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奴隷の少女は公爵に拾われる  作者: 笑い顔
6章 初成人の儀
155/164

奴隷の少女は公爵に拾われる 155

 少女の静かな寝息と、それを聞きながらゆっくりと本をめくる音が静かに聞こえる。本をめくる男の灰の瞳はページに向かい、時折少女の寝顔に移って、また元に戻った。

 その瞳が、足音に反応して扉の方に向けられる。男はその足音が扉の前に止まる前に、燐光を纏った指を扉に向けた。扉は蝶番の軋む音すらない静かさで一人でに開く。

「公爵様」

 入り口から顔を出したのは執事のラトだ。書類を小脇に抱えて、公爵が部屋の中にいることを確認している。

 公爵は黙って頷くと、静かに立ち上がり、本棚の前で一旦止まってから部屋の外に出た。

「どうしたんだい?」

「ご要望の法解釈に関する他国の判例をお持ちしました」

「ありがとう」

 公爵は扉を後手に閉めながら、ラトから書類を受け取った。

「ラトは、これを見てどう思った?」

 公爵は受け取った書類を見る前に尋ねた。

「公爵様の要望通りの解釈は可能であるかと思います。状況が味方をすれば」

「なるほど」

「ですが、私個人の意見を言わせて頂くなら」

「ん?」

「一旦それをしてしまうと、後戻りは出来ないかと」

「最初からそのつもりだよ」

「真っ向から歯向かうことになります。この国が受ける衝撃は相当なものになるでしょう」

「ラトは反対かい?」

 ラトは口髭を一瞬まごつかせる。

「正直…」

「そうかい。でも、ラトはきちんとやってくれるんだろ?」

「それはもちろん。私の意見はあくまで私の意見です」

「なら、かまわない。他は進んでる?」

「はい。式典の来賓も私の方で選定しましたので、手筈通りかと。また、日程の調整と、先方の用事が重なるように手配いたしました」

「うん、ご苦労様。宣伝の方は?」

「抜かりなく。王都を中心に大々的に行っております」

 公爵はしっかりうなづいた。

「いつも通り、知ってるのはラトだけだ。国富の公爵に悟られないように。彼にかき回されるとロクなことがない」

「心得てございます」

「先方から何か反応はあった?」

「いえ。ですがかなり苛立っているとは聞いています」

「あっちに詰めてる護衛官達に言って、今回の式典の規模と賓客の豪華さも吹聴して回れるかな」

「あからさますぎませんか?」

「それくらいは大丈夫だよ。あぁ、そうだ。全護衛官と治安維持官、治安維持兵にも触れ回っといて。一部の人間だけだと意図が割れる可能性もある」

「かしこまりました」

「じゃあ、頼んだ」

 公爵は受け取った書類の中から一枚取り出して確認する。

「あぁ、そういえば話は変わるけど、ラトはツィルに何をプレゼントするんだい?」

「私ですか?」

 ラトは白い口ひげの奥を綻ばせる。

「本を、送ろうと思っています」

「本?」

「はい。私のお気に入りの一冊を」

「ツィルがもう読んでいるかもしれないよ」

「それはありません。かなり古い本ですし、図書室にもない事は確認しております」

「へぇ、気になるね」

「公爵様もご存知ですよ。私が正式に公爵様の執務補佐官兼務を任じられた時、父が私に送ってくれた本です」

「あぁ。なるほど」

 公爵の顔も綻ぶ。

「マーサといいラトといい、昔が懐かしいのかな」

「否定はしません」

 ラトはツツィーリエの部屋に顔を向ける。

「お嬢様に我々が継いだものを繋げたい、そう言う思いがありますから」

「私が子供を作らなかったからね」

「それはそれです。公爵様が選んだ奥方様を見てみたかったような気もしますが」

 ラトの視線が公爵の方に戻る。

「まぁ、選ばれないのでしたらしょうがありません」

「なんで結婚しなかったのかとか、ラトもマーサも聞かないよね」

「聞く必要がありませんから」

 ラトの表情には一点の変化も見られなかった。

「………」

「今はお嬢様もおられますし、別段どうという事もありません」

「………そうかい」

 公爵は目元を指で掻いた。

「私は周りの人に恵まれたね。少なくともこの数十年は」

「今更ですか?公爵様はもっと早く気付くべきですね」

 公爵がその言葉を聞いてラトを見る。ラトは真顔で公爵を見返していた。

 真顔同士が見つめ合う沈黙の後、そのままの表情で、ラトが大きく肩をすくめてみせた。

 公爵の顔に思わず笑みがこぼれた。

「敵わないな。まったく」





「国守の公爵側の動きですが、閣下の言うとおり少し妙なところが多いですね」

 大きな窓からは穏やかな日差しが入りこみ、その部屋を照らしている。壁に掛けられた古い物語を語るタペストリー、専門知識がなければ読むことのできない経済誌や蔵書が並ぶ大きな本棚、ガラスがはめ込まれ、瓶に入っている琥珀色の液体が良く見える棚、中央の黒檀製の執務机、そのすべてが一流の品質と値段であることがうかがえる。

