奴隷の少女は公爵に拾われる 149
日も暮れかけた中、馬車の轍が残る未舗装の道を、体格が真逆な二人が歩いていた。一人は子供の胴体ほどもあるような太い腕に、服が弾け飛びそうな程の胸の筋肉、人というより熊に近い体の持ち主だ。胸の膨らみと顔の僅かな特徴からようやく女とわかるが、そうでなければ人であるかも一瞬判じかねない。錆びた血の色をした髪を短く刈りこみ、金の目であたりを警戒しながら、隣を歩く少女に最大限の気を使って歩いている。
「少し遅くなりましたね」
そういう巨躯の女の言葉に隣の少女は返事をせず、代わりに女の方を向いて滑らかな動きで手を動かす。無機物のように白い肌に背中まで届こうかという皇かな黒髪、その黒髪を時折掻き上げる指は繊細で、隣の巨体の女と比べるまでもなく線の細い少女だ。顔だちはまるで人形のようで、歩いている間ピクリとも表情が動く気配はない。そして、その瞳は夕日を宝石にして閉じ込めたように赤い。アルビノになりそこなったウサギのような印象を受ける。
『初成人までだいぶあるのに、なんでこんな時期から採寸をするの?それも何回も』
「そういうものなんでしょう。私はこういう儀式に貴族側の人間として参加することなかったんで分かりませんが、こっちもこっちで大変ですね」
『前のパーティーの時の衣装だって一週間もかからずにできたんだから、今回だってそれくらいで良かったのよ』
「それ、マーサさんやラトさんに言ってみたらいかがですか、お嬢」
少女の手の動きが止まり、珍しく少女の唇がひん曲がる。
『モヌワのいじわる』
その表情のまま、見上げるように少女の顔が隣のモヌワに向く。
「私はいつだってお嬢の味方ですよ。でも、前のパーティーの時のマーサさんやラトさんの剣幕を見てる立場からすると………」
モヌワは筋肉を盛り上げて大げさに肩を竦める。
『モヌワはいいわよね。護衛官の制服着ればいいんだから』
「楽でいいですけどね。でも、お嬢だって一等にきれいな服着れるじゃないですか。嬉しくないですか?」
『綺麗な服を着れるのはうれしいけど………』
ツツィーリエはそれ以上何も手を動かさない。
「面倒ですか?」
ツツィーリエが頷いた。
「公爵さんも同じこと言ってましたよ」
『お父さんも、ラトやマーサに言ってくれたらいいのに』
「お嬢の服装に関して、公爵さんに発言権がなさそうですからね。それに今は王都の方に行ってますし」
『お父さんは、それこそ面倒そうにしていたわ』
「王都と公爵邸はそれなりに距離がありますからね」
二人の周りに少しずつ民家が増え初め、それと同時に辺りが暗くなっていく。
「暗くなってきましたね。少し急ぎましょうか」
『そうね。今明かりを持っていないから、もっと暗くなる前に街灯がついてるところまではいきたいわね』
モヌワが落ち着かなげに辺りを見渡す。
『どうしたの?』
「なんか最近、周りが騒がしいんですよね」
『いつも通り静かな気がするけど』
「いや、そう意味じゃなくてですね。いろんな人が動いてて、情勢がややこしいんです」
『詳しいのね』
「一応、護衛官同士で情報交換しますから」
それを聞いたツツィーリエは大きく数回瞬きをした。
「なんですか?」
『そういうこともするのね。ずっと私の傍にいるから、意外だわ』
「お嬢を守るために最善を尽くしているんです」
モヌワが心なしか胸を張る。
『護衛官同士の情報だと、今情勢が動いてるのはどのあたりなの?』
「公爵さん周辺ですね」
『へぇ』
ツツィーリエは特に驚いた様子もなく手を動かす。
『でも、お父さんの周りはいつでも情勢が動いてると思うんだけど』
「お嬢の初成人の儀絡みで特に動いてるんです。初成人の式典がかなり大規模な式典みたいで、私は元々違う国の出身なんでわかりませんが、違う護衛官の話だと国王の即位式以上の規模になるらしいです」
『へぇ』
ツツィーリエはゆっくりと沈んで行く夕陽を見ながらおざなりに手を動かす。
『そんなに大きいの』
「ずいぶんと他人事ですね」
『今回の式典、お父さんが私に関わらせてくれないから。ラトさんと一緒に色々忙しいみたいだけど』
