奴隷の少女は公爵に拾われる 158
「あら、ツツィーリエちゃん、もう元気なの?」
食堂のテーブルに突っ伏しているツツィーリエの耳に、低い男の声が聞こえる。
「出たな」
「うるさいわよ、熊女」
「三文字しか喋ってねぇよ」
「存在がうるさいのよ」
「あぁ?」
食堂に入ってきたタレンスは、モヌワと言い合いをしながらツツィーリエの向かいの席に座ると、角ばったごつい顔に手を当てながら、首を傾けた。
「大丈夫?ツツィーリエちゃん」
ツツィーリエは小さく頷く。
「あんまり無理しちゃだめよ。ツツィーリエちゃんは私とかそこの女みたいに丈夫な体じゃないんだから」
ツツィーリエは小さく息をつく。
『ごめんね、タレンス。今日はお化粧教えてくれるって約束だったのに』
「何言ってるの、この子は。そんなこと全く気にしなくていいの」
タレンスは目を細めてツツィーリエに笑いかける。
「無理せずゆっくり休んでちょうだい」
ツツィーリエがゆっくり頷いた。
「さて、私は軽くお昼を食べてからまた仕事に戻らなきゃ」
「お前は仕事してばっかりだな。お前こそ、体壊すなよ」
「あら、心配してくれるの?」
「お嬢がいらぬ心配をするだろうが。お前ごときがお嬢の心を煩わせるなど百年早い」
「口の減らない熊だこと」
タレンスが鼻息でモヌワの言葉を吹き飛ばすと、書類を取り出してため息をつきながら目を通し始めた。
「おいおい、仕事に戻るのは飯食ってからじゃねぇのかよ」
「仕事の休憩に仕事する位じゃないと回らないのよ」
「そんなに書類が好きかね」
「フン、ほっといて」
タレンスが口をとがらせながら書類を観察していると、タレンスの後ろの扉が開いた。
「おや、お嬢様。起きても大丈夫なのですか?」
入ってきた口髭の執事は、机に顎を載せている少女を見て目を大きくする。
『えぇ、大丈夫よ。ありがとう、ラト』
「いえ、大丈夫ならよいのですが。無理はなさらないでください。お嬢様も公爵様に似て無理をするところがありますので」
ツツィーリエは口元に小さく笑いを浮かべてみせる。
「おや、私はそんなに無理してるかな」
ラトの後ろから、白髪交じりの銀髪をした男が入ってきた。
「公爵様。ここ数年で一番詰まらない冗談ですよ」
「昔からユーモアのセンスに乏しくてね」
公爵は肩を竦めると、ツツィーリエの方に歩いて行った。
「熱は少し下がったかな」
公爵の冷たい手がツツィーリエの額に当てられる。ツツィーリエは公爵の灰色の目を見上げながら頷いた。
「それは良かった」
公爵は微笑みをわずかに深くしながら自分の席に着いた。
「全員休憩?珍しいこともあるもんだ」
「緊急の案件がありませんから」
「へぇ。そういうもんかね」
モヌワは背もたれに体重を預ける。
「たまには全員でお昼を食べても罰は当たらないさ」
「そりゃそうだ。家族で飯食って罰を当てるような神なんざ願い下げだ」
「モヌワが言うと信憑性が違う」
「光栄だね」
モヌワが平板な口調で返答する。
「あら、公爵様もいるわ。珍しい」
台所から顔を出したマーサが手を前掛けで拭きながら目を丸くした。
「てっきりいつもみたいにお部屋で召し上がるかと」
「たまにはね。時間かかりそう?」
「いいえ、別に。作るものが変わるわけじゃないですし」
「それは良かった」
「お嬢様、もう少しお待ちくださいね。もう少しでできるので」
ツツィーリエが頷く。
「食べ終わったら、薬飲んで、体を暖かくして寝てくださいね」
『分かったわ』
「本読まずに寝てくださいよ」
ツツィーリエは机に顔を突っ伏してわずかに頷く。
「あら、なんだか懐かしい感覚がするわ。なんでかしら」
マーサが顎に手を当てる。
「公爵様がお休みされる時ではないですか?」
「あぁ、それだわ。似た親子ね」
「先程私も同じことを言いました」
「そんなに似ているかな」
ラトとマーサが同時に頷いた。
「割と」
「一緒に暮らしていると似るようですね」
マーサがからからと笑いながら言った。
「あら、でもラトさんも私も公爵様よりはユーモアがあると思いませんか」
「それもそうですね」
ラトとマーサはお互いに笑いあう。
「私はおもしろくないな」
「そんなこと言って」
公爵がため息をついた。
「別にいいけどね。公爵はユーモアのセンスがなくっても務まる珍しい仕事だから」
『安心したわ』
ツツィーリエは机の上の手をひらひらと動かす。
「あ、鍋の様子を見てこなきゃ」
「何か手伝いましょうか?」
「あら、じゃあ配膳だけ手伝ってもらえますか」
その言葉を受けて、公爵たちが立ち上がる。
「お嬢はそのままでいいですよ、私が持ってきますから」
『ありがとう』
モヌワが嬉しそうに笑う。
「いいんですよ」
皆が台所の中の扉をくぐると、すぐに公爵が大きめのサラダ皿を持って出てきた。
「ツィルのは他にあるんだって。食べたければ食べてもいいけど」
『果物があったらちょっと食べたいわ』
「マーサが柔果を切ってたよ」
ツツィーリエはそれを聞いて小さく微笑む。
「あぁ………なんだか」
公爵が窓のほうを見ながらつぶやく。サラダ皿を持ったまま外を見る公爵を見ながら、ツツィーリエが首をかしげた。
「ん?あぁ、ごめんね」
公爵はテーブルの上に皿を置く。
『どうしたの?』
「………なんだか、とっても平和だな、って思っただけ」
公爵の目が再度窓の外に向く。それにつられてツツィーリエの視線も外に向く。
初夏の若い日差しが庭の大きな朱果の樹を優しく照らしていた。朱果の枝には小鳥が留まり、鳴き声が庭中に広く響いている。風が草木を揺らしす葉擦れ音が窓を通って少しくぐもっていた。台所からはふわっと昼食の匂い、そしてタレンスとモヌワの言い合う声も聞こえる。窓からの光は公爵を照らして、眩しそうに細める灰色の瞳と、銀髪に交じる白髪を光らせていた。
『何かあったの?』
「………いいや」
公爵は視線を窓から外して席に着く。
「いたって平和だよ」
朱果の樹に止まっていた小鳥達は飛び立ち、先程まで響いていた鳴き声は聞こえなくなっていた。




