奴隷の少女は公爵に拾われる 151
すでに台所には、ゆうに十人分はあろうかという食事が鍋の中やボールの中、皿の上にとり置かれていた。お金がかかった料理というより、家庭料理に近い素朴さと工夫が感じられる。ふわりと香る匂いに、ツツィーリエの腹が思わず鳴った。
「もうちょっと待ってくださいね。お嬢様はできた料理を食堂の机の方に持って行ってくださいな」
ツツィーリエは頷くと、大きな皿を慣れたように持ち上げて台所の扉を開ける。食堂ではモヌワとタレンスがいまだに言い争いをしているが、ツツィーリエはまったく意に介した様子もなく机に料理を置いて台所の方に戻った。
「あ、お嬢様。モヌワから初成人祝い貰ったんですよね」
マーサが大皿を持ち上げようとするツツィーリエにそう声をかけた。ツツィーリエは何も言わずに頷く。
「じゃあ、私からもプレゼントです」
そう言うと、マーサはツツィーリエに近づいて後ろに回る。振り向こうとするツツィーリエを、マーサが止めて前を向かせた。
「そのままじっとしていてくださいね」
そう言うと、マーサはツツィーリエの黒くて長い髪を持ち上げて、それを器用な手つきで結んでいった。ツツィーリエは人形のような表情をそのままにされるがままになっている。しばらくマーサが鼻歌交じりに髪を結んでいたが、そのうち納得したように鼻を鳴らした。
「はい、出来ました」
ツツィーリエが自分の髪の毛を珍しそうに触る。普段はただ降ろしているだけだが、今は後頭部を中心に編みこみが入り、髪の艶が普段と違う輝きの質を見せる。
『ありがとう。この編みこみがプレゼント?』
「あら、違いますよ。この髪に」
と言って、マーサが髪に何かを挿す。
「はい。この髪飾りが、私のプレゼントです」
淡い紫の花をあしらった髪留めだ。根元がふわりと膨らんだかわいらしい花弁が数輪、垂れて合わさるように咲き、普段のツツィーリエにはない色味を足している。ツツィーリエは優しく触りながら、マーサに微笑んだ。
『ありがとう。これはマーサが買ったの?』
「いいえ。これは私が昔もらって大事にしていたものなんです」
『そんなものもらっていいの?』
「いいんですよ」
マーサはツツィーリエの言葉に優しい口調で返答した。
「私はもうそれを付けませんし、その髪飾りもお嬢様につけてもらうほうがきっと嬉しいでしょう。良い物ですから、どんなパーティーでつけても気後れしないですし」
ツツィーリエはまだ髪飾りを触っている。
『―――大事にするわ』
「そうしてください」
マーサはツツィーリエの頬を撫でると、すぐに表情を切り替える。
「さぁ、この残りの皿を食堂にもっていきましょう。残りもすぐにできますからね」
『今日はたくさんあるのね』
「えぇ。公爵様も今日帰ってこられますし」
『そうね。お父さんにこの髪飾り見せても良い?』
「えぇ。いいですよ。きっと喜びます」
マーサはうれしそうに言うと、鍋の方に向き直り少しずつ調味料を入れ始めた。ツツィーリエは音のない鼻歌を歌いながら食堂の方に料理を持っていく。
「大体あんたは―――あら、ツツィーリエちゃん。その髪飾りは?」
食堂に入ったツツィーリエを見て、タレンスが口論を止める。
『さっきマーサにもらったの』
ツツィーリエは食堂のテーブルに大皿を置いてから、手を動かす。
「良くお似合いです、お嬢」
モヌワも口論を止め、ツツィーリエの方に近づいていく。
「小さな紫の花………あれ?なんだっけ」
タレンスが考え込むように首をかしげる。
「分からねぇのか」
「思い出せないだけよ。その花には見覚えがあるんだけど………てかあんたはどうなのよ」
「花の名前なんか私が知るわけがないだろ」
「粗雑な筋肉女らしい回答ね」
「その花が綺麗かどうかさえ分かってれば花の名前なんぞに意味はない」
モヌワはなぜか胸をそらして偉そうに言う。
「そしてお嬢についているその髪飾りの花は綺麗だ」
『ありがとう』
「あぁ!ずるい。私も綺麗だって思ってるわよ」
『ありがとう』
ツツィーリエは髪飾りを触りながら片手を動かす。
「あ、そうだ。私からもツツィーリエちゃんに成人祝いがあるのよ。取ってくるわね」
『すぐにごはんだから、後にしましょう。お腹すいたわ』
「あ………そう?」
『ご飯終わったら、タレンスの部屋に行くわ』
「ダメですよ、お嬢!こんな男女の部屋に行ったら」
「なんでよ!」
「理由なんかあるか!」
「意味わかんない!!」
また口論を始めようとしている二人を、ツツィーリエはじーっと見つめていた。が、何かに気付いたように違う方向に目を向ける。