「まぁ、対立しがちな二公爵が共同で式典を行おうっていうんですから、調整とかいろいろ大変なんでしょう」
『それで、お父さんの周りで色々動いてるってこと?』
「えぇ。で、さっきも言った通り国王の即位式以上の規模の式典ってことで、国王からの反応が芳しくないみたいです。兵士が来るなんてことはないでしょうけど……」
『兵士が来ることはないわよ。国王は軍隊を持っていないもの』
「あぁ、そうでしたね」
『近衛兵はいるけど』
「いるんじゃないですか」
『近衛兵は王都から動かないわ、基本的に』
「どうでしょうかね」
『近衛兵の動きは王室典範に決められてるわ。その条項の中に、近衛兵は王族を守る者、然らばみだりにその近くを離れるべからず、って書かれてるの』
「詳しいですね、お嬢」
『お父さんが、この国の法律にはしっかりと目を通して、勉強しておきなさい、っていうの。まぁ、国守の公爵の娘がこの国の規則について何も知りませんでは、話にならないから』
「あぁ、公爵さんは裁判も担当してるんでしたね。なんか忘れそうになります」
モヌワが頭をポリポリと掻く。
「それはそうとお嬢」
『なに?』
「お嬢はもうプレゼント、決めました?」
『なんの?』
「やっぱり忘れてる。国富の公爵の息子、あれ、名前なんて言ったっけ?」
『ファフナール』
「そうそう、ファフナール、そいつへのプレゼントですよ。式典の中でプレゼントの交換があるって言ってましたよ」
『そうなの?忘れてたわ』
「何にするんですか?」
『そうね………』
ツツィーリエは顎に指を当ててしばらく動かない。
『思いつかないわ』
「買い物行くんなら言ってくださいね。私も一緒に行きますし」
『ありがとう』
「いえいえ。あ、そうだ」
そういうと、モヌワは腰の小さな袋から何やら細長い棒のようなものを取り出した。
「初成人の近くはいろいろ忙しそうなんで、今渡しちゃいます」
『何、これ?』
「笛です。私の故郷の笛です」
それはあまり大きくない、木製の笛だ。無骨ではあるが、その木はよく磨かれており、表面は滑らかだ。木目と笛の穴の位置が良く計算されて、見ているだけでも飽きが来ない。
『ありがとう。でも、笛?』
「私の故郷では、成人した子供に親からプレゼントとして笛が贈られるんです。私は親ではないですけど、笛を送る人がほかにいそうにないんで」
『笛を送るのね。なんでかしら』
「その笛、ちょっと吹いてみてください」
ツツィーリエは歩きながら笛の口に唇を当て、息を送り込む。
『鳴らないわね』
「その笛、吹くのにちょっとコツがいるんです。なので、成人してからも精進が必要なんだ、って謙虚さを知らせるために送るんです」
『そう、ありがとう。でも、モヌワの故郷ってここから遠いんでしょ?よく売ってたわね』
「いえ、作ったんです。それ」
『モヌワが?』
その笛はあまり大きいものではなく、モヌワが持ったら折れてしまいそうに見える。
「喜んでもらえればいいんですが」
『嬉しいわ。ありがとう』
ツツィーリエは笛にもう一度空気を送ってから、モヌワの方を見て柔らかく微笑んだ。それを見たモヌワは照れ臭そうに頭を掻く。
『そういえば、モヌワは故郷から離れてどれくらいになるの?』
「そうですね、どれくらいになるのか。もう故郷から離れて生活した時間の方が、故郷で生活していた時間よりも長いですね」
『寂しくならないの?』
「なりませんね」
モヌワの返答は割とそっけない。
「私は信じるものが近くにあればそれが一番なんです。故郷を出たとき、この身は神にささげると決めていましたし、今はお嬢が近くにいますから」
『そう』
ツツィーリエはモヌワの方を一度見てから、周りの方に視線を移した。夕日はほとんど紫になっていたが、道は舗装されたものになり、大きな家々が周りに並ぶ通りに出ていた。街灯からの明かりもあり、夜になるというのを感じないほどだ。
『そんなものかもね』
「そんなもんですよ」
そういいながら、二人は家路をゆっくりと歩いて行った。




