。私の中にはあの医者が持ってきた誰のかも分からない血も入っている。だが、私はその血の持ち主に対して何の恩義も感じない。なぜなら」

 モヌワが大きく手を広げる。

「そこには“無償”の精神がないからだ。お嬢は倒れている私を見つけてここまで連れて来て、血を分けて、意識を取り戻した私の世話も焼いてくれた。それらの行動の中に打算が見られなかった。そういった、無償の精神を持っている者だからこそ神の目に留まり、そのものを守るために神が私を作ったのだと考えるのが妥当だ」

 モヌワは自分の中で、今の状況に筋の行く説明を見つけて嬉しいのだろう。非常に明るい表情をしていた。

『じゃあ、神はモヌワを私に仕えさせるという打算のために作ったという事じゃない?』

「そこは分からん。神の意志は我々人間には推し量れない。そこには私が打算と感じているが、しかしそれとは違うより高尚な意思があったのかもしれない。今確かな事は、私が今神の加護を外れていると言う事と、私に命を与えたのがお嬢という事だ」

 モヌワは刈り込まれた錆びた血の色の髪を掻きながら、恥ずかしそうに告げる。

「私は余り賢くない。賢くないし、人を殺して生きるという罪深い生き方を選択した愚か者だ」

 モヌワの体の全身の力瘤が蠕動する。

「だが見ての通り体が大きいし、私は誰よりも強い。私が死にかけた傷を負ったのはあちらが20人近くのそこそこ腕の立つ連中を以て私を襲ったからだ。それも半分程蹴散らしているし、次は負けん。お嬢さえ許してくれれば私はお嬢の身を守る盾として、もしくは剣として、誰にも負けない力を発揮して見せる」

 モヌワの顔がツツィーリエの方にずいっと近寄る。顔の大きさが違いすぎて何か違う生き物のようだ。思わずツツィーリエがのけぞる。

「お嬢のためなら何でもする」

 ツツィーリエの体を挟むように座っている椅子の背もたれを両手でぐっと掴む。

 モヌワの目には、大きさにそぐわない小鹿の様な不安の影が色濃くなり始めている。

「…………お嬢。私をお嬢の下で働かせてくれ。お願いだ。決して失望させない」

 瞬きの頻度を増しながら、紙に何かを書こうとする。

「私を見捨てないでくれ」

 すっと、ツツィーリエの瞬きが止まった。ついでに書こうとしていた言葉もつづられないまま宙に消えた。

「お嬢…」

 しばらくして最初と違う言葉が紙に書かれていく。

『条件がある』

「なんだ?」

『体をちゃんと治して』

「治す」

『手話を覚えること』

「勉強する」

『好き嫌いしないこと。出された食事は全部食べること』

「わかった」

『モヌワの話をたくさん聞かせてほしい。本だけではわからないことがたくさんある』

「いくらでもしゃべる」

『私が困ったときは助けて』

「この命に代えても」

『あなたに血を分けた時とても疲れた。あまり怪我をしないでほしい』

「お嬢に迷惑はかけない」

『お父さんにもこのことを話すよ』

「まったく問題ない」

ツツィーリエは、自分よりも大きいモヌワの顔を抱き寄せて頭をなでながら紙の文字を示す。

『私は見捨てないから。ちゃんと信じて』

抱き寄せられたままツツィーリエの服に顔を押し付け、モヌワが屋敷中に響き渡るほどの大声で泣き出した。ツツィーリエは赤い瞳をモヌワの頭に向けて、その錆びた血の色の髪をずっと撫でていた。

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