「二人とも、台所までうるさい声が聞こえてるわよ。食事前にお腹減らすのは結構ですけど、もうちょっと静かにやんなさい」
台所の方から、大皿を二つ持ったマーサが入ってきた。
「ほら、ご飯そろったから。冷めないうちに食べてしまいましょ」
『もうちょっと待って』
ツツィーリエがそう手を動かすのを見てマーサが意外そうに目を開く。
「どうしたんですか?お嬢様が一番食べたがっておられるのに」
『もうちょっとでお父さんが帰って来そうな気がするから』
マーサは食堂から見える空の様子を確かめる。月は上がりはじめて間もなく、それほど遅い時間ではない。
「事前に聞いてる感じだと、もうちょっとかかると思いますけどね。まぁ、お嬢様がそういうなら、待ちますよ」
マーサは台所に何か取りに行こうと足を向ける。その時、公爵邸に呼び鈴が鳴った。
「あら、お嬢様の言うとおりかしら」
マーサはエプロンで手を拭きながら食堂の扉を開ける。その扉から、ツツィーリエがするっと外に抜け出した。
「お嬢様、別に私が出ますよ」
と、マーサが追う。その後に続いてモヌワとタレンスも食堂の外に出た。ツツィーリエはマーサの言葉を耳から流して、玄関の扉の方に早足で向かう。大きな玄関ホールを通って、大きな扉に手をかけ、勢いよく開いた。
「ただいま。おや、ツィルじゃないか」
扉開けた先、門の向こう側にいたのは、馬車から降りようと足を出している壮年より少し年輩の男だった。白髪交じりの銀髪が街灯の光を受けて光っている。皺の目立つ顔に嬉しそうな微笑みを浮かべ、色素に乏しい灰色の目はまっすぐ少女の方に向けられていた。
『お帰りなさい、お父さん』
「ただいま」
公爵邸の主は服についた埃を払い、疲れたように首を回す。
「公爵さま、おかえりなさい」
遅れてきたマーサが門の方に駆け寄ると、金属の軋みと共に扉を開いた。
「ありがとう、マーサ。ただいま」
公爵は上着を脱ぐと、後ろから追ってきた白いひげを蓄えている執事のラトに渡す。
「御者くんも、ありがとう。国守の公爵が一の男爵君にお礼を言っていたと、伝えておいておくれ」
馬車の御者台に座っていた男が帽子を軽く脱いで返答すると、手綱を揺らして街灯の光る広い石畳の道を戻って行った。
「公爵さま、御戻りが少し早いですね」
「うん、ちょっと飛ばしてもらった。深夜に帰宅したら、みんなを起こしてしまうからね」
公爵はツツィーリエの方に目をやると、髪飾りに目を留める。
「ん?ツィル、その髪飾り―――」
公爵はほんの少しだけ目を細める。
『マーサが初成人の祝いにくれたの。どう?』
「うん。うん。似合ってる」
公爵は目を更に細めながら笑い、ツツィーリエの頭を撫でた。
「大事にするんだよ。マーサ、ありがとう」
「いいえ、渡すべきものを渡しただけですから」
ツツィーリエは頭を撫でられながら嬉しそうに頷く。公爵の後ろにいる執事も、白い口髭の奥で笑いを浮かべた。
「ご飯、できてますよ。後にするなんて言わないでくださいね。お嬢さまが、公爵様がもう少しで戻るから、って待ってたんですから」
「そうか、それはすぐに食べないとね。ツィルが飢えてしまう」
公爵は開いた扉からツツィーリエと喋りながらくぐった。その後ろからマーサと執事のラトが続く。
「あ、思い出した」
「なんだよ」
さらにその後ろを歩くタレンスが声を上げた。
「あの花よ、ツツィーリエちゃんの髪飾りの」
「なんだよ、名前なんか言われても私はわからんぞ」
「あの花、名前忘れたけど、家紋になってる花よ」
「誰の」
「先代公爵様の奥様」
モヌワが意外そうに目を開く。
「まぁ、その生家のだけど。花の名前、なんていったかしら」
「花虎の尾、ですよ」
いつの間にかタレンスたちと一緒に歩いていたラトが、口ひげの奥から声を発した。
「あ、ラトさん」
「マーサがあの髪飾りをお嬢様に渡すとは。当然と言えば当然ですが、少し驚きました」
「あの髪飾り、知ってるんですか」
「当然です。あの髪飾りは先代の奥様が好んでつけられていたものですから」
ラトは遠くを見るような目をしながらそういった。
「なんで、それをマーサさんが持ってるんだ?」
「マーサが、先代の公爵夫人の使用人だからですよ」
「使用人にお気に入りの髪飾り渡すか?」
「今際の際でしたから」
ラトは深い目で、前を行くツツィーリエの髪で揺れる紫の花飾りを見つめる。
「ツツィーリエ様のお祝いにふさわしい品です。きっと、奥様もお喜びでしょう」
その表情を見て、モヌワとタレンスは何も言えず、口を閉じて黙るしかなかった。




