奴隷の少女は公爵に拾われる 153
「お嬢、朝ですよ」
筋肉質な巨躯をかがめながら、モヌワが扉を開ける。部屋の中は小さな机に本棚、服が入っている箪笥、ベッドしかない。そのベッドの上では、既に少女が体を起こして目の前の石の壁を見つめている。その少女、ツツィーリエは少し乱れた髪を整えることなく、ただベッドの上で起きていた。
「お嬢、起きたところですか?今日はお出かけ日和のいい日よりですよ」
モヌワはツツィーリエのほうに歩を進める。ツツィーリエは緩慢な動きで顔にかかる髪を払った。
「朝ごはんできてますよ」
モヌワはツツィーリエの様子を見ると、狼のような目を優しく細めながら食事の話題を出す。ツツィーリエはその言葉にゆっくりと反応して、モヌワのほうに首だけ向ける。だが、少女は無表情な顔をゆっくりと横に振って拒否の意思を示した。
「………?」
その動きを見たモヌワは、しばらく笑みを浮かべたまま首をかしげた。
「あぁ、なるほど、朝食を食べないってことですね」
モヌワは手を打って、そのことをしっかりと反芻するようにゆっくりと何回も頷いていく。
「………」
「………」
「………ま、マ―サさ――――――――んっ!お嬢が変だ!!早く来てくれ!!」
モヌワは顔面を蒼白にしながら広い公爵邸が震えるほどの巨大な叫び声をあげた。
「ど、どど、どうしたんですか、お嬢。なんで朝食食べないだなんて」
モヌワは巨大な腕を振り回しながら、ツツィーリエの前でオロオロとしている。ツツィーリエはものすごくゆっくりと布団から手を出すと、億劫そうに手を動かした。
『なんだか、食欲がないわ』
「マ―サさ―――――――――ん!!お嬢が、お嬢が死んじまうよ――――――――!!」
「朝からうるさいわよ、モヌワ。私の初産の時でもそんな声上げなかったわ」
扉が外側からものすごい勢いで開くと、若干小柄な恰幅の良い女性が大股で入ってきた。髪を上にひっつめて、農民風のスモックが良く似合っている。髪の毛に白いものが混じっているが、それでもきびきびとした雰囲気は彼女から年齢に応じた倦怠感を全く感じさせなかった。
「マーサさん、お嬢が食欲ないって」
モヌワは狼のような金色の瞳に涙を浮かべ、ツツィーリエを薄いガラスでできている何かのように触りながら言った。
「あら、それは大変ね。ちょっとどいて」
マーサは冷静に役に立たないモヌワを脇に押しやると、ツツィーリエのベッドの脇に座る。
「お嬢様。顔をこちらに向けてください」
ツツィーリエがその言葉に応じてゆっくりと顔を動かした。マーサは手慣れた手つきで少女の額に手を当てながら、首筋や顎の下、瞼のあたりに指をあてがう。
「お嬢様、口を大きく開けますか?」
ツツィーリエはしんどそうに口を開く。マーサは顔を少し上に向かせると、喉の奥をのぞき込んだ。
「熱があるわ。たぶん風邪ね」
「カゼ?」
「あなたも風邪くらい引いたことあるでしょ」
「そうか。風邪か」
モヌワは安心したように胸をなでおろす。
「じゃあ、お嬢を連れて走ってくる」
「モヌワ、あなたお嬢様を殺す気?」
「そんなことするわけないでしょ!?体調不良とか風邪だったら、走れば治るじゃないですか」
「あなたに聞いた私がばかだったわね」
マーサはツツィーリエをゆっくりベッドに寝かしつける。
「お嬢様、今パン粥を作るので、食べれるだけ食べてから薬湯飲んでください。そのあとお医者様を連れてきますからね」
マーサは優しく微笑みながらツツィーリエの頭をなでる。
「季節の変わり目でしたからね。初成人の準備で疲れもあったんでしょう。初成人の儀も近々にあるわけじゃないですし、今日と明日はゆっくりお休みください」
マーサはそういうと扉のほうに向かう。
「あ、そうだ。モヌワ。あんまりお嬢様を疲れさせるようなことはしないようにね。今日明日はお嬢様にはしっかり寝てもらいますから」
マーサはモヌワに念を押すように言うと、ゆっくりと部屋の外に出た。部屋に残るモヌワは落ち着かなげにツツィーリエの部屋を歩き回る。
『モヌワ』
「はい!なんですか!」
ツツィーリエが手招きすると、モヌワは即ベッドのほうに走り寄ってきた。
『朝ごはん、食べてきなさい。モヌワは普通に食べれるでしょ』
「いえ、お嬢が食べれないのに私が食べるわけにはいきません」
『私が風邪ひいてるときに、モヌワが空腹で全力を出せないなんてことがあったら意味ないでしょ』
普段白い肌を若干上気させ、息苦しそうにしながらも手を動かしていく。
「うぅ………」
体で息をしているツツィーリエを見て何か言いたそうにモヌワが体を動かすが、すぐにモヌワがうなだれながら頷く。
「では、ご飯食べてきます」
『伝染したら良くないから、今日はあまり私の部屋に入ってこなくて良いから』
「ですが―――」
『いいから。ただの風邪よ。そんなに心配しなくても寝てれば治るわ』
ツツィーリエの赤い目がモヌワの金色の目を射すくめる。それだけで、モヌワは何も言えなくなった。
「はい………」
モヌワは若干背を丸めながら部屋の外に出る。ツツィーリエはベッドの上から扉が閉まったことを確認すると、小さく息をついて横になった。そして、若干顔をしかめながらしばらく目を瞑る。
爽やかな筈の朝の音は鼻につくような鬱陶しさでツツィーリエの耳に響いた。鳥の声から逃げるように顎まで布団を上げて寝返りを打つ。音のない呻きを口の中でくぐもらせ、そのままツツィーリエの意識は微睡みの中に呑まれていった。
その微睡みの幕を揺らしたのは、石の廊下の上を歩く静かな足音だ。