「具体的にどういう所が?ヴィールル」

 それらの調度をすべてかき集めても、この部屋の主の価値には到底及ばないだろう。彼は羽ペンをけだるげに持って書類にサインをしながら部下に尋ねた。

「普段の国守の公爵より、かなり派手に動いています」

「そんなことはわかっている。具体的に」

 国富の公爵は色味の強い金髪を指で掻きあげ、緑の瞳で部下を射すくめる。その威圧的に見える挙動一つとっても、数多の美術品が嫉妬に狂うほどの美しさがあった。

「まず広告宣伝の規模が異常です。確かに我々も大々的に宣伝しています。この街で初成人の式典がいつ行われるのか、知らないものはいないでしょう。ですが、国守の公爵は、それこそあらゆる手段、人脈、金を使って国内はおろか国外にまで宣伝をしています。まるでこの式典の規模をことさらに誇っているようにも見えます」

「僕たちも国外に宣伝している。外交官を通じて、国外の主要な賓客に招待状も発送済みだ。彼がそうしたって不思議じゃない」

「国守が拘束していた犯罪者を幾人か、その宣伝のために釈放しているとしてもですか?」

「なに?」

 国富の公爵の首の動きで、彼の耳のイヤリングから軽い金属音が響いた。

「非合法ギリギリのやり方で、国外の犯罪組織に影響を持つ人物を、確認できるだけで三人、釈放しています。それによって我々国富が関わることのできないほど深い部分に、国守の手が届いています。例えば暴力組織の幹部を通じて地方都市に、密輸業者を通じて国外に、その隅から隅まで式典のことが知れ渡っています」

 国富の公爵は目にかかる髪を払いながら目を細める。

「なるほど」

公爵は少しの間考える。

「問題は、その危ない行為を我々に知られるほど大々的に行っているという事だ」

「我々もそれを知るためにはかなりのリスクを払っていますが」

「それでもだ。我々の情報網は確かに世界でも有数の規模と能力があるが、国守が我々にしっぽをつかませるようなことは一度たりともなかった。今回の件は、おそらくそこから我々が辿っても言い逃れできるような準備をしているだろうが、それにしても異常事態といえるだろう」

 羽ペンを置き、机に肘をつく。

「おそらくこれは氷山の一角に過ぎない。というより、彼が得意な目くらましの一つさ」

「本当の意図は別に?」

 国富の公爵はにやっと口角を上げながらヴィールルを見る。

「僕にとって、国守の公爵が面白いのは、なんでだと思う?」

 ヴィールルは無言で首をかしげる。

「全く予想ができない行動をとるからさ。そして、行動の意図を予想させない、調べてもわからせない」

 難解なパズルみたいにね、と手を上げる。

「その要因の一つとして、彼が自分の意図をほぼ誰にも知らせないことにある。彼のやりたいことを知っているのは、側近中の側近、ラトだけだ。三人の侯爵ですら、本当の意図を知らされていない」

「ですが、そういう秘密主義な人間は少なくないかと。閣下もあまり自分の行動の意図を周りに知らせませんし」

「僕は喋る方だよ。僕の意図がしれたときには、相手はすでに掌の中さ。だが、彼は鉄壁の甲羅を持つ亀みたいに、その意図を周りに知られない。その意図が達成されたのかすら分からない。でも、気づいたらその亀は我々を追い越しているんだ」

 国富の公爵は熱い息を吐く。

「だが、彼の周辺の行動、彼自身がさせている行動から物事を推測することをやめることはしない。しっぽをつかませるかもしれないからね」

「今回の件のようにですか?」

「いや、この件は明らかに攪乱の一つだよ。その攪乱の意図がどこにあるのか、そもそも意味があるのか。我々が彼を調べていることを、彼の方も把握しているだろう。だからこそいろいろな攪乱をしてくるはずだ」

「警戒しておきます。あと他にも、気になる動きが」

 公爵が無言で続きを促す。

「新聞社や情報屋、自治会など広報力のある組織に対して、かなりの規模の干渉を行っているようです」

「宣伝させているのか?」

「それもさせているのですが、それだけではないかと。何か、特定の情報を広く世に知らせたい様子です」

「愛娘の晴れ姿じゃないかい?」

「御冗談を。それだけにこんな規模の干渉を行ったりはしないでしょう」

「ありえなくはないさ」

 芝居がかった様子で肩を竦める。

「彼も人の親だ。それこそ何をするか分からないよ。あの娘のお陰で、国守の公爵の行動は更に僕の想像を超えていく」

 国富の公爵が、目を大きくしながら大きな笑みを零す。

「さぁ、何をするんだろうね、彼は」


